09「イギリス文化論」(2021/10/26) イングランドの歴代支配者(二十世紀後半以降)

https://www.harpersbazaar.com/jp/celebrity/celebrity-buzz/a65454/cpo-powers-and-privileges-the-queen-has-170427/

1. 免許なしで運転できる

2. パスポートがいらない

3. 女王には誕生日が2つある

4. 専用の現金引き出し機を持っている

5. 無数の動物を所有している

6. 納税の義務がない

7. 絶対に逮捕されない

8. 自分のための詩人がいる

9. 女王は宗教の最高位にある

【参考11】

エリザベス女王は「パスポートも運転免許証もいらない」…女王の知られざる衝撃的な事実

ハーパーズ・バザー(Harper’s Bazaar)日本版

2020年9月13日(日)

https://news.yahoo.co.jp/articles/eade06de346811659a3ad19931f63944136e787e

https://news.yahoo.co.jp/articles/eade06de346811659a3ad19931f63944136e787e/comments

Historic rulers of England (continued)

イングランドの歴史上の支配者たち(続き)

古代から二十世紀前半までは前ページ( https://sites.google.com/site/xapaga/home/historicrulers )へ。

ここまでのまとめ(但し、1337-1453年の百年戦争と、1455-87年のバラ戦争と、1649-60年の共和制時代は省略)

・(年代記の記述によれば)449年にアングル人(the Angles)とサクソン人(the Saxons)とジュート人(the Jutes)を総称した古英語話者のアングロ・サクソン人(the Anglo-Saxons)がイングランド(England)に到来。

・829年、統一イングランド初代国王として古英語(アングロ・サクソン語)話者のエグバート王(Egbert of Wessex, 769 or 771 - 839; 在位802-839)の名が登場。

・927年7月12日、古英語(アングロ・サクソン語話者のアゼルスタン王(Æðelstan or Æthelstan or Athelstan, c.894-939; 在位924-939)がイングランド人たち(the English)の王と認定され、イングランド王国(Kingdom of England)が建国(?)される。

・1066年12月25日、フランス語話者のウィリアム一世、またはウィリアム征服王(William I of England, or William the Conqueror, c.1028-87; 在位1066-87)が征服王朝であるノルマン朝(House of Normandy or Norman dynasty)を成立させ、これが事実上の建国。

・1284年3月19日、フランス語話者のエドワード一世、またはエドワード長脛王(Edward I, or Edward Longshanks, 1239-1307; 在位1272-1307)がリズラン法令(Statute of Rhuddlan)を発布して西隣のウェールズ公国(Principality of Wales)を完全併合。以後イングランド王国(Kingdom of England)と言えば、ウェールズを含む領土を指すようになる。

・1603年3月24日、スコットランド王ジェイムズ六世(James VI of Scotland, 1566-1625; 在位1567-25)がイングランド王ジェイムズ一世(James I of England, 1566-1625; 在位1603-25)を兼務することで、イングランド王国(Kingdom of England)とスコットランド王国(Kingdom of Scotland)が事実上統合スチュアート朝(House of Stuart)の時代となる。

・1606年4月12日、国王ジェイムズ一世(James I of England or James VI of Scotland, 1566-1625; スコットランド国王在位1567-1625; イングランド国王在位1603-1625)が、イングランド国旗「聖ゲオルギオスの十字」(St George’s Cross: https://en.wikipedia.org/wiki/Saint_George's_Cross#/media/File:St_George's_Cross.svg )とスコットランド国旗「聖アンデレの十字」(St Andrew’s Cross: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/10/Flag_of_Scotland.svg )を組み合わせた初代ユニオンフラッグ(Union Flag: 「統合旗」の意 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f2/Flag_of_Great_Britain_(1707–1800).svg )=通称ユニオンジャック(Union Jack: 「統合船首旗」の意)を制定。

・1707年5月1日、スチュアート朝(House of Stuart)最後の君主アン女王(Queen Anne, 1665-1714; 在位1702-1714)の治世(reign)にイングランド王国(Kingdom of England)とスコットランド王国(Kingdom of Scotland)が正式に統合し、グレートブリテン王国(Kingdom of Great Britain)が成立したことで、上記の初代ユニオンフラッグ(Union Flag)が正式な国旗と成る。

・1714年8月1日、ハノーヴァー朝(House of Hanover)が成立。ドイツからやって来たドイツ語話者の初代国王ジョージ一世(George I, 1660-1727; 在位1714-27)が現在の英国王室の開祖。

・1801年1月1日(木)、グレートブリテン王国(Kingdom of Great Britain)が西隣のアイルランド島を併合してグレートブリテン及びアイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Ireland)が成立したため、既に英語話者に成っている時の国王ジョージ三世(George III, 1738-1820; 在位1760-1820)が連合王国(UK)の初代国王。その際に初代ユニオンフラッグ(Union Flag: 「統合旗」の意 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f2/Flag_of_Great_Britain_(1707–1800).svg )=通称ユニオンジャック(Union Jack: 「統合船首旗」の意)に若干(じゃっかん)のデザイン変更が為()され( https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/a/ae/Flag_of_the_United_Kingdom.svg )、現在に至る。

・1876年5月1日(月)、英領印度帝国が成立し、時の君主ヴィクトリア女王(Queen Victoria, 1819-1901; 在位1837-1901)が印度女帝(Empress of India)を兼務。

・1917年7月17日(火)、第一次世界大戦(World War I; the First World War; the Great War, 1914-18)の最中(さなか)で国民の反独感情(anti-German sentiments; Germanophobia)が高まる中、家名をドイツ的なサックス=コーバーグ・アンド・ゴーサ家(House of Saxe-Coburg and Gotha)から、王室所有の城の名をとってウィンザー家(House of Windsor)に改名。ウィンザー家の初代国王はジョージ五世(George V, 1865-1936; 在位1910-36)。

・ 1922年12月6日(水)、アイルランドの大部分が連合王国から離脱し、その四年四ヶ月後の1927年4月12日(火)に国号が少しだけ変更され、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)と成ったが、この国号の王国の初代国王がジョージ五世(George V, 1865-1936; 在位1910-36)。

・1947年8月15日(金)、英領印度(British India)がインドとパキスタン(後にパキスタンとバングラデシュに分離)に分かれてイギリスから独立したため、時の国王ジョージ六世(George VI, 1895-1952; 在位1936-52)はラスト・エンペラー(the Last Emperor)の異名(いみょう)で呼ばれることになる。

アルフレッド大王から現在のエリザベス二世へ至る家系図

https://en.wikipedia.org/wiki/Family_tree_of_English_and_British_monarchs

ヴィクトリア女王からエリザベス二世へ至るハノーヴァー朝ウィンザー家(旧家名 サックス・コーバーグ・ゴーサ家)の家系図

https://en.wikipedia.org/wiki/Family_tree_of_the_British_royal_family#House_of_Windsor (右端の [show] をクリック)

https://www.kingandqueen.jp/family-tree.pdf

1952年2月6日(水)~現在

エリザベス二世(Elizabeth II, b.1926; 在位1952-)の治世

https://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_II

https://www.royal.uk/her-majesty-the-queen

1926年4月21日(水)に首都ロンドンの高級住宅街の一角(宮殿ではない一般家屋)でヨーク公アルバート王子(Prince Albert, Duke of York, 1895-1952)=後の国王ジョージ六世(George VI, 1895-1952; 在位1936-52)の長女として生まれた時点では、国王ジョージ五世の次男の長女だったため、女王・国家元首になるとは自他ともに夢にも思わなかった。ところが満10才のとき伯父の国王エドワード八世(Edward VIII, 1894-1972; 在位1936)=後のウィンザー公(Duke of Windsor, 1894-1972)が突如退位したことで運命の歯車が狂った。

ウェールズ女大公エリザベス皇太女(Princess Elizabeth, or Elizabeth, Princess of Wales, b.1926)時代、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻した二日後の1939年9月3日(日)に英仏連合国側が対独宣戦布告することで第二次世界大戦(World War II; the Second World War, 1939-45)が勃発した。その戦争の最中(さなか)の1940年10月13日(日)に満14歳半だった頃、4つ下の妹マーガレット王女(Princess Margaret, 1930-2002)=後のスノウドン伯爵夫人マーガレット(Princess Margaret, Countess of Snowdon, 1930-2002)と共に疎開中の子供たちに向けて「子供たちの時間」(“Children’s Hour”)としてラジオで話しかけた( https://www.youtube.com/watch?v=VJI9LPFQth4 / https://www.youtube.com/watch?v=89CJ_8lqDdA )。これこそがエリザベスの声をイギリス庶民が初めて聴いた歴史的瞬間である。当時は連日連夜ドイツ空軍(Luftwaffe ルフトゥヴァッフェ)による空襲があり、しかもナチス・ドイツ(独 Nazideutschland; NS-Deutschland; 英 Nazi Germany)による英国侵略の可能性もあったことから、若い命だけでも救おうと、子供たちが英国内の農村地帯や遠く北米大陸や南アや豪州やニュージーランドなどへと疎開させられたのだった。

また、同戦争中の1941年にイギリスは20歳から30歳までの独身女性を徴兵し、翌年(1942年)には19歳も含めて徴募した( https://www.nationalarchives.gov.uk/education/homefront/women/armed/Default.htm )。そうした世情を考慮し、当時のエリザベス王女(現女王)は1943年に17歳で1910年創立の英国自動車運転学校(BSM: British School of Motoring)で教習を受け、車の運転を覚えた。運転免許(英 driving licence; 米 driver’s license)を無事に取得すると、1944年に18歳で英国陸軍(British Army)に入隊し、一般女性兵士と同様に軍の認識番号を受け、軍用トラックの整備と軍需物資の輸送を担(にな)い、軍用車輌の運転を行なうことで戦争遂行(war efforts)に協力した。軍用車輛と一緒に写った当時のカラー写真( https://www.express.co.uk/news/royal/592258/Leo-McKinstry-Queen-s-Royal-Nazi-salute-scandal-her-service-UK / https://www.warhistoryonline.com/war-articles/queen-elizabeth-ii-auto-mechanic.html / https://www.warhistoryonline.com/world-war-ii/queen-elizabeth-ii-war-years-mm.html )が残っているが、これは戦時下の国民の士気(morale らー)を高める目的で撮影・公開された物である。女王は今でも夏の間スコットランドのバルモラル城(Balmoral Castle)に籠もると、附近を自分でドライブする。時代が下って1993年には女王が英国陸軍の施設を視察に訪れた際に機関銃(machine gun)を試し射ちした( http://cdn.golftrendster.com/wp-content/uploads/2016/10/5.jpg )。

第二次世界大戦で辛くも戦勝国となりながら食糧品配給制度(food rationing)が戦後も延々と続いている中、しかも対日戦勝から二年後の1947年8月15日(金)には英領印度(現在のインド、パキスタン、バングラデシュ)を失ったイギリスで1947年11月20日(木)、当時のエリザベス王女=25歳=後の女王エリザベス二世は、五つ(厳密には四つ半)年上のドイツ系のデンマーク王子兼ギリシア王子で英国海軍(Royal Navy)士官のフィリップ殿下(Prince Philip, Duke of Edinburgh, 1921-2021)=30歳と結婚した( https://www.bbc.com/japanese/video-56693436 )。このロイヤルカップルは二人ともヴィクトリア女王(Queen Victoria, 1819-1901; 在位1837-1901)の玄孫(やしゃご: great great grandchildren)に当るため、みいとこ(third cousins)同士ということになる。2017年11月20日(月)は結婚七十周年記念日=プラチナ婚式だった。

話はやや前後するが、1947年4月21日(月)には二十一歳(伝統的に英米で成人とされる年齢)の誕生日に訪問先の英連邦南アフリカのケープタウン(Cape Town, South Africa; Kaapstad, Suid-Afrika)にてニュース映画用にスピーチ動画( https://www.youtube.com/watch?v=RUlToHE_27U / https://www.youtube.com/watch?v=AsrRFNhdCOE )を収録し、次期女王になる覚悟を表明していた。

1952年の年初に英連邦の豪州とニュージーランドを夫婦で歴訪した帰路、アフリカの英領ケニアに滞在中の同年2月6日(水)に父である国王ジョージ六世(George VI, 1895-1952; 在位1936-52)=56歳の訃報(ふほう)が飛び込んできたため、その時点からエリザベスは女王となった。1901年1月22日(火)のヴィクトリア女王(Queen Victoria, 1819-1901; 在位1837-1901)の薨去(こうきょ)以来51年ぶりで女性君主の治世が始まった。

イギリスの近世から近代の歴史では、エリザベス一世(Elizabeth I, 1533-1603; 在位1558-1603)やヴィクトリア女王(Queen Victoria, 1819-1901; 在位1837-1901)の治世のように女王の時代が長く続 くと国が発展するという体験があるため、今回王位に就いた若い女性君主エリザベス二世(Elizabeth II, b.1926; 在位1952-)=25歳には明るい未来が待ち受けているように見え、戦争で疲弊し、しかも上述したように食糧品配給制度(food rationing)が延々と続き、ひもじい思いをしていた国民から大きな期待が寄せられた。食糧品配給制度が公式に終了したのは1954年7月4日(日)のことであり、戦時中から実に十四年半も続いたのだった。したがって1953年6月2日(火)の戴冠式(たいかん しき: Coronation)が挙行された時の英国はまだ食糧品配給制度の最中(さなか)だったのである。

戴冠式に父である昭和天皇(しょうわ てんのう; Emperor Hirohito; the Showa Emperor, 1901-89; 在位1926-89) の名代(みょうだい)として出席するため、1953年4月27日(月)にイングランド南部のサウサンプトン(Southampton, Hampshire, England)港に皇太子明仁親王(こうたいし あきひと しんのう; Crown Prince Akihito, b.1933)=19歳=後の平成時代の天皇(Emperor Akihito; the Heisei Emperor, b.1933; 在位1989-2019)=後の令和時代の上皇(Emperor Emeritus Akihito, b.1933)が到着した。現地メディアの前で英語による声明文を読み上げたが( https://sites.google.com/site/xapaga/home/akihitopathe1953 / https://www.youtube.com/watch?v=-Htkv4oAwxo )、第二次世界大戦中に日本軍によって虐待された元捕虜たちが抗議運動を展開した。その三日後の同年(1952年)4月30日(木)には英国内の反日感情(anti-Japanese sentiments; Japanophobia)に苦慮するチャーチル(Sir Winston Churchill, 1874-1965; 首相在任1940-45 & 1951-55)内閣総理大臣=78歳が、ダウニング街10番地(10 Downing Street)の首相官邸での非公式な昼食会(luncheon)に、満19歳の皇太子明仁親王を招待した。同時に招かれたのは、野党労働党(Labour Party)の党首(Head)、労働組合幹部たち(trades union leaders)、新聞社主たち(newspaper company owners)といった反日強硬派の面々だったが、これら反日強硬派も明仁親王も、同じ場に引き合わされることは事前に知らされておらず、チャーチル首相の計略だったという。チャーチルはここでスピーチをし、それは「英国人は激しく意見を戦わせるが、最終的にはどんな違いも乗り越えて合意に達する。英国らしさの根底にあるのが立憲民主制(constitutional democracy)です。」という主旨だったという。この言葉に感銘を受けた明仁親王は翌日(1953年5月1日(金))側近を通じてチャーチル首相への謝意を伝えたという。そして愈々(いよいよ)同年(1953年)6月2日(火)、ロンドンのウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)にて女王エリザベス二世(Queen Elizabeth II, b.1926; 在位1952-)=27歳の戴冠式が挙行され( https://www.youtube.com/watch?v=JJEUtX2_GwI )、上述したように日本からは皇太子明仁親王=19歳が出席した。当時イギリスでは第二次世界大戦で残忍な敵国だった日本国の記憶が根強くあり、対日感情が頗(すこぶ)る悪かったため、 戴冠式に於いて明仁親王には13番目の席次(前列中央の座席で、隣席はネパール王子)を与えられ、女王との対面まで長時間待たされた。女王は明仁親王と握手は交わしたが視線は交わさなかったという。

王女(Princess)時代の1948年11月14(日)に長男ウェールズ大公チャールズ皇太子(Charles, Prince of Wales, b.1948)を、1950年8月15(火)=対日戦勝記念五周年の日に長女アン王女(Anne, Princess Royal, b.1950)を、そして女王(Queen)になってから1960年2月19日(金)に次男ヨーク公アンドルー王子(Prince Andrew, Duke of York, b.1960)を、1964年3月10日(火)に三男ウェセックス伯エドワード王子(Prince Edward, Earl of Wessex, b.1964)という具合に合計四人(三男一女)の子をもうけたが、末っ子を除く四人中三人までが後に離婚を経験している。1932年12月25日(日・祝)以来、祖父ジョージ五世(George V, 1865-1936; 在位1910-36)の代から続く毎年恒例グリニッヂ標準時15時(15:00 GMT; fifteen hours Greenwich Mean Time)の聖誕祭メッセージ(Christmas message)を1952年以来欠かさず継続している。1957年12月25日(水・祝)にはテレビ(開始当時はまだ白黒)を通じた動画( https://sites.google.com/site/xapaga/home/queenxmas1957 )でも放送するようになったが、そこでは恰(あたか)もヴィクトリア女王(Queen Victoria, 1819-1901; 在位1837-1901)の時代に舞い戻ったような、女性君主(a female monarch)ならではの家庭的な雰囲気の演出に成功している。

1975年(昭和50年)5月7日(水)~12日(月)には夫=王婿(お うせい: Prince Consort)のエディンバラ公フィリップ殿下(Prince Philip, Duke of Edinburgh, 1921-2021)ともに今のところ最初で最後の訪日を果たした。東京で昭和天皇(しょうわ てんのう; Emperor Hirohito; the Showa Emperor, 1901-89; 在位1926-89)と 皇后良子(こうごう ながこ; Empress Nagako, 1903-2000)=後の香淳皇后(こうじゅん こうごう; Empress Dowager Kojun, 1903-2000)の両陛下の歓待を受け、京都と伊勢神宮と御木本(みきもと)真珠島(現在のミキモト真珠島)を訪れた。最終日に名古屋駅から東京駅まで新幹線ひかり100号の11号車に乗車したが、当日は生憎(あいにく)の大雨で定刻より3分遅れて名古屋を11:58に発()つ羽目になったが、東京駅には13:56と30秒に着き、定刻通りの到着となった。英女王は「新幹線は時計より正確だと聞いています。」という名言を残した。

しかしながら、1989年(昭和64年)1月7日(土)に崩御(ほうぎょ)した昭和天皇の葬儀に当たる1989年(平成元年)2月24日(金)の「大喪(たいそう)の礼(れい)」にベルギー王国、スウェーデン王国、スペイン王国といった一部の君主国から国家元首(国王)が参列し、米仏独伊といった共和制国家から国家元首(大統領)が参列したにも拘(かか)わらず、英国内に沸()き起こった戦争の過去を巡る反日感情(anti-Japanese sentiments; Japanophobia)を考慮して女王は出席を断念し、英国王室(British Royal Family)としては代わりに夫=王婿(お うせい: Prince Consort)のエディンバラ公フィリップ殿下(Prince Philip, Duke of Edinburgh, 1921-2021)を派遣するにとどめた。なお、英国政府(Her Majesty’s Government)としては首相の代わりにハード外相(Douglas Hurd, or Douglas Richard Hurd, Baron Hurd of Westwell CH, CBE, PC, b.1930)を派遣した。ちなみにオランダ王室は、やはりオランダ国内の反日感情(蘭 anti-Japanse sentimenten; 英 anti-Japanese sentiments; Japanophobia)を考慮して誰ひとりとして「大喪の礼」には出席しなかった。

1997年8月31日(日)、長男の元嫁ダイアナ妃(Diana, Prince of Wales, 1961-97)の急死を受けて同年9月初旬には人気が急落するが、その後また持ち直し、以前のような高い人気を誇る。2012年5月から6月にかけて国民の圧倒的な支持を受け、在位六十周年(Diamond Jubilee)を祝った。

1998年5月26日(火)~29日(金)には当時(平成時代)の天皇(Emperor Akihito; the Heisei Emperor, b.1933; 在位1989-2019)=後(令和時代)の上皇(Emperor Emeritus Akihito, b.1933)が皇后美智子(こうごう みちこ; Empress Michiko, b.1934)=後の上皇后美智子(じょうこうごう みちこ; Empress Emerita Michiko, b.1934)を伴って国賓として英国を公式訪問した。但し、英国到着は5月25日(月)ながら、公式訪問の開始が26日(火)だった。 戦争の過去、特に日本軍の残虐行為を巡る日本たたき(Japan bashing)が英マスコミで相次ぎ、元捕虜や元民間人抑留者の団体が連日大規模な抗議運動を展開した。同天皇(現上皇)は九年後の2007年にもロンドン・リンネ協会(Linnean Society of London)の招きで訪英し、2012年5月にも英女王の在位六十周年(Diamond Jubilee)で訪英したが、その際に抗議運動は全く起きなかった。

2001年5月18日(金)には翌日(2001年5月19日(土))から始まる日英親善文化交流イベント Japan 2001 のためのハイド公園(Hyde Park, London, UK)に於ける翌々日(2001年5月20日(日))の開会式(Opening Ceremony)に出席するため、日本国皇太子徳仁親王(こうたいし なるひと しんのう; Crown Prince Naruhito of Japan, b.1960)=現在(令和時代)の今上天皇(Emperor Naruhito, b.1960; 在位2019-)が、ロンドン西郊のヒースロウ空港(LHR: London Heathrow Airport)に到着後、車列を組んで英女王エリザベス二世(Queen Elizabeth II, b.1926; 在位1952-)夫妻の待つロンドン西郊のウィンザー城(Windsor Castle)を訪問した。同親王はその足で金曜と土曜は同城で英女王の賓客として過ごした( https://www.youtube.com/watch?v=Ui4dzTnqObA 1:27-3:41 of 3:42)。令和の新天皇としての初の外遊先に2020年春のイギリス訪問が2020年1月の時点で決定したが( https://www.royal.uk/state-visit-emperor-and-empress-japan )、その後の新型コロナウイルス(new coronavirus; novel coronavirus; WHO国際名称 Covid-19)感染拡大により延期され、訪問日程は未だに決まっていない。思えば徳仁親王時代の新天皇は2011年4月29日(金)のケイムブリヂ公ウィリアム王子(Prince William, Duke of Cambridge, b.1982)の結婚式に出席する予定だったが、同年(2011年)3月11日(金)に発生した東日本大震災(Great East Japan Earthquake)の影響で出席を断念し、林景一(はやし けいいち, b.1951)英国駐箚日本国特命全権大使(Ambassador Extraordinary and Plenipotentiary of Japan to the United Kingdom)=後の最高裁判所判事=が代理として出席したのだった。

2013年4月8日(月)には半年ほど年上の元首相サッチャー女男爵(Margaret Thatcher or Baroness Thatcher, 1925-2013; 首相在任1979-90)が亡くなったが、2015年9月9日(水)、ヴィクトリア女王(Queen Victoria, 1819-1901; 在位1837-1901)の在位六十三年七ヶ月の在位記録を破り、英国史上最長君臨記録及び女性君主としての世界最長在位記録を達成し、その後は日々更新中である。また、存命中の国家元首としての世界最長在位記録も更新中である。歴史的にはフランスの「太陽王」(Roi-Soleil ほワソレイユ)こと、ルイ十四世(1638-1715; 在位1643-1715)の在位七十二年三ヶ月半が「中世以降の記録の確かな国家元首の在位記録」としてギネス世界記録(Guinness World Records)に認定されている。二位が2016年10月13日(木)に満88歳と10ヶ月で薨去(こうきょ)したタイ王国の通称プーミポン国王(Phumiphon Adunyadet; Bhumibol Adulyadej, 1927-2016; 在位1946-2016)こと、国王ラーマ九世(Rama IX, 1927-2016; 在位1946-2016)の七十年四ヶ月である。三位は墺太利(オーストリア)帝国のフランツ・ヨーゼフ一世(Franz Josef I., 1830-1916; 在位1848-1916)の六十七年十一ヶ月だったが、この記録をエリザベス二世は既に追い抜いている。

ちなみに母親のエリザベス皇太后(Queen Elizabeth The Queen Mother, 1900-2002)は、2002年3月30日(土)に102歳の誕生日を目前にして他界するほどの長寿を全(まっと)うした。エリザベス二世の妹でアメリカ映画 Roman Holiday(邦題 『ローマの休日』1953年)の主人公(欧州某小国のアン王女)のモデルになったとされる(但し、制作サイドはモデル説を全面否定)スノウドン伯爵夫人マーガレット王女(Princess Margaret, Countess of Snowdon, 1930-2002)は、長寿だった母親が亡くなる丁度七週間前の2002年2月9日(土)に満71歳で歿(ぼっ)している。

2015年10月20日(火)夜、バッキンガム宮殿(Buckingham Palace)の大広間で中国の習近平(习近平; Xí Jìnpíng, b.1953; 国家主席在任2013-)主席への歓迎晩餐会が執り行なわれた。その二十六年前の1989年6月4日(日)の天安門事件(Tiananmen Square Incident of 1989)では、民主化運動を繰り広げていた学生ら三百人余りを中国共産党(中共)独裁政府の人民解放軍が戦車や装甲車等の軍用車輛を使って轢()き殺した。命からがら逃げ伸びた学生たちは日本やアメリカに亡命した。習近平政権は事件から三十年が経過した現在も自国民虐殺事件の真相究明を拒(こば)み続け、政権に批判的な知識人や弁護士やマスコミ関係者などを弾圧している。そうした中国に対して常日頃から批判的な言動を繰り返し、尚且(なおか)つ中共支配下のチベット(西蔵; Tibet)での人民虐殺について怒りの声を上げているチャールズ皇太子は晩餐会を公然と欠席し、女王もそれを許した。バッキンガム宮殿の女王の家臣たちも、1989年物(中共政府が忌()み嫌う数字)の血のように赤いフランス南西部ボルドー(Bordeaux)地方のグラーヴ(Graves グはーヴ; 英語読みすると「グれイヴズ」となり、「複数の墓」を意味してしまう)産の超高級赤ワイン(市価は日本円にして一本約30万円)を供することで、習近平主席への当て付けをしてやったのだと、一部マスコミが報じている。女王は習近平への不快感を表すために手袋のまま握手をしたと言われている。おまけに2016年5月11日(水)付のタイムズ紙(The Times)の報道によると、女王主催の園遊会の参加者に習近平一行について、「非礼だった」という発言をして周囲を驚かせた。この発言には、訪英した中共首脳の一行が連れてきた多数の警備スタッフに護衛用銃器を携行させる許可と、反習近平政権デモの取り締まりを要求したが(そもそも外交上あり得ない要求)、当然ながら英警備当局はいずれも拒否したという背景がある。また、目先の利益にばかり拘(こだわ)って中国共産党(中共)独裁政府との友好関係を演出したがる当時の保守党(Conservative Party; 通称・別称・蔑称 Tories)キャメロン(David Cameron, b.1966; 首相在任2010-16)内閣への女王側の精一杯(憲法上可能な限り)の抵抗だったとも言える。

なお、中共政府への数字の当てつけという点では日本も負けていない。2021年6月4日(金) 14:40に臺灣桃園國際機場(TPE: Taiwan Taoyuan International Airport; 台湾桃園国際空港)着で、新型コロナウイルス(new coronavirus; novel coronavirus; WHO国際名称 Covid-19)への感染が急拡大する台湾に日本国政府が英アストラゼネカ(AstraZeneca)社製ワクチン124万回分を提供している。この14:40という時刻は、まさに三十二年前の1989年6月4日(日)に中共政府による自国民大虐殺「天安門事件」が発生した時刻である。しかも運搬した飛行機がJL809便であり、ここでも中共政府が嫌がる89を彷彿とさせる数字を選んでいる。未確認情報ながら安倍晋三(あべ しんぞう, b.1954; 首相在任2006-07 & 2012-20)前総理大臣と、その実弟の岸信夫(きし のぶお, b.1959)防衛大臣が裏で動いたという説がある。

2017年2月6日(月)、女王が Sapphire Jubilee (サェファイャジューブァリー)と呼ばれる即位六十五周年の日を迎え、大ロンドン市ウェストミンスター区(City of Westminster, Greater London)内のバッキンガム宮殿(Buckingham Palace)附近では公式な祝砲が鳴らされた。女王自身はこの日をイングランド東部の別邸であるサンドリンガム館(Sandringham House)で過ごし、公式行事には参加しなかったが、英王室は記念として、1947年11月20日(木)に当時はまだ王女(Princess)だった同女王がエディンバラ公フィリップ殿下(Prince Philip, Duke of Edinburgh, 1921-2021)と結婚した際に父親の国王ジョージ六世(George VI, 1895-1952; 在位1936-52)から贈られたサファイアのネックレスとイヤリング(sapphire necklace and earrings)を着けた三年前の2014年の写真を公開した。2020年現在、来(きた)るべき2022年の在位七十周年(Platinum Jubilee)が既に計画検討されている。

女王は2021年4月21日(水)に初めて寡婦(a widow: 男性形の「寡夫」との混同を避けるため一般的には「未亡人」という)として95歳の誕生日を迎えるが、同年(2021年)12月23日(木)に88歳の誕生日を迎える上皇(じょうこう; Emperor Emeritus Akihito of Japan, b.1933; 天皇在位1989-2019)=平成時代の天皇よりも七歳と八ヶ月も年上である。

女王の五つ年上の夫=王婿(お うせい: Prince Consort)であるエディンバラ公フィリップ殿下(Prince Philip, Duke of Edinburgh, 1921-2021)は失言歴(しつげん へき: history of gaffes)で悪名(あくみょう)高かったが、2021年4月9日(金)に満100歳の誕生日まであと2ヶ月ほどで薨去(こうきょ)した( https://www.bbc.com/news/uk-11437314 )。同殿下の失言・暴言の中でも有名なものを後期授業資料( https://sites.google.com/site/xapaga/home/princephilipgaffes )で紹介する。

【参考1】

ドイツ生まれのヘンデル(Georg Friedrich Händel, 1685-1759)がグレートブリテン王国に帰化してハェンドゥル(George Frederic Handel, 1685-1759)と成った作曲家が、ジョージ二世(George II, 1683-1760; 在位1727-60)の1727年の戴冠式(たいかん しき: Coronation)のために作曲した頌歌 『祭司ツァドク』(Zadok the Priest ゼイドック・ザプりースト)が、その後の戴冠式でも使い回されて必ず歌われる。ここでは英人指揮者チャールズ・ヘイズルウッド(Charles Hazlewood, b.1966)氏が解説し、2015年に英国放送協会(BBC: British Broadcasting Corporation)によって制作・放映された番組 The Birth of British Music: Handel - The Conquering Hero (直訳 「英国音楽の誕生: ヘンデル、勝利のヒーロー」)を紹介する。そして1953年6月2日(火)の戴冠式(たいかん しき: Coronation)の映像が入る。

https://www.youtube.com/watch?v=WYR5TP_Y_JA (2:14-3:27 of 58:58)

【参考2】

ウォルトン(Sir William Walton, 1902-83)作曲

“Orb and Sceptre” Coronation March for Elizabeth II (1953)

女王エリザベス二世のための戴冠式行進曲「十字架宝珠(じゅうじか ほうじゅ)と王笏(おうしゃく)(オーブ&セプター)」

http://en.wikipedia.org/wiki/Orb_and_Sceptre

http://ja.wikipedia.org/wiki/宝玉と勺杖

作曲者自身の指揮するフィルハーモニア管(1953年当時の草創期ステレオ音源)

http://www.youtube.com/watch?v=v6qjUdaDE_Q

ロートン指揮バーベルスベルク独逸映画管(録音年不明ながら二十一世紀の録音・録画)

http://www.youtube.com/watch?v=gepz4ru4LhE

(参考)

ウォルトンの音楽が気に入られた向きは、下記ウェブページをご堪能されたし。

https://sites.google.com/site/xapaga/home/walton

【参考3】

2012年7月27日(金) 21:00開始のロンドン五輪開会式で女王エリザベス二世(Elizabeth II, b.1926; 在位1952-)の映像と共にヘンデル(独 Georg Friedrich Händel; 英 George Frideric Handel, 1685-1759)作曲のオラトリオ『ソロモン』より「シバの女王の入城」(‘The Arrival of the Queen of Sheba’)がかかるも、途中からイギリスの戦争映画 The Dam Busters (1955)、直訳『ダム破壊者ども』、邦題『暁の出撃』の主題音楽として晩年のエリック・コーツ(Eric Coates, 1886-1957)が作曲した ‘The Dam Busters March’ (別の一般的表記で ‘The Dambusters March’) 、直訳「ダム破壊者ども行進曲」(1955年)に替わり、競技場上空に到着後はジョン・バリー(John Barry, 1933-2011)が1962年に作曲・発表した ‘James Bond Theme’ (ジェイムズ・ボンドのテーマ)に切り替わる。

https://www.youtube.com/watch?v=4As0e4de-rI (34:12-39:36 of 3:59:49)

女王夫妻が会場に到着すると、二言語の(bilingual)アナウンスが入る。

まずフランス語(39:33)で、

Mesdames et messieurs, veuillez vous lever pour Sa Majesté la Reine et Son Altesse Royale le Duc d’Édimbourg, accompagnés par le Président du Comité international olympique, Jacques Rogge.

つづいて英語で、

Ladies and gentlemen, please stand for Her Majesty the Queen and His Royal Highness the Duke of Edinburgh, accompanied by the President of the International Olympic Committee, Jacques Rogge.

和訳: 淑女紳士の皆様、女王陛下とエディンバラ公殿下のためにご起立ください。お付きの者は国際オリンピック委員会(IOC)会長ジャック・ローグ(日本ではロゲ)です。

【参考4】

【写真特集】エリザベス英女王

フランス通信社(AFP: Agence France-Presse)日本語版

2019年4月22日(月) 22:55

https://www.afpbb.com/articles/-/3216454

【参考5】

The Beatles (John Lennon, Paul McCartney, George Harrison and Ringo Starr)

“Her Majesty” (1969)

Written by Lennon–McCartney (i.e. John Lennon, 1940-80 & Paul McCartney, b.1942)

Sung by Paul McCartney (b.1942)

ビートルズ

直訳「女王陛下」

邦題「ハー・マジェスティー」

1969年発表・発売

作詞作曲: レノンとマッカートニー

歌唱: ポール・マッカートニー

https://en.wikipedia.org/wiki/Her_Majesty_(song)

https://ja.wikipedia.org/wiki/ハー・マジェスティ

https://www.youtube.com/watch?v=v9tj1p-wRdM

https://www.youtube.com/watch?v=gA5JmQjE69w

[歌詞開始]

Her Majesty’s a pretty nice girl

女王陛下はとってもいい娘()

But she doesn’t have a lot to say

だけど言葉は少なめ

Her Majesty’s a pretty nice girl

女王陛下はとってもいい娘

But she changes from day to day

だけど日によって変化する

I wanna tell her that I love her a lot

言ってみたいな、すごく好きだって

But I gotta get a bellyful of wine

だけどその前にワインを腹いっぱい飲まないと

Her Majesty’s a pretty nice girl

女王陛下はとってもいい娘

Someday I’m gonna make her mine, oh yeah

いつの日か彼女にするよ、そうさ

Someday I’m gonna make her mine

いつの日か彼女にするのさ

(日本語訳: 原田俊明)

【参考6】

女性君主に関する近年の法改正

イギリスの王制(君主制)も最近までずっと男性優位で来た。女性君主(女王)の時代が過去に何度かあったのと、そして現在も女王の時代なのは、偶々(たまたま)男性の継承者がおらず、消去法的に女性に王位が回ってきただけの理由である。

ところが2011年10月28日(金)から30日(日)にかけて豪州西部のパース市(Perth, Australia)で開催された第22回英連邦諸国首脳会議(22nd Commonwealth Heads of Government Meeting)の席で、共通の王室である英国のウィンザー家(the House of Windsor)を戴(いただ)く英連邦の君主国16ヶ国間で「パース協定(Perth Agreement)」が締結された。従来の王位継承が男子優先長子相続(male-preference primogeniture)だったのを改め、性別に依らない長子優先相続(absolute primogeniture)を定め、配偶者がカトリック信徒(a Roman Catholic)であれば王位継承欠格とする従来の規定を廃止し(但し、自身がカトリック信徒であれば欠格となる規定は維持)、結婚に際して君主の承認を必要とする王族の範囲を王位継承順位6位までに縮小するとした。周囲を見渡せば、1979年にスウェーデン王国が、1983年にオランダ王国が、1990年にノルウェー王国が、1991年にベルギー王国が、2009年にデンマーク王国が、従来の王位継承が男子優先長子相続(male-preference primogeniture)だったのを改め、性別に依らない長子優先相続(absolute primogeniture)へと法改正していた。英国(及び他の英連邦君主国15ヶ国)の動きは、北欧(Scandinavia)や欧州大陸(the Continent)の君主国の動向に呼応した形である。

保守党のキャメロン(David Cameron, b.1966; 首相在任2010-16)内閣は上記の「パース協定(Perth Agreement)」に基(もと)づき、2013年王位継承法(Succession to the Crown Act 2013)という法律を議会で成立させた。この法律は2013年4月25日(木)勅裁、2015年3月26日(木)効力発揮となり、今後は男女の性別に関係なく君主の子供の中で最年長の者が王位を継承することになった。しかし今の女王の長子は男性(チャールズ皇太子)で、そのまた子供にも男性(ウィリアム王子とハリー王子、但し、日本のマスコミの呼び方ではヘンリー王子)、そのまた子供には上に男子(ジョージ王子)、下に女子(シャーロット王女)しかいないので、この法律が適用されるのは事実上、ウィリアム王子の孫(現女王の玄孫(やしゃご))の代からである。

同時に「カトリック信徒を配偶者とした者は王位継承権を失うこと」とした三百十四年前の1701年王位継承法(Act of Settlement 1701)から続く条項も撤廃された。しかしながら相変わらず「イングランド教会信徒のみが王位継承権を持つこと」と「カトリック信徒は王位継承権を失うこと」の条項は残された儘(まま)である。そのため、ガーディアン紙(The Guardian)や英国放送協会(BBC: British Broadcasting Corporation)等の左派系マスコミはこれを非難している。

【参考7】

ユーチューブ上の英国王室公式チャンネル

https://www.youtube.com/user/TheRoyalChannel/videos

【参考8】

英国放送協会(BBC: British Broadcasting Corporation)

[ドキュメンタリー] 女王の最長君臨記録: エリザベスとヴィクトリア

BBC - The Queen’s Longest Reign: Elizabeth and Victoria (2015)

https://www.youtube.com/watch?v=bjkLBtwPkn0

【参考9】

10 Unusual Powers That The Queen STILL Has

(英女王が今でも有する奇妙な権限10種)

英国ヤフー動画

2016年7月27日(水)

https://uk.news.yahoo.com/video/10-unusual-powers-queen-still-102606234.html

10. 法を超越。検察に起訴されることは無く、証言台に立つ必要も無し。

9. 勲爵士や貴族の称号を付与する権限を有する。

8. 納税の免除。国庫に税金を払う義務なし。それでも(1992年以来)払っている。

7. 英国中の白鳥(鵠: ハクチョウ)全羽を法律上厳密には女王が所有。(厳密にはコブハクチョウ=漢字名 瘤白鳥; 英名 mute swan =「唖(おし)ハクチョウ」の意; 羅典(ラテン)語の学名 Cygnus olor という種類のハクチョウにのみ該当)

6. 豪州よ、お前は馘(クビ)だ! 国家元首として豪州(のみならずNZやカナダや、それにもちろん英国)の内閣全員を罷免(ひめん)する権限を有する。

5. 国民の知る権利に制限をかけて秘密を明かさないことが許される。

4. 国会で可決された法案に女王が同意しない限りは法として成立しない。

3. 週に一度内閣総理大臣(首相)と面会し、国政に関する報告を受ける。

2. 運転免許証。女王は免許証番号もナンバープレートもなく自動車を運転することが許される英国で唯一の人物。

1. パスポート。英国のパスポートは女王陛下の名に於いて(in the name of Her Majesty)発行されるため、女王自身はパスポートを持つ必要がない。

【参考10】

エリザベス女王が持っている驚くべき9つの権限と特権

ハーパーズ・バザー(Harper’s Bazaar)日本版

2017年4月27日(木)

【参考12】

天皇陛下が退位されてもエリザベス英女王の退位はあり得ない 皇室典範に退位規定がないワケは

ブログ記事「木村正人のロンドンでつぶやいたろう」

ヤフーニュース(Yahoo! Japan News)転載

在英国際ジャーナリスト 木村正人(きむら まさと, b.1961)

2016年8月8日(月)

https://bylines.news.yahoo.co.jp/kimuramasato/20160808-00060898/

(詳細は記事本文へ)

【参考13】

タックスヘイブンを利用したエリザベス英女王は謝罪すべきか「パラダイス文書」が問いかける社会正義とは

ブログ記事「木村正人のロンドンでつぶやいたろう」

ヤフーニュース(Yahoo! Japan News)転載

在英国際ジャーナリスト 木村正人(きむら まさと, b.1961)

2017年11月7日(火)

https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20171107-00077847/

(詳細は記事本文へ)

【参考14】

英女王御用達の下着ブランド、指定取り消しに 回顧録を問題視

フランス通信社(AFP: Agence France-Presse)日本語版

時事通信社(JIJI.COM)転載

ヤフーニュース(Yahoo! Japan News)転載

2018年1月12日(金)

発信地:ロンドン/英国

https://www.afpbb.com/articles/-/3158266

https://www.jiji.com/jc/article?k=20180112036648a&g=afp (リンク切れ)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180112-00000023-jij_afp-int (リンク切れ)

http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1515731327/

【1月12日 AFP】英国のエリザベス女王(Queen Elizabeth II)に数十年にわたってランジェリーを提供していた英ランジェリーブランド「Rigby & Peller」の王室御用達の指定がこのほど取り消された。同社の前オーナーが女王のブラジャーの仮縫いについて自著で明らかにしたことが問題視されたという。関係者が11日明らかにした。

問題となったのは、現在も同社役員であるジューン・ケントン(June Kenton)氏(82)が昨年出した回顧録「Storm in a D-Cup」。ただケントン氏本人は、王室の怒りを買うような記述は「何もない」と困惑を隠せない様子だ。

英メディアの報道によると、本には1980年代に初めての女王のブラジャーの仮縫いに臨んだ時のことついて記されており、女王が半裸だったことも明らかにされている。また「クイーンマザー(Queen Mother)」としも知られる母親故エリザベス皇太后から聞いた個人的な逸話についても詳しく語られていた。

その他にも、故ダイアナ元英皇太子妃(Princess Diana)がブラジャーの仮縫いに来た時に、下着姿のモデルのポスターを10代だったウィリアム王子(Prince William)とヘンリー王子(Prince Harry)の目に触れないようはずしたことなどにも触れられている。

王室御用達協会の広報担当者は、「Rigby & Pellerの御用達指定が取り消しとなったことは確かだが、その理由についての詳細に話すことはできない」とAFPの取材に語った。(後略・改行)

*AFPのフランス語版と英語版の記事は削除済。理由は不明ながらNHKオンラインと同様に古い記事を残さない方針らしい。

【参考15】

エリザベス女王は倹約家 25年以上同じジャケットを着用 新品を無料でオファーされても断っていた 英紙報じる

Hint-Pot編集部

2020年6月7日(日)

https://hint-pot.jp/archives/41045

https://hint-pot.jp/archives/41045/2

【参考16】

エリザベス女王の部屋の様子が話題に “初公開”となるビデオ通話で映り込み 「珍しい機会」

Hint-Pot編集部

2020年6月13日(土)

https://hint-pot.jp/archives/41741

https://hint-pot.jp/archives/41741/2

https://twitter.com/RoyalFamily/status/1271004137501741056

https://news.yahoo.co.jp/articles/edffa755610c665ab97ed16910e6ae8ed49b517e

https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20200613-00010001-hintpot-life

【参考17】

鳥肌モノのエピソードの宝庫 『エリザベス女王』

本がすき。

高井浩章(たかい ひろあき, b.1972)記者署名コラム

2020年7月15日(水)

https://honsuki.jp/review/37043.html

https://news.yahoo.co.jp/articles/4fdaa2373d9c8dc8265e9f35b413c05d95e94566

https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20200715-00010000-honsuki-life (リンク切れ)

【参考18】

『ザ・クラウン』シーズン4で描かれる、エリザベス女王の“隠された”従姉妹たちの悲劇的実話

エリザベス女王の従姉妹ネリッサ&キャサリン・ボーズ=ライアンを知っている?

ハーパーズバザー(Harper’s Bazaar)日本版

日本語訳: Mitsuko Kanno(漢字名不明)

2020年11月22日(日)

https://www.harpersbazaar.com/jp/celebrity/celebrity-buzz/a34740233/the-crown-season-4-katherine-nerissa-bowes-lyon-201122-lift1/

エリザベス女王の「隠された従姉妹たち」の悲劇的実話

ハーパーズバザー(Harper’s Bazaar)日本版

日本語訳: Mitsuko Kanno(漢字名不明)

2020年11月23日(月・祝)

https://news.yahoo.co.jp/articles/ad4a6987addc2504c19d280c56790801a99e4b75

https://news.yahoo.co.jp/articles/ad4a6987addc2504c19d280c56790801a99e4b75?page=2

https://news.yahoo.co.jp/articles/ad4a6987addc2504c19d280c56790801a99e4b75/comments

【参考19】

英フィリップ殿下死去 BBCの速報

英国放送協会(BBC: British Broadcasting Corporation)日本語版

2021年4月9日(金)

https://www.bbc.com/japanese/video-56692705

英女王の夫フィリップ殿下が死去 99歳

英国放送協会(BBC: British Broadcasting Corporation)日本語版

2021年4月9日(金)、2021年4月10日(土)更新

https://www.bbc.com/japanese/56693707

【追悼】 写真で振り返る 英王室のフィリップ殿下、99歳で死去

英国放送協会(BBC: British Broadcasting Corporation)日本語版

2021年4月10日(土)

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-56692745

【追悼】フィリップ殿下、軍人で夫で父親で……英女王を支えた生涯

英国放送協会(BBC: British Broadcasting Corporation)日本語版

2021年4月10日(土)

https://www.bbc.com/japanese/video-56699786

フィリップ英殿下99歳で死去 13歳で恋に落ちたエリザベス女王 メーガン夫人も目をむく問題発言

ヤフーニュース(Yahoo! Japan News)個人

在英国際ジャーナリスト 木村正人(きむら まさと, b.1961)

2021年4月10日(土)

https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20210410-00231972/

2020年7月2日(木)には故エプスティーン容疑者の元恋人(ex-girlfriend)で、社交界婦人(a socialite)として英米で華やかに活躍していた英国人ギレイン・マクスウェル(Ghislaine Maxwell, b.1961)女史=58歳が、住まいのある米国北東部ニューハンプシャー州ブラッドフォド町(Bradford, New Hampshire, USA)で連邦捜査局(FBI: Federal Bureau of Investigation)に未成年者の性目的斡旋(grooming minor victims)容疑で逮捕される。なお、マクスウェル女史の父親は、ユダヤ系チェコ人ヤーン・ルドヴィーク・ヒュマン・ビニヤミン・ホーホ(Ján Ludvík Hyman Binyamin Hoch, 1923-91)としてチェコスロヴァキアの辺境の町スラティンスケ・ドリィ(Slatinské Doly)=現在のウクライナ領のソロトゥヴィノ(Солотвино = Solotvyno)町で1923年に生を受け、ナチスによるユダヤ人迫害を逃れて英国に亡命・帰化し、ロバート・マクスウェル(Robert Maxwell, 1923-91)を名乗ったメディア王・元英国下院議員・イスラエル国スパイ・詐欺師である。ギレイン・マクスウェル女史は末娘として父親に溺愛されたという。父親のマクスウェル氏は娘の逮捕に先立つ十九年近く前の1991年11月5日(火)、スペイン領カナリア諸島(西 las Islas Canarias; 英 the Canary Islands)近くの洋上で自家用ヨット「レイディー・ギレイン」(Lady Ghislaine: 末娘の名から付けた名)から海に転落し、大西洋上を浮いているところを遺体で発見されている。満68歳での死去だったが、その突然の死については謎がつきまとう。

ウェールズ大公チャールズ皇太子(Charles, Prince of Wales, b.1948)

厳密には「チャールズ王太子」だが、日本語では慣習的に「チャールズ皇太子」と呼ぶ。母親である女王エリザベス二世は皇帝ではないので(尤もその父親=チャールズの祖父であるジョージ六世は1947年8月14日(木)まではインド皇帝を兼務していたが)、本来ならば王位継承者は「皇太子」ではなく「王太子」である。「皇太子」と呼ぶのは、日本に「王太子」という称号が無いためと、「王太子」という呼称は「皇太子」の格下扱いになってしまうためでもある。外交儀礼(protocol)上、日本国政府が英国側に配慮(または忖度(そんたく))した表記が「チャールズ皇太子」なのであり、日本のマスコミ各社はこれに従っている。そしてこの授業「イギリス文化論」でもチャールズ皇太子またはウェールズ大公チャールズ皇太子と呼ぶ。

1948年11月14日(日)生まれのチャールズ皇太子は、2018年11月14日(水)には70歳になった。「万年皇太子」(a perpetual crown prince)が70代に突入したのは過去に前例が無い。2020年11月14日(土)には72歳である。満81歳と8ヶ月で薨去(こうきょ)したヴィクトリア女王(Queen Victoria, 1819-1901; 在位1837-1901)の年齢を優に超え満94歳になっても元気に君臨し続ける母親で女王のエリザベス二世(Elizabeth II, b.1926; 在位1952-)の長男としてチャールズ皇太子は今日(こんにち)に至るも「万年皇太子」の地位に甘んじている。チャールズが国王になっても在位期間は短いだろうというのが大方(おおかた)の見立てである。同皇太子の長男ケイムブリヂ公ウィリアム王子(Prince William, Duke of Cambridge, b.1982)を現女王の後継者に推す声がある。

過去に「万年皇太子」の状態から国王に成った例では、1820年1月29日(土)に満57歳5ヶ月で王位に就き、1830年6月26日(土)に満67歳10ヶ月で薨去(こうきょ)するまでの十年余り国王を務めたジョージ四世(George IV, 1762-1830; 在位1820-30)の例や、1901年1月22日(火)に満59歳で王位に就き、1910年5月6日(金)に満68歳半で薨去(こうきょ)するまでの九年余り国王を務めたエドワード七世(Edward VII, 1841-1910; 在位1901-10)の例がある。ところがチャールズ皇太子は既に歴史上の老皇太子の年齢をとっくに追い抜いてしまった。他国に目を向けると、2016年10月13日(木)にはタイ王国の通称プーミポン国王(Phumiphon Adunyadet; Bhumibol Adulyadej, 1927-2016; 在位1946-2016)こと国王ラーマ九世(Rama IX, 1927-2016; 在位1946-2016)が、英女王より1歳半以上も年下ながら七十年四ヶ月にも及ぶ在位期間を経て満88歳10ヶ月で薨去(こうきょ)したが、英国皇太子より3年8ヶ月年下の「万年皇太子」だった長男はヴァチラーロンコーン国王(Maha Vajiralongkorn Bodindradebayavarangkun, b.1952; 在位2016-)ことラーマ十世(Rama X, b.1952; 在位2016-)として2016年12月1日(木)から在位を開始した。その時点で新タイ国王は満64歳4ヶ月になっていた。

チャールズ皇太子は現女王エリザベス二世(上記参照)の長男として生まれ、将来の国王「チャールズ三世」候補ながら、チャールズという名の国王では縁起が悪いので王位に就くと同時に改名させられる可能性が囁(ささや)かれている。ウェールズ大公(英 Prince of Wales; ウェールズ語 Tywysog Cymru)の他にコーンウォール公爵(Duke of Cornwall)を兼務している。3才3ヶ月足らずの時に祖父である国王ジョージ六世(George VI, 1895-1952; 在位1936-52)が薨去(こうきょ)したため、物心ついた時から皇太子として生活してきたが、正式な儀式 (Investiture of the Prince of Wales)を経てウェールズ大公の称号(title)を授(さず)けられたのは、満10才に満たない頃の1958年7月26日(土)のことだった。

チャールズ皇太子の若い頃のメンター(mentor: 日本の辞書では通常「良き指導者」「恩師」と訳されるが、実際には「魂の師匠であると同時に心の友でもある人物」の意)としては、二人の男性の存在が大きい。

まず、チャールズ皇太子の大叔父(父方の祖母の弟にして女王の夫エディンバラ公フィリップ殿下の叔父に当たる人物)に当たり、ビルマ戦線(Burma campaign, 1942-45)で日本軍を倒した英雄として知られる初代ビルマ伯ルイ・マウントバッテン卿(Lord Louis Francis Albert Victor Nicholas Mountbatten, 1st Earl Mountbatten of Burma, 1900-79)がいた。元来マウントバッテン家は在英ドイツ人の名門貴族バッテンベルク家(das Haus Battenberg)だったが、第一次世界大戦(1914-18年)中の1917年(マウントバッテン伯が満17歳の頃)、英国内の反独感情(anti-German sentiments; Germanophobia)を意識して、ドイツ語の Berg (ふク)=「山」を英訳した Mount (マウン)=「山」とし、家名をマウントバッテン家(the House of Mountbatten)に改名した。その五年後の1922年=大正十一年には英国皇太子(後の国王エドワード八世、退位後転じてウィンザー公)の随員として初来日を果たし( https://imgur.com/gallery/auouUrO / https://www.gettyimages.ae/detail/news-photo/the-prince-of-wales-lord-louis-mountbatten-and-captain-news-photo/661366366 / https://www.gettyimages.coニュース写真/4th-june-1924-hrh-edward-prince-of-wales-pictured-on-his-tour-ニュース写真/78950407 )、行く先々で大歓迎を受け、日本国皇太子裕仁親王(こうたいし ひろひと しんのう; Crown Prince Hirohito of Japan, 1901-89)=後の昭和天皇(しょうわ てんのう; Emperor Hirohito; the Showa Emperor, 1901-89; 在位1926-89)とも会見した。しかしその二十年後の1942年には運命のいたずらで、部下のパーシヴァル中将(Lieutenant-General Arthur Percival, 1887-1966)が英領シンガポールで日本軍に屈服して無条件降伏(英国史上最悪の敗北)したことを受けて、英領印度(British India)を拠点にビルマ戦線(1942-45年)で日本軍に対する反転攻勢に出て、最終的に勝利を収めた。マウントバッテン伯は1945年9月には勝者として東南アジア各地に進駐し、日本軍の武装解除と身柄拘束と戦犯裁判に動いた。対日戦勝から四半世紀以上が経過した1971年10月、昭和天皇の半世紀ぶりの訪英に際してバッキンガム宮殿での女王主催天皇皇后両陛下歓迎晩餐会に招待されながら、マウントバッテン伯は「部下を 拷問し虐殺した日本軍の首謀者であるヒロヒト(裕仁)を歓迎することなど私にはできない。」として、その招待を蹴った。マウントバッテン伯はそれまでは傲慢(ごうまん)な人物として英国民の受けは良くなかったが、晩餐会への招待を拒否したことで英国民は拍手喝采し、マウントバッテン人気が急上昇した。実はマウントバッテン伯はマスコミを遮断して秘密裡(ひみつり)には昭和天皇と四十九年ぶりに会見したことが後に判明しているが、殆(ほとん)ど何も言葉を交わさない 冷淡な会見に終始したと伝えられている。それから約八年後の1979年8月27日(月)、マウントバッテン卿はアイルランド共和国北西部のドネゴール湾にて休暇中にヨットで出航直後、IRA暫定派(Provisional IRA)の仕掛けた爆弾テロに遭い、満14歳の孫ニコラス(The Hon. Nicholas Timothy Charles Knatchbull, 1964-79)と15歳の船員と、長女の83歳の義母と共に死亡した(但し、長女の義母は翌日死亡)。一緒に乗船していたマウントバッテン卿の長女で、チャールズ皇太子の名付け親(Prince Charles’ godmother)であるパトリシア(Patricia Knatchbull, 1924-2017)=後の第二代ビルマのマウントバッテン女伯爵パトリシア(Patricia Knatchbull, 2nd Countess Mountbatten of Burma, 1924-2017)は五男ニコラス(The Hon. Nicholas Timothy Charles Knatchbull, 1964-79)を殺され、自身も重傷を負ったが一命を取りとめ、事件から約三十八年後の2017年6月13日(火)に満93歳で死去するまで「子供との死別UK」(Child Bereavement UK)と「苦しみを共有する友人たち」(Compassionate Friends)という子供を亡くした親のための慈善団体(charities)を支援し続けた。マウントバッテン卿を含む4人を殺害したテロ実行犯は、死刑を廃止した英国で最高刑である終身刑(life imprisonment)となったが、1998年、聖金曜日のベルファスト合意(Good Friday Agreement)を受けて釈放された。

もう一人、南アフリカ(南ア)出身の白人小説家・随筆家・探検家であるローレンス・ヴァン・デル・ポスト(Sir Laurens van der Post, 1906-96)がチャールズ皇太子のメンター(mentor)として挙げられる。ヴァン・デル・ポストは若きチャールズ皇太子を数回に亘(わた)りアフリカ探検に連れ出し、欧州とは異なる広い世界を教えた。チャールズ皇太子の価値観の形成に大きな役割を果たしたと考えられている。同氏はサッチャー(Margaret Thatcher, 1925-2013; 首相在任1979-90)元首相のメンターも務めたが、故ダイアナ妃(Diana, Princess of Wales, 1961-97)に対しては「軽薄で中身の無い小娘」と見做(みな)していた節(ふし)があり、冷淡だったため、一部には「ダイアナ妃を苛(いじ)めた」などという悪口も聞かれる。ヴァン・デル・ポストはまだ十九歳だった頃、南アの港町ダーバン(Durban)で新聞記者をしていた折、三十五歳の日本人で大阪商船(現在の株式会社商船三井)の社員だった熊本出身の森勝衛(もり かつゑ, 1890-1989)船長と親しくなり、その友情が嵩じ、大正デモクラシー時代の日本を訪れている。南アの人種差別を告発する小説を書いていた満22歳の白人作家ウィリアム・プルーマー(William Plomer, 1903-73)も日本へ同行した。森船長は若くてカネの無い二人から三等料金しか取らず、それでいて一等船客として破格の厚遇を施(ほどこ)した。大阪商船の本社には「二人の白人記者を同行、賓客として滞日費用を負担せよ」と事後承諾の電報を打ったが、これは森船長の独断専行だった。ヴァン・デル・ポストとプルーマーの二人は日本にて行く先々で歓迎された。ところがその約十七年後の1942年に運命の悪戯(いたずら)でヴァン・デル・ポストはオランダ領東印度(蘭印、現在のインドネシア)のスマトラ島で優勢な日本軍を相手に英国陸軍士官として戦う羽目になった。そして武運(ぶうん)拙(つたな)く日本軍の捕虜となった。日本兵に銃剣(bayonet)を突き付けられて思わず出た日本語が、「マコトニオソレイリマスガ、シバラクオマチクダサイマセンカ」だったという。ヴァン・デル・ポストは戦争終結まで三年半に及ぶ戦時国際法違反の過酷な強制奴隷労働や拷問などの仕打ちに耐えた。その時の体験は大島渚(おおしま なぎさ, 1932-2013)監督の映画 『戦場のメリークリスマス』(Merry Christmas, Mr Lawrence, 1983)の原作に描かれている。大戦後に解放されてからは、日本との和解を呼びかける孤立無援の言論活動を英国で展開し、再度訪日して大正末期に親しくした森船長(Captain Mori)とも再会を果たしている。親日家・知日家でありながらも米国による原爆投下は「仕方がなかった」という立場を取り、その見解は昭和天皇(しょうわ てんのう; Emperor Hirohito; the Showa Emperor, 1901-89; 在位1926-89)の見解( https://www.youtube.com/watch?v=4b6VuxlBUYI )ともほぼ一致している。(森勝衛船長については、株式会社商船三井の公式ウェブサイト http://www.mol.co.jp/saiyou/about_history07.html リンク切れに依拠)

さて、チャールズ皇太子は1967年10月8日(日)、ケイムブリヂ市に到着し、その翌日(1967年10月9日(月))にはケイムブリヂ大学三位一体学寮(Trinity College, Cambridge)に入学し、勉学を開始した。この三位一体学寮は皇太子の祖父で亡き国王ジョージ六世(George VI, 1895-1952; 在位1936-52)がまだヨーク公アルバート(Albert, Duke of York, 1895-1952)、つまり国王の次男だった時代に1919年10月から1920年6月にかけて遊学した学寮でもあった。1919年の時点では兄のエドワード皇太子(Edward, Prince of Wales, 1894-1972)が王位を継承する筈(はず)なので、自分は国王になるなどとは夢にも思っていなかったため、今回のチャールズ皇太子のケイムブリヂ大学への入学は、王位継承者が大学に正規入学した英国史上初のケースと成った。チャールズ皇太子は一年次(1967年10月~1968年6月)は考古学と自然人類学と社会人類学(archaeology and physical and social anthropology)を専攻したが、二年次(1968年10月~1969年6月)は専攻を歴史学(history)に替え、最終学年である三年次(1969年10月~1970年6月)も継続した。また、二年次三学期(1969年4月~6月迄)にはウェールズのアベリストウィス(Aberystwyth)に在るウェールズ大学ユーネヴアセティ・コレッヂ(University College of Wales)=現在のアベリストウィス大学(Aberystwyth University)=に留学し、ウェールズ語とウェールズ史を学んだ。そして同年(1969年)7月1日(火)にはウェールズ北西部のカナーヴォン城(Caernarfon Castle)にて、母親である女王によるウェールズ大公(Prince of Wales)への任官式(Investiture)が執り行なわれ( https://www.youtube.com/watch?v=Eb68uewyYmM )、晴れて満20歳にしてウェールズ大公と成った。1970年6月23日(火)にチャールズ皇太子はケイムブリヂ大学三位一体学寮を卒業し、歴史学士(BA in History; Bachelor of Arts in History)の学位が授与されたことで、英国王位継承者として史上初めて大学の学位を得た。その五年後の1975年8月2日(土)には大学院で学んだわけでもないのにオクスブリヂ(Oxbridge = Oxford + Cambridge)両大学の奇妙な風習として無試験・無論文で修士(MA: Master of Arts)の学位が自動的に授与された(登録料として大学に10ポンド支払う伝統もある)。但し、これは王族だからという理由で優遇されたわけではなく、一般人の卒業生と同様の待遇である。

チャールズ皇太子は1981年7月29日(水)に大ロンドン市に囲まれたシティー特別区(City of London)の聖パウロ主教座聖堂(St Paul’s Cathedral)にて、イングランドの名門貴族スペンサー伯爵令嬢で十三歳近く年下のダイアナ嬢(Lady Diana Spencer, 1961-97)と結婚式を挙げ、その様子は全世界にテレビ中継された。当時のダイアナ人気と相俟(あいま)って王室の人気は急上昇した。皇太子夫妻 には2人の男子が誕生し、長男ケイムブリヂ公ウィリアム王子(Prince William, Duke of Cambridge, b.1982)と次男サセックス公ハリー王子(Prince Harry, Duke of Sussex, b.1984)がいる。2021年7月29日(木)は結婚式から四十年が経過した日だが、式で使われながら誰にも食されなかったウェディングケーキ一点(a piece of wedding cake)が競売(auction)に出品されたと英国放送協会(BBC: British Broadcasting Corporation)が報じている。側面に王室の紋章が描かれた凝った造りだが、附属カードに添えられた手書きのダイアナ(Diana)の文字をケーキ職人が間違えてダイアン(Diane)にしてしまっていることが映像から見て取れる。オークション主宰者は食品としては扱わないよう入札者(bidders)に呼びかけているという。

1986年5月8日(木)~13日(火)にダイアナ妃(Diana, Princess of Wales, 1961-97)とともに最初の訪日をし(但し、チャールズ皇太子は独身時代の1970年に初来日している)、京都、大阪、神戸、東京を訪れ、行く先々でダイアナ旋風を巻き起こした。しかしチャールズ皇太子の長年の不倫(但し、相手女性の結婚前は不倫ではなく普通の男女交際だったが)と、ダイアナ妃の過食症(bulimia)や奔放な恋愛生活のため、夫婦関係は約五年で破綻(はたん)したと考えられているため、この訪日の辺りから皇太子夫妻の関係は険悪になったと思われる。1990年11月12日(月)に執り行なわれた平成期の天皇(Emperor Akihito, b.1933; 在位1989-)=現在の上皇(Emperor Emeritus Akihito, b.1933)=の即位の礼(英国の戴冠式 たいかんしき = Coronation コロネイション に相当)に出席するため、関係の冷え切ったチャールズとダイアナの仮面夫婦は二度目の訪日をしている。また、1995年にはダイアナ妃が英国赤十字社(British Red Cross Society)副会長として訪日した。ダイアナ妃にとっては三度目(そして最後)の訪日であり、当時の天皇(Emperor Akihito, b.1933; 在位1989-)皇后(Empress Michiko, b.1934)両陛下と、当時の皇太子徳仁親王(なるひと しんのう; Crown Prince Naruhito, b.1960)殿下夫妻を表敬訪問したが、別居中のチャールズ皇太子は日本へは同行しなかった。

話が少し前後するが、1992年5月にアンドルー・モートン(Andrew Morton, b.1953)著 Diana: Her True Story(直訳 『ダイアナ: その実話』; 邦題 『ダイアナ妃の真実』)が刊行され、夫婦関係は修復不能になった。同年12月には英国議会下院(the Lower House of Parliament)=庶民院(the House of Commons)で当時の総理大臣メイジャー(Sir John Major, b.1943; 首相在任1990-97)氏によって夫妻の「友好的別居」(amicable separation)が発表された。1995年11月20日(月)=エリザベス女王夫妻の結婚48周年記念日=には英国放送協会(BBC: British Broadcasting Corporation)の「パノラーマ」(Panorama)というテレビ番組でダイアナ妃の独占インタビューが放映され、大反響を捲()き起こした。1996年8月28日(水)、皇太子夫妻の正式な離婚が成立した。

離婚から一年が経過した1997年8月31日(日)、元夫人のダイアナ妃(Diana, Prince of Wales, 1961-97)がフランス共和国首都パリ市内アルマ橋(Pont de l’Alma, Paris, France)真下の川底トンネル内でエジプト人大富豪の御曹司(おんぞうし)の遊び人(playboy)であるドディ・アルファイド(Dodi Fayed, 1955-97)氏と不慮の事故死を遂()げた( https://sites.google.com/site/xapaga/home/shockingcrimes )。この急死を受けて同年9月(1997年)初旬にはチャールズ皇太子の人気が王室人気とともに急落するが、その後は持ち直した。

ダイアナ妃の急死から約7年5ヶ月が経過した2005年2月10日(木)にはロンドン西郊のウィンザー市役所(Windsor Guildhall)にて1歳年上で長年の不倫相手だった元パーカー・ボウルズ夫人(Camilla Parker Bowles, b.1947)=旧姓シャンド(Shand)=と再婚した。結婚後、元パーカー・ボウルズ夫人はコーンウォール公爵夫人カミラ(Camilla, Duchess of Cornwall, b.1947)となったが、故ダイアナ妃への配慮からウェールズ大公妃(Princess of Wales)の肩書は意図的に名乗らないようにしている。なお、カミラ夫人の母方の曾祖母(ひいおばあさん)は、1898年から薨去(こうきょ)した1910年までの十二年間も国王エドワード七世(Edward VII, 1841-1910; 在位1901-10)の愛人を務めたアリス・ケッペル(Alice Keppel, 1868-1947; https://en.wikipedia.org/wiki/Alice_Keppel )=旧姓エドモンストン(Edmonstone)=である。そしてチャールズ皇太子はエドワード七世の玄孫(やしゃご)に当たる。

チャールズ皇太子は「心の琴線(きんせん)に触れる問題」(環境、教育、健康、差別、農業などの社会問題)に対して、自らの見解を伝える書簡数十通を担当大臣に送付し、英国政府と屡々(しばしば)摩擦を引き起こしている。皇太子は有機農法・無農薬栽培(organic farming)を推進し、遺伝子組み換え作物(GM crops = genetically modified crops)や遺伝子組み換え食品(GM food = genetically modified food)に強く反対する立場を表明している。1990年には公爵領オリジナルズ(Duchy Originals)というブランドを自(みずか)ら立ち上げ、紅茶やビスケットやハーブなどの有機商品を売り、やや高価格ながら継続的に売れていたが、 2008年の世界同時株安(日本のマスコミが言うリーマンショック)に際して経営危機に陥(おちい)った。これを大手高級スーパーマーケットのウェイトロウズ(Waitrose)が買い取ることで危機から救った。2009年以降、ブランドは「ウェイトロウズから公爵領オリジナルズ」(Duchy Originals from Waitrose)と改名した。

チャールズ皇太子は建築についても一家言(いっかげん)を有している。英国人建築家ノーマン・フォスター男爵(Norman Foster, Baron Foster of Thames Bank, b.1935)に代表されるような二十世紀後半以降の現代建築(contemporary architecture)を醜悪(しゅうあく)な物として嫌悪(けんお)しているため、フォスター男爵などとの景観論争に明け暮れている。

2014年5月19日(月)、英連邦カナダ東部のハリファクス市内の移民博物館を訪問した際にホロコースト(Holocaust: ユダヤ人大量虐殺)で親族を失ったユダヤ系カナダ女性と話す中で、ウクライナのクリミア半島を併合したロシア連邦のプーティン(Влади́мир Влади́мирович Пу́тин; Vladimir Putin, b.1952; 首相在任1999-2000 & 2008-12; 大統領在任2000-08 & 2012-)氏のことを「ヒトラーと同じだ」と発言し、英露関係に緊張が走った。他にも中国占領下のチベット(西蔵; Tibet)などでの人権弾圧の問題で中国共産党(中共)政府に批判的な発言を繰り返している。2008年には北京オリンピック(奥林; 日本では五輪)開会式への出席を政治的な理由で拒否したため、代わりに妹のアン王女(Anne, Princess Royal, b.1950)が出席した。同オリンピックの閉会式には当時の総理大臣ブラウン(Gordon Brown, b.1951; 首相在任2007-10)氏が出席し、チャールズ皇太子はこれも欠席した。

2015年10月20日(火)夜、バッキンガム宮殿の大広間で中国の習近平(习近平; Xí Jìnpíng, b.1953; 国家主席在任2013-)主席への歓迎晩餐会が執り行なわれた。1989年6月4日(日)の天安門事件(Tiananmen Square Incident of 1989)では、民主化運動を繰り広げていた学生ら三百人余りを中国共産党(中共)独裁政府の人民解放軍が戦車や装甲車等の軍用車輛を使って轢()き殺した。命からがら逃げ伸びた学生たちは日本やアメリカに亡命した。習近平政権は事件から三十年が経過した現在も自国民虐殺事件の真相究明を拒(こば)み続け、政権に批判的な知識人や弁護士やマスコミ関係者などを弾圧している。そうした中国に対して常日頃から批判的な言動を繰り返し、尚且(なおか)つ中共支配下のチベット(西蔵; Tibet)での人民虐殺について怒りの声を上げているチャールズ皇太子は習近平歓迎晩餐会を公然と欠席し、女王もそれを許した。また、バッキンガム宮殿の女王の家臣たち も、1989年物(中共政府が忌()み嫌う数字)の血のように赤いボルドー(Bordeaux)地方のグラーヴ(Graves グはーヴ; 英語読みすると「グれイヴズ」となり、「複数の墓」を意味してしまう)産の超高級赤ワイン(市価は日本円にして一本約30万円)を供することで、習近平主席への当て付けをしてやったのだと、一部マスコミが報じている。

2020年3月25日(水)、バッキンガム宮殿(Buckingham Palace)はウェールズ大公チャールズ皇太子=71歳が、世界中で猛威を振るう新型コロナウイルス(new coronavirus; novel coronavirus; WHO国際名称 Covid-19)の軽い症状が表れたので検査を受けたところ、陽性(positive)反応が出たと発表。英王室では初の感染者となる。妻のコーンウォール公爵夫人カミラ(Camilla, Duchess of Cornwall, b.1947)=72歳も大事を取って検査を受けたが陰性(negative)とのこと。皇太子は自己隔離(self-isolate)した。なお、二日後の2020年3月27日(金)にはジョンソン(Boris Johnson, b.1964; 首相在任2019-)内閣総理大臣とハンコック(Matt Hancock, b.1978)厚生大臣も同ウイルスの検査で陽性(positive)反応が出たと発表。両大臣は個別に自己隔離(self-isolate)した。そしてなんと長男のケイムブリヂ公ウィリアム王子(Prince William, Duke of Cambridge, b.1982)までもが!という話は、下記のウィリアム王子の項目を一読されたし。

(参考)英国政府の皇太子公式サイト

https://www.princeofwales.gov.uk/the-prince-of-wales/biography/education

ロンドンの土産物屋で売られていた絵葉書 ‘Having a Ball!’

(「球技をする!」、「舞踏会を開く!」、「ガッツはある!」、「タマはある!」の意)

http://photos1.blogger.com/blogger/4815/1381/1600/jbjbjb.0.jpg

【参考記事】

W不倫を経て再婚したチャールズ皇太子&カミラ夫人の恋愛史

註: Wの表記は誤りで、正しくはダブル(double)である。それというのも英文字のW(ブリュー)は二重のユー(大文字のV、小文字のu)の意味だからである。

ELLEgirl(エルガール)日本版

2017年5月31日(水)

https://ellegirl.jp/article/c_prince_charles_camilla_love_story_17_0531/1970/

https://ellegirl.jp/article/c_prince_charles_camilla_love_story_17_0531/1973/

https://ellegirl.jp/article/c_prince_charles_camilla_love_story_17_0531/1977/

https://ellegirl.jp/article/c_prince_charles_camilla_love_story_17_0531/1981/

https://ellegirl.jp/article/c_prince_charles_camilla_love_story_17_0531/1986/

https://ellegirl.jp/article/c_prince_charles_camilla_love_story_17_0531/1989/

https://ellegirl.jp/article/c_prince_charles_camilla_love_story_17_0531/1992/

https://ellegirl.jp/article/c_prince_charles_camilla_love_story_17_0531/1994/

https://ellegirl.jp/article/c_prince_charles_camilla_love_story_17_0531/1995/

https://ellegirl.jp/article/c_prince_charles_camilla_love_story_17_0531/1997/

https://ellegirl.jp/article/c_prince_charles_camilla_love_story_17_0531/1998/

https://ellegirl.jp/article/c_prince_charles_camilla_love_story_17_0531/1999/

https://ellegirl.jp/article/c_prince_charles_camilla_love_story_17_0531/2000/

https://ellegirl.jp/article/c_prince_charles_camilla_love_story_17_0531/2001/

https://ellegirl.jp/article/c_prince_charles_camilla_love_story_17_0531/2003/

https://ellegirl.jp/article/c_prince_charles_camilla_love_story_17_0531/2005/

https://ellegirl.jp/article/c_prince_charles_camilla_love_story_17_0531/2007/

https://ellegirl.jp/article/c_prince_charles_camilla_love_story_17_0531/2010/

https://ellegirl.jp/article/c_prince_charles_camilla_love_story_17_0531/2011/

https://ellegirl.jp/article/c_prince_charles_camilla_love_story_17_0531/2012/

https://ellegirl.jp/article/c_prince_charles_camilla_love_story_17_0531/2015/

https://ellegirl.jp/article/c_prince_charles_camilla_love_story_17_0531/2017/

【参考記事】

チャールズ皇太子&カミラ夫人が民事婚だった理由

ELLEgirl(エルガール)日本版

2018年4月6日(金)

https://ellegirl.jp/article/prince-harry-meghan-markle-church-wedding-180405-hns2/01/

https://ellegirl.jp/article/prince-harry-meghan-markle-church-wedding-180405-hns2/02/

https://ellegirl.jp/article/prince-harry-meghan-markle-church-wedding-180405-hns2/03/

ヤフーニュース(Yahoo! Japan News)転載

2020年8月15日(土)

https://news.yahoo.co.jp/articles/2d0eea41ea9100c87b02d68cdee2c11366104ba5 (リンク切れ)

【参考記事】

苦節35年。チャールズ皇太子とカミラ夫人の結婚をめぐるストーリー

Elle (エル)日本版

ケイラ・ケーガン(Kayla Keegan)記者署名記事、訳者不詳

2019年1月3日(木)

https://www.elle.com/jp/wedding/wedding-celebrity/a25623715/charlesandcamilla-19-0104/

ヤフーニュース(Yahoo! Japan News)転載

2019年6月8日(土)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190608-00010006-elleonline-ent (リンク切れ)

【参考記事】

カミラ夫人の公開取材で話題に チャールズ皇太子の“最愛の女性”を描いた2枚の肖像画の正体とは

Hint-Pot編集部

2020年7月10日(金)

https://hint-pot.jp/archives/44382

https://hint-pot.jp/archives/44382/2

https://news.yahoo.co.jp/articles/eece477207931c75f8eacd380a5f940be52fedc8 (リンク切れ)

【参考記事】

チャールズ皇太子とカミラ夫人のツイッターアカウント、『ザ・クラウン』に影響されたファンに荒らされる

これにより、コメント欄を制限せざるを得なくなったという

ハーパーズバザー(Harper’s Bazaar)日本版

メヒーラ・ボナー(Mehera Bonner)記者署名記事

日本語訳: Mitsuko Kanno (漢字名不明)

2020年11月26日(木)

https://www.harpersbazaar.com/jp/celebrity/celebrity-news/a34792867/prince-charles-duchess-camilla-trolled-crown-fans-twitter-comments-201126-lift1/

[一日遅れで改題してヤフーニュースに転載]

チャールズ皇太子&カミラ夫人、ドラマ『ザ・クラウン』の影響でSNSに“ヘイトメッセージ”が大量に…

ハーパーズバザー(Harper’s Bazaar)日本版

日本語訳: Mitsuko Kanno (漢字名不明)

2020年11月27日(金)

https://news.yahoo.co.jp/articles/67c70189ea1ff9d7b8d7e7928fb1d42cd7e3d55e (リンク切れ)

【参考記事・動画】

2019年秋、英女王の第三子・次男(英皇太子の一人目の弟)のヨーク公アンドルー王子(Prince Andrew, Duke of York, b.1960)=59歳に一大スキャンダル発生

アメリカの元実業家、故ジェフリー・エプスティーン(Jeffrey Epstein, 1953-2019; 日本のマスコミ報道では誤ってエプスタイン、ドイツ語読みではエプシュタイン)容疑者が、米領ヴァージン諸島(US Virgin Islands)の小さな島などにセレブ(celebs; celebrities: 「カネと名声を有する人」の意)専用の少女売春組織(一種の現代版ハレム、ハーレム、後宮、大奥)を作り上げ、ロリータ急行(Lolita Express)と綽名(あだな)が付けられたプライベートジェット(private jet)でセレブの搬送を買って出ていたが、悪事が永遠に続くことはなかった。2019年7月6日(土)、エプスティーン容疑者は性的目的による未成年人身売買(sex trafficking of minors)の容疑で逮捕され、同年(2019年)8月10日(土)に米国ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン島(Manhattan, New York City, NY, USA)に在るメトロポリタン矯正施設(Metropolitan Correctional Center, New York; 略称 MCC New York)内の独房で獄中自殺したとされる。しかしながら、実は口止めのため闇の組織によって「消された」=殺害されたとも噂(うわさ)されている。

故エプスティーン氏と生前交際があったことが判明している大物に、トランプ(Donald Trump, b.1946; 大統領在任2017-)米大統領、クリントン(Bill Clinton; William Jefferson Clinton, b.1946; 大統領在任1993-2001)元大統領、マイクロソフト社(Microsoft Corporation)の創業者で長らく最高経営責任者(CEO: chief executive officer)の地位にあったビル・ゲイツ(Bill Gates; William Henry Gates III, b.1955)氏、英国王室のヨーク公アンドルー王子(Prince Andrew, Duke of York, b.1960)がいる。上記のクリントン氏は件(くだん)のロリータ・エクスプレスへの搭乗回数が最も多いセレブと目(もく)されていて、女性同性愛者(lesbian)である妻のヒラリー・クリントン(Hillary Rodham Clinton, b.1947)元大統領候補・元国務長官・元大統領令夫人(ファーストレディー)とは仮面夫婦状態と噂(うわさ)されている。なお、クリントン夫妻(Mr. & Mrs. Clinton; the Clintons)が関わったホワイトウォーター疑惑(Whitewatergate, 1992-2001; 中文 「白水事件」)などの事件では、クリントン夫妻が逮捕・訴追を常に免(まぬが)れているのとは対照的に、鍵(カギ)を握る人物(the key person(s))が不可解な死を遂()げることでも悪名(あくみょう)高い。

疑惑の渦中(かちゅう)に居るアンドルー王子は遂(つい)に英国放送協会(BBC: British Broadcasting Corporation)の単独インタビューに応じ、同年(2019年)11月14日(木)=兄のウェールズ大公チャールズ皇太子(Charles, Prince of Wales, b.1948)の71歳誕生日=に、英国の著名ジャーナリスト、エミリー・メイトリス(Emily Maitlis, b.1970)女史とのインタビューがバッキンガム宮殿(Buckingham Palace)内で収録された。二日後の同年(2019年)11月16日(土)に英国放送協会テレビ第二放送(BBC Two)のニューズナイト(Newsnight)で、その録画が放映され、翌日(2019年11月17日(日))には全世界に向けてネット公開された。潔白を証明するはずだったインタビューに大失敗し、結局、公的立場からの引退を余儀なくされた。以来、アメリカの捜査には非協力である。

2021年8月9日(月)には、当時17歳だったヴァージニア・ジュフリー女史(Ms. Virginia Giuffre)=事件当時は, b.1983ロバーツ嬢(Miss Virginia Roberts, b.1983)ヴァージニア・が米ニューヨーク州でアンドルー王子に対する民事訴訟を起こした。

BBCニューズナイト動画全編(49分26秒)

2019年11月14日(木) 収録

2019年11月16日(土) 放送

2019年11月17日(日) ネット公開

https://www.youtube.com/watch?v=QtBS8COhhhM

Prince Andrew interview: ‘Little apology or remorse’

(アンドルー王子のインタビュー「ほぼ皆無の謝罪と悔恨」)

英国放送協会(BBC: British Broadcasting Corporation)

2019年11月16日(土)

https://www.bbc.com/news/uk-50448579

Prince Andrew ‘categorically’ denies sex claims

(アンドルー王子、性行為の訴えを「断固として」否定)

英国放送協会(BBC: British Broadcasting Corporation)

2019年11月17日(日)

https://www.bbc.com/news/uk-50446065

アンドリュー英王子のBBCインタビュー、幕引きになるはずが 批判と嘲笑と

アンドリューではなく、正しくはアンドルー

英国放送協会(BBC: British Broadcasting Corporation)日本語版

2019年11月18日(月)

https://www.bbc.com/japanese/video-50445057

エプスタイン被告の自殺未遂時の監視映像が誤って消去

エプスタインではなく、正しくはエプスティーン

mashup NY 編集部

2020年1月9日(木)

https://www.mashupreporter.com/epstein-first-suicide-attempt-video-deleted/

ジェフリー・エプスタイン被告がマンハッタンの勾留施設で最初に自殺未遂をした際に、房の外部から撮影した監視カメラの映像が、誤って消去されていたことがわかった。

エプスタイン氏は昨年7月、少女らを性的搾取の目的で人身取引したとして起訴、メトロポリタン矯正センター(MCC)に勾留された。同氏は、7月23日に房内で自殺未遂をはかり、意識不明で負傷した状態で発見された。この後、一時的に自殺の可能性があるとして監視下に置かれた。しかし8月10日に再び首吊り自殺をはかり、死亡した。

映像は、自殺未遂時に同房者だったニコラス・タータグリオン(Nicholas Tartaglione)被告の弁護人が要求していた。(後略)

メーガン妃批判が吹っ飛んだ アンドリュー王子のスキャンダルが英国に与えたインパクト【前編】

アンドリューではなく、正しくはアンドルー

Hint-Pot (ヒント・ポット)

英国在住ライター 森昌利(もり まさとし)

2020年1月7日(火)

https://hint-pot.jp/archives/24814

https://hint-pot.jp/archives/24814/2

https://hint-pot.jp/archives/24814/3

https://hint-pot.jp/archives/24814/4

https://hint-pot.jp/archives/24814/5

https://hint-pot.jp/archives/24814/6

https://hint-pot.jp/archives/24814/7

小見出し1: エリザベス女王を悩ませる次男 1980年代の“ファブ4”に向けられた英国民の怒り

小見出し2: ケンブリッジ公爵夫妻やサセックス公爵夫妻よりも注目 質の悪い醜聞で

小見出し3: 英国でバッシングの標的だったメーガン妃への「風向き」をも変えたアンドリュー王子

小見出し4: 今のヘンリー王子の“立ち位置”? 兄のチャールズ皇太子とダイアナ元妃と共に人気者

小見出し5: 子どもを対象にした性犯罪の関与説が再燃 卑劣な犯罪者と“盟友”関係に

小見出し6: エリザベス女王がアンドリュー王子を溺愛する理由 フィリップ殿下との仲直りの「証」

小見出し7: 疑惑の払拭のために昨年11月にインタビューに応じた王子 これが裏目に…

小見出し8: 【写真】エリザベス女王の隣で堂々と振る舞うアンドリュー王子 メーガン妃やヘンリー王子、キャサリン妃とウイリアム王子の姿も

王室主要メンバーから「引退」させられたアンドリュー王子 スキャンダルが英国に与えたインパクト【後編】

アンドリューではなく、正しくはアンドルー

ヤフーニュース(Yahoo! Japan News)

英国在住ライター 森昌利(もり まさとし)

2020年1月15日(水)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200115-00010002-hintpot-life&p=1 (リンク切れ)

小見出し1: 1980~90年代には兄のチャールズ皇太子や故ダイアナ元妃と共に人気

小見出し2: アンドリュー王子のスキャンダルとは? 身の潔白を示すためにBBCのインタビューへ

小見出し3: 放映後、英国内では激しい非難の嵐 女王や皇太子は事態収拾に

小見出し4: 突っ込みどころ満載 批判と嘲笑の的となった言い訳の数々

小見出し5: 性犯罪者との交際を反省していない態度に全英から批判

小見出し6: ふたりの娘の父アンドリュー王子 被害者の子ども達へ憐れみもなく保身のみ

アンドリュー王子 スキャンダル発生日の“アリバイ”が崩壊? 娘のベアトリス王女は「まったく覚えていない」と英紙

アンドリューではなく、正しくはアンドルー

Hint-Pot編集部

2020年12月14日(月)

https://hint-pot.jp/archives/60973

https://hint-pot.jp/archives/60973/2/

https://news.yahoo.co.jp/articles/c6e175e43c2f35e05ab601664856e0fa0312dab3 (リンク切れ)

小見出し: 王子の“アリバイ”を裏付けることができる王室スタッフは死亡

少女性的虐待疑惑で英王子を提訴 米女性、17歳時の被害訴え

共同通信社

2021年8月10日(火)

https://www.47news.jp/6642856.html

https://nordot.app/797631314879021056?c=39546741839462401

https://news.yahoo.co.jp/articles/fe17c3edd7960ba04a4030a1aee4b5679ea57618

https://news.yahoo.co.jp/articles/fe17c3edd7960ba04a4030a1aee4b5679ea57618/comments

英アンドリュー王子、米で民事訴追 2001年の未成年への性的暴行めぐり

アンドリューではなく、正しくはアンドルー

英国放送協会(BBC: British Broadcasting Corporation)日本語版

2021年8月10日(火)

https://www.bbc.com/japanese/58154877

[もとの英語記事]

Virginia Giuffre: Prince Andrew accuser files civil lawsuit in US

(ヴァージニア・ジュフリー、つまりアンドルー王子を訴える者が合衆国で民事訴訟を起こす)

英国放送協会(BBC: British Broadcasting Corporation)

2021年8月10日(火)

https://www.bbc.com/news/uk-58153711

ケイムブリヂ公ウィリアム王子(Prince William, Duke of Cambridge, b.1982)

チャールズ皇太子の長男で、将来の国王「ウィリアム五世」候補。母親の故ダイアナ妃(Diana, Princess of Wales, 1961-97)と風貌が似ていて、尚且(なおか)つ弟のサセックス公ハリー王子(Prince Harry, Duke of Sussex, b.1984)の持つ不良性とも無縁であり、真面目で誠実な印象があるため、国民の人気が高い(但し、ハリー王子もハリー王子なりに人気はある)。2013年にはDNA検査によってインド人女性の直系子孫であることが判明したが、これは母親であるダイアナ妃(婚前はスペンサー伯爵令嬢)の母系を遡(さかのぼ)って行くとインド人に行き着くことから、特に驚きには当たらない。1997年9月6日(土)の母親の故ダイアナ妃の葬儀に際しては、その気丈に振る舞う健気(けなげ)な13歳の少年の姿が多くの国民の涙を誘った。

2001年秋~2005年夏のセントタンドルーズ大学(University of St Andrews)在学時には(スコットランドの大学は四年制だが四年の勉学だけで修士号が取得できるのはイングランドと結局同じ)、同王子が常にメディアの注目を浴びることなく勉学に励むことができるようにと王室とマスコミの間に合意が為(な)されていて、同王子は大学にはウィリアム・ウェイルズ(William Wales)の偽名で入学したが、大学生活では平凡な名前であるスティーヴ(Steve)という偽名を名乗っていた。これにより不必要な注目を浴びることなく過ごすことができた。なお、同王子が大学入学時に使用したウェイルズという苗字は、同王子の父であるウェールズ大公チャールズ皇太子(Charles, Prince of Wales, b.1948)が持つウェールズ大公(Prince of Wales)の称号から取ったものだという。入学時は美術史(Art History)専攻だったが在学途中から地理学(Geography)に切り換え、インド洋(the Indian Ocean)西部のロドリゲス島 (Rodrigues Island)の珊瑚礁(coral reefs)に関する修士論文を提出して無事に卒業している。同大学在学中に付き合い始めた後述する同級生のキャサリン(通称ケイト)・ミドルトン(Catherine “Kate” Middleton, b.1982)嬢と卒業から六年近く後の2011年4月29日(金)に結婚することになる。

母親の葬儀が執()り行なわれた大ロンドン市ウェストミンスター区(City of Westminster, Greater London)に在るウェストミンスター寺院(Westminster Abbey)にて十三年半の時が経過した2011年4月29日(金)にイングランド庶民(裕福な中産階級ながら母方の祖父は労働者階級の炭鉱夫)の娘キャサリン(通称ケイト)・ミドルトン(Catherine “Kate” Middleton, b.1982)嬢と結婚式を挙げた。王位継承者が庶民(a commoner)の娘と結婚したのは実に三百五十一年ぶりのことであり、前回は1688年の名誉革命(Glorious Revolution)で王位を追われることになるジェイムズ二世(James II of England and Ireland or James VII of Scotland, 1633-1701; 在位1685-88)が欧州大陸に亡命中の1660年に庶民と今で言うデキチャッタ婚(shotgun marriage)をしていたが、夫人はジェイムズが王位に就く前に死去したため、庶民出身の王妃(a commoner-turned-queen)に成ることは叶(かな)わなかった。

ウィリアム王子夫妻の結婚式の様子は全世界にテレビ中継された。日本からは当時の皇太子徳仁親王(こうたいし なるひと しんのう; Crown Prince Naruhito, b.1960)と雅子妃(まさこ ひ; Princess Masako, b.1963)=現在の天皇皇后両陛下=が出席すると返事を出していたが、前月(2011年3月)11日(金)に東日本大震災に見舞われたことから、日本国内の国民感情を考慮して渡英そのものを諦(あきら)めた。

夫人はケイムブリヂ公爵夫人キャサリン(Catherine, Duchess of Cambridge, b.1982)と成ったが、庶民の出身であるため、日本のマスコミが使う*「キャサリン妃(*Princess Catherine)」は誤りであり、正しくはウィリアム王子妃(Princess William)となるが、儀礼上はケイムブリヂ公爵夫人(Duchess of Cambridge)と呼ぶのが良いとされる。なお、英マスコミは気安くケイト(Kate)と呼び続けている。

同夫妻の間には2013年7月22日(月)に待望の男子ジョージ王子(Prince George of Cambridge, b.2013)で将来の国王「ジョージ七世」候補が生まれている。英国王室は2014年7月22日(火)に1歳のジョージ王子の写真を、そして同年12月13日(土)には生後1歳4ヶ月(同年11月撮影)のジョージ王子の写真3葉を公開した。また、2014年9月8日(月)にはウィリアム王子妃の悪阻(つわり: morning sickness)を受け、二度目の妊娠が発表された。第二子(性別未発表)の誕生は、発表の七ヶ月後の2015年4月とされたが、実際には5月2日(土)に女児シャーロット王女(Princess Charlotte of Cambridge, b.2015)が誕生した。王位継承権(但し、順位はチャールズ皇太子、ウィリアム王子、ジョージ王子に次ぐ第4位)を持ったプリンセスの誕生は1950年のアン王女以来六十五年ぶり。そして2018年4月23日(月)には第三子(次男)のルイ王子(Prince Louis of Cambridge, b.2018)も誕生した。

ウィリアム王子は大のサッカー好きで、プレミアリーグ(Premier League)のアストン・ヴィラ(Aston Villa Football Club)のファンということになっていて、庶民派を気取っている。また、世界最古のサッカー協会として有名な足球協会(The Football Association; 略称 the FA; 日本では意図的に誤訳して「イングランドサッカー協会」)の総裁(President)という名誉職にも就いている。

2015年2月26日(木)から3月1日(日)にかけて王子は単独で初来日を果たした。妻のケイムブリヂ公爵夫人(Catherine, Duchess of Cambridge, b.1982)は同年4月に第二子の出産を控えていたため(実際は5月2日(土)に出産)同行せず。26日(木)午後に羽田空港に到着すると東京都の舛添要一(ますぞえ よういち, 1948; 都知事在任2014-16)知事(当時)らが出迎え、ボートで浜離宮恩賜庭園へ向かい、その道中で船上から2020年東京オリンピック会場となる場所を視察。当日は激しい雨に見舞われたが、王子は「イギリスの悪い天気を持ってきて申し訳ない。」と英国人お得意の自虐的な冗句(ジョーク)を言って周囲を笑わせ、場の雰囲気が一挙に和(なご)んだ。このひと言は、日本側スタッフが降りしきる冷たい雨の中で困り果て、ウィリアム王子に対して申し訳ない気持ちでいっぱいながら、前以(もっ)て警視庁に提出していた確定ルートを自分の一存で勝手に変えることは許されないといった困った状況を察した(=忖度(そんたく)した)王子一流の咄嗟(とっさ)の機転だったのである。

船で上陸した浜離宮恩賜庭園の茶室では、家元から茶の湯のもてなしを受ける。同27日(金)には皇居の御所を訪問し、天皇皇后両陛下(現在の上皇上皇后両陛下)と昼の会食。両陛下が王子と会見したのは2012年6月のエリザベス女王即位六十周年記念行事で訪英以来のこと。同日午後には赤坂の東宮御所を訪問し、皇太子徳仁親王(こうたいし なるひと しんのう; Crown Prince Naruhito, b.1960)と雅子妃(まさこ ひ; Princess Masako, b.1963)=現在の天皇皇后両陛下=と初めて接見し、約四十分間懇談。同28日(土)には、代官山蔦屋書店(在東京都渋谷区)を訪問し、英国政府と在日英国大使館が主催して英国最新イノベーション・プロダクト25点を紹介するイベント「Innovation is GREAT展」を視察。

同日午後には東日本大震災と津波で被災した福島県を訪れ、安倍晋三(あべ しんぞう, b.1954; 首相在任2006-7 & 2012-20)内閣総理大臣(当時)とともに同県本宮市の屋内遊び場「スマイルキッズパーク」で子供たちと交流し、見事なお手玉(juggling)の腕前を披露。震災被災地訪問は王子の強い希望であり、「被災者と会わないのでは訪日する意味がない」と側近に伝えていたという。施設の外で安倍首相は日本の国樹である桜の苗木を、ウィリアム王子は英国の国樹であるオーク(oak)の苗木を記念植樹。また、宮城県石巻市では子供3人を津波で亡くした夫妻と懇談。マスコミは懇談の場に入れなかったが、 その日本人夫妻が後にマスコミに明らかにしたところによると、王子は夫妻の話に、「私も若い頃(13歳時)に大切な母(故ダイアナ妃)を亡くし、少しはお二人の気持ちが分かります。母を思い出して辛い時は今日のことを思い出します。」と語ったという。英王室スポークスマンは「心を揺さぶられる会話が交わされた。」とだけ述べ、会話の内容は明かさなかった。その後、安倍首相とウィリアム王子は福島家郡山市内の磐梯熱海(ばんだい あたみ)温泉の老舗(しにせ)旅館「四季彩一力(しきさい いちりき)」に入り、浴衣に着替えて、福島県産の食材で作られた 和食や地酒を味わいながら懇談した。同王子は外国の要人(dignitary or VIP: very important person)としては初めて東北の被災地に宿泊した。

帰国後の同年(2015年)3月30日(月)、救急輸送機のパイロットとして民間企業「ボンド・エア・スァーヴィスィーズ(Bond Air Services)」に就職。王子は同社の航空救急事業である「イースト・アングリアン・エア・アンビュランス(EAAA: East Anglian Air Ambulance)」(直訳「東アングリア航空救急」、和製英語を含む和訳「東アングリア地方ドクターヘリ」)のパイロットとして勤務する。王子は同年夏に訓練を受け、実際の任務に就いたのは同年後半。王子はイングランド(England)東部のケイムブリヂ市(Cambridge)の空港を拠点に、交通事故対応や心臓発作患者の搬送などを担う。年4万ポン ド(約710万円)の給与は全額が慈善団体の活動に寄付される。英王室の王位継承者が民間企業に就職したのはウィリアム王子が初のケース。王子は2013年9月までの三年間、英空軍(RAF: Royal Air Force)の捜索救難ヘリのパイロットとして任務に就いていた。

2020年11月2日(月)には衝撃的なニュースが入ってきた。ウィリアム王子=38歳が同年(2020年)4月(この時点では満37歳)に新型コロナウイルス(new coronavirus; novel coronavirus; WHO国際名称 Covid-19)に感染していたと、英国最大の発行部数を誇る大衆紙ザ・サン(The Sun)など複数の現地メディアが報じている( https://www.thesun.co.uk/news/13080634/prince-william-secret-covid-battle/ )。それぞれ同年(2020年)3月25日(水)と27日(金)に父親のウェールズ大公チャールズ皇太子(Charles, Prince of Wales, b.1948)とジョンソン(Boris Johnson, b.1964; 首相在任2019-)首相の感染が大きく伝えられていたことから、ウィリアム王子は「重要なことが起こっている中、誰にも心配をかけたくなかった。」(There were important things going on and I didn’t want to worry anyone.)として、自(みずか)らの感染は公表しなかったとのこと。一時は呼吸をするのも困難な状況に陥り、周囲(側近等)はパニックになったとも伝えられる。

【参考1】

エルガー(Sir Edward Elgar, 1857-1934)作曲

Serenade for Strings in E minor, Op. 20 (composed in 1892; premiered in 1896)

弦楽セレナーデ ホ短調 作品番号20(明治廿五年作曲、明治廿九年初演)

https://en.wikipedia.org/wiki/Serenade_for_Strings_(Elgar)

https://ja.wikipedia.org/wiki/弦楽セレナード_(エルガー)

2011年4月29日(金)のロイヤル・ウェディングの動画の冒頭で

第三楽章(最終楽章)が背景に流れる

http://www.youtube.com/watch?v=schQZY3QjCw

【参考2】

ウォルトン(Sir William Walton, 1902-83)作曲

“Crown Imperial” Coronation March for George VI (1937)

国王ジョージ六世のための戴冠式行進曲「帝王の冠(らウンイムピーリオゥ)」

https://en.wikipedia.org/wiki/Crown_Imperial_(march)

https://ja.wikipedia.org/wiki/王冠_(戴冠行進曲)

https://zh.wikipedia.org/wiki/帝王的冠冕

2011年4月29日(金)、ロイヤル・ウェディングの動画の終盤でウェストミンスター寺院を退場する場面で、曽祖父(ひいおじいさん)である国王ジョージ六世のための人気曲がかかる

http://www.youtube.com/watch?v=schQZY3QjCw (2:04:30-2:10:36 of 3:37:50)

【関連記事】

英キャサリン妃の叔父が妻殴打、社会奉仕命令や罰金処分に

英ロイター通信(Reuters)日本語版

2017年11月29日(水) 11:31

https://jp.reuters.com/article/uncle-of-duchess-sentenced-idJPKBN1DT09P

[ロンドン 28日 ロイター] - 英キャサリン妃の叔父が酒に酔った状態で口論になった妻を殴り、英裁判所から社会奉仕活動命令などの処罰を言い渡された。

(改行・後略)

註: 上記に書いたように、「キャサリン妃」と呼ぶのは誤り。

【関連動画記事】

Prince William on Harry’s engagement: It will stop him scrounging all my food

(ウィリアム王子がハリー王子の婚約について「お蔭で彼(=ハリー王子)が私の食べ物をくすねて食べてしまうことがなくなりますね」と語る)

日刊テレグラフ紙(The Daily Telegraph)動画

2017月11月29日(水)

https://www.telegraph.co.uk/news/2017/11/29/prince-william-harrys-marriage-will-stop-scrounging-food/

https://uk.news.yahoo.com/prince-william-harrys-engagement-stop-182855276.html (リンク切れ)

ウィリアム王子(Prince William, Duke of Cambridge, b.1982)が弟のハリー王子(Prince Harry, or Prince Henry of Windsor, b.1984)=後のサセックス公ハリー王子(Prince Harry, Duke of Sussex, b.1984)と米女優・モデルのメガン・マークル(Meghan Markle, b.1981)女史の婚約発表について祝意を述べ、冗談で「そのこと(=今回の婚約)のお蔭で彼(=ハリー王子)が私の食べ物をくすねて食べてしまうことがなくなりますね」(... will stop him scrounging all my food)と、訪問先のフィンランドの空港で語る。

ウィリアム王子が英マスコミの突撃インタビューに応じて語る

Prince William: All very excited. Delighted for them both and wishing them all the happiness in this very exciting time and for me personally I hope it means he stays out of my fridge and will stop him scrounging off all my food like he’s done over the last few years, so I’m hugely excited.

ウィリアム王子: ええ、完全にワクワクしてますよ。(ハリーとメガンさんの)両人にとって嬉しいことですし、このとてもワクワクする時に両人にはご多幸を願っていますし、私は個人的にはそのこと(=今回の婚約)のお蔭でハリーが私の自宅の冷蔵庫に近づかなくなって、私の食べ物をくすねて食べてしまうことがなくなるものと期待しています。ここ数年来、ハリーがうちに来てやったようにはね。ですので私はものすごく興奮しています。

Prince William: Yes, absolutely. It’s a fantastic process you go through, the engagement and the build up to the wedding and things like that. They’ve got a lot of happy times ahead of them and I think they’re very caught up in the moment and I wish them all the happiness and success in planning the wedding. I hope it all goes well.

ウィリアム王子: そうです、完全に(ラブラブな状態です)。素晴らしい過程(プロセス)を通っていくことになりますね。婚約と結婚式への準備などと。ご両人にはこの先たくさんの幸せな時間が待ち受けていますし、私が思うに両人は今とてもお互い夢中になっている状態でしょうから、両人にはご多幸を祈り、結婚式の計画でうまく行くように祈っています。すべてがうまく行くと良いですね。

(日本語訳: 原田俊明)

【関連記事】

バッシング止まぬヘンリー王子の婚約者、宮殿内でも問題勃発!?

朝日新聞社 AERAdot.

AERA 2017年12月11日(月)号より

ジャーナリスト 多賀幹子(たが みきこ)=『うまくいく婚活、いかない婚活』(朝日新聞出版 朝日新書, 2010年)の著者による署名記事

2017年12月5日(火) 11:30

https://dot.asahi.com/aera/2017120400044.html?page=1

https://dot.asahi.com/aera/2017120400044.html?page=2

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171204-00000044-sasahi-int (リンク切れ)

メーガン・マークルの異母兄もヘンリー王子の発言に反論 結婚前から前途多難か

ネタりか Techinsight

2017年12月30日(土) 17:56

https://netallica.yahoo.co.jp/news/20171230-54871930-techinq (リンク切れ)

(前略・改行)

ラジオ番組のインタビューに応じたヘンリー王子が、王族とのクリスマスを満喫したメーガン・マークルの様子を回顧し「楽しんでくれました」とコメント。さらに「(王室メンバーは)彼女がかつて持つことのなかったファミリーだから」とも話したことにメーガンの異母姉が怒り、(後略)

「あなたをもう王室メンバーとみなさない」エリザベス女王vs.メーガン妃 引退宣言をめぐる水面下の嫁姑戦争

文春オンライン

国際ジャーナリスト 谷口長世(たにぐち ながよ)署名記事

2020年1月13日(月・祝)

https://bunshun.jp/articles/-/25733

https://bunshun.jp/articles/-/25733?page=2

https://bunshun.jp/articles/-/25733?page=3

https://bunshun.jp/articles/-/25733?page=4

https://bunshun.jp/articles/comment/25733

https://bunshun.jp/articles/comment/25733#ulCommentWidget

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200113-00025733-bunshun-int (リンク切れ)

小見出し1: 女王との関係はもはや修復困難か

小見出し2: マスコミとの軋轢、王室内はギクシャク、国民からは逆風

小見出し3: 非公式な話し合いを求めた女王にメーガンは先手を打った

小見出し4: 「メーガンにとって王室はセレブの延長」

小見出し5: 「ロイヤルのままおカネ儲け」がメーガン妃の狙い

メーガン妃 エリザベス女王が招集した「緊急会合」はカナダから電話で参加 ヘンリー王子は直接対話へ

メーガン妃ではなく、正しくはサセックス公爵夫人メガン

Hint-Pot (ヒント・ポット)

Hint-Pot編集部

2020年1月13日(月・祝)

https://hint-pot.jp/archives/26070

https://hint-pot.jp/archives/26070/2

小見出し1: 13日に女王が大切にする邸宅「サンドリンガム・ハウス」で夫妻の今後を話し合い

小見出し2: 【写真】13日の「緊急会合」前日に穏やかな表情で礼拝へ エリザベス女王の最新画像

メーガン妃とヘンリー王子 王室称号を失う可能性も エリザベス女王の声明に専門家が指摘

メーガン妃ではなく、正しくはサセックス公爵夫人メガン

Hint-Pot (ヒント・ポット)

Hint-Pot編集部

2020年1月14日(火)

https://hint-pot.jp/archives/26141

https://hint-pot.jp/archives/26141/2

https://hint-pot.jp/archives/26141/3

小見出し1: サンドリンガムで緊急会合 夫妻の意向を全面支援もファーストネームで呼ぶ

小見出し2: 【画像】「緊急会合」前日のエリザベス女王 うつむいた表情はどこか穏やか 実際の様子

小見出し3: 【画像】エリザベス女王が出した声明 「サセックス公爵夫妻」の称号を使わず「ハリー、メーガン」と呼んでいる

デーブ氏が予言…ヘンリー王子とメーガン妃の離婚懸念 声明文に敬称なし「女王陛下のディスり」

メーガン妃ではなく、正しくはサセックス公爵夫人メガン

スポーツ報知

2020年1月15日(水)

https://hochi.news/articles/20200114-OHT1T50192.html

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200115-01140192-sph-soci (リンク切れ)

英王室のヘンリー王子(35)、メーガン妃(38)夫妻が王室引退を表明した問題で、エリザベス女王(93)は13日、家族会議を行った結果、夫妻の希望を容認する声明を発表した。一方、英王室に詳しい放送プロデューサーのデーブ・スペクター氏は、声明文に夫妻への敬称が省かれていたことに着目。「爵位剥奪を視野に入れた女王陛下のディスり(批判)」とした上、夫妻が離婚する懸念まで言及した。

(改行・後略)

「メーガンとヘンリー王子のために私たちの税金を使わないで」カナダで署名9万人 若者の王室離れが加速

ヤフーニュース(Yahoo! Japan News)個人

在英国際ジャーナリスト 木村正人(きむら まさと, b.1961)

2020年1月26日(日)

https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20200126-00160357/

ハリー王子夫妻が主張する「英国王室内の人種差別」は本当か

2021年3月7日(日)=日本時間では8日(月)、英国王室のサセックス公ハリー王子(Prince Harry, Duke of Sussex, b.1984)が、米CBSによってアメリカ国内で放送された2時間の特別番組の中で、イギリスを離れたのはタブロイド紙によるサセックス公爵夫人メガン(Meghan, Duchess of Sussex, b.1981)=旧称メガン・マークル(Meghan Markle, b.1981)への人種差別が社会に広まったことが大きな理由だと語る。米テレビ司会者オプラ・ウィンフリー(Oprah Winfrey, b.1954)女史による独占インタビューの中で、ハリー王子は王室メンバーの1人から生まれてくる息子の肌が「どれくらい黒くなるか」と尋ねられたと語り、大きな物議を醸す。アフリカ系アメリカ人(米黒人)の母と白人アメリカ人(米白人)の父の間に生まれたメガン夫人は、王室の生活はあまりに困難で、「これ以上生きていたくないと思った」こともあったと述べる。「(新生児が)どれくらい黒くなるか」の発言は祖父母の女王エリザベス二世(Queen Elizabeth II, b.1926; 在位1952-)やエディンバラ公フィリップ殿下(Prince Philip, Duke of Edinburgh, b.1921)のものではないとハリー王子から言われたと、ウィンフリー女史は放送後に述べている。この放送を受け、アフリカ系アメリカ人(米黒人)テニス選手セリーナ・ウィリアムズ(Serena Williams, b.1981)女史は自身のツイッター(Twitter)を更新し、「女性や有色人種を見下し、痛めつけ、悪者扱いするために体制やメディアが用いる性差別や人種差別については、私も身をもって知っている」「悪意に満ちた、事実無根のゴシップや大衆紙報道を断固非難する義務を、私たちは自覚しなければならない」( https://twitter.com/serenawilliams/status/1368782412356984832 )という主旨のことをツイート(tweet)。

英民放最大手ITVの番組司会者ピアーズ・モーガン(Piers Morgan, b.1965)氏が、サセックス公爵夫人メガン(Meghan, Duchess of Sussex, b.1981)は信用できないと、同年(2021年)3月8日(月)朝の情報番組 Good Morning Britain (GMB) の中で発言したことが「人種差別的発言」(racist remarks)だとして“炎上”する。「自殺も考えるほど精神的に追い詰められた」とするメガン夫人の発言についてモーガン氏は「一言たりとも信じない。」と番組内で強く反発していた。英国政府の情報通信庁(Ofcom: Office of Communications of Her Majesty’s Government)は、モーガン氏の発言について四万一千十五(41,015)件もの苦情が寄せられたことを受けて調査に乗り出したと発表した後、渦中の民放ITVは同年(2021年)3月9日(火)にモーガン氏の永久降板を発表。

同日(2021年3月9日(火))には、女王エリザベス二世(Queen Elizabeth II, b.1926; 在位1952-)が計3段落・61語から成る短い声明文(statement)を発表し、ハリー王子夫妻が経験した苦難に悲しみを表明するともに、深い懸念を示す。曰く、「王室一家全員は、ハリーとメガンにとってこの数年がどれほど困難なものであったかの全容を知り悲しんでいます。[改行] 挙げられた問題複数、特に人種についての問題は懸念すべきものです。[改行] 思い出には個人差があるものですが、個人の思い出はとても深刻に受け止められており、王室により内密に対処されます。ハリーとメガンと(息子の)アーチーは今後とも非常に愛される王室メンバーであり続けます。」(The whole family is saddened to learn the full extent of how challenging the last few years have been for Harry and Meghan. [改行] The issues raised, particularly that of race, are concerning. [改行] While some recollections may vary, they are taken very seriously and will be addressed by the family privately. Harry, Meghan and Archie will always be much loved family members.)とする。

この騒動の中で、兄のケイムブリヂ公ウィリアム王子(Prince William, Duke of Cambridge, b.1982)は同年(2021年)3月11日(木)にロンドン東部ストラトフォド(Stratford, London)に在る学校21(School 21, Pitchford Street, London, E15 4RZ, England https://www.school21.org.uk/ )を訪問中( https://www.bbc.com/news/uk-56360671 )、「(米国での問題の)インタビュー以来、弟さん(=ハリー王子)と腹を割っ、、、(言い淀み)話をしましたか?」(Sir, have you broke... have you spoken to your brother since the interview?)という記者の質問に、「いいえ、まだ話していませんが、話すつもりです。」(No, I haven’t spoken to him yet but I will do.)と答える。続けて「王室は人種差別的な家族なのですか?」(Is the Royal Family a racist family, sir?)と質問されると、「私たち(=王室)は人種差別的な家族では全くないです。」(We’re very much not a racist family.)と答える。

同年(2021年)3月17日(水)には、視聴者から寄せられた苦情件数が過去最多の五万七千百二十一(57,121)件に上ったと情報通信庁が公表。なお、同庁によると、視聴者から寄せられた苦情の従来までの最多記録は四万四千五百(44,500)件だった。これは十四年前の2007年に民放二番手の第四チャンネル(Channel 4)のリアリティー番組 Celebrity Big Brother の中で、番組参加者がインド人女優に人種差別発言をしたことだった。英ケイムブリヂ・ニューズ紙(Cambridge News)は、モーガン氏の降板直後から始まった番組復帰を求める署名運動で24万(two hundred and forty thousand)人余りの署名を集めたと報じている。ただし、モーガン氏自身は「番組復帰はあり得ない」と明言しているという。

(2021年3月8日(月)付の時事通信社のオンライン記事と、同日付のAFP日本語版のオンライン記事と、2021年3月9日(火)付のヤフーニュースに転載された BBC News 日本語版のオンライン記事と、同日付の光文社 SmartFlash のオンライン記事と、2021年3月10日(水)付のAFP日本語版のオンライン記事と、同日付のヤフーニュースに転載された BBC News 日本語版のオンライン記事と、同日付の豪州の news.com.au のダニエラ・エルザー(Daniela Elser)記者署名オンライン記事と、2021年3月12日(金)付の BBC News のオンライン記事と、2021年3月18日(木)付のヤフーニュースに転載された東京スポーツのオンライン記事に依拠)

【関連コラム・記事】

「ヘンリー王子夫妻」がどうにも好かれない理由

東洋経済

在英ジャーナリスト 小林恭子(こばやし ぎんこ, b.1958)署名記事

2020年3月6日(土)

https://toyokeizai.net/articles/-/415113

https://toyokeizai.net/articles/-/415113?page=2

https://toyokeizai.net/articles/-/415113?page=3

https://toyokeizai.net/articles/-/415113?page=4

https://news.yahoo.co.jp/articles/c821bbd4909e256d027147ff3736526bae2b024c (リンク切れ)

小見出し1: 王室でのいじめを「暴露」?

小見出し2: まるで「ホラー映画」

小見出し3: 憧れの対象から「メディアの敵」に

小見出し4: イギリス人をカチンとさせた文章

小見出し5: 「著名人ビジネス」を模索するカップル

デーブ・スペクターさんメーガン妃発言に「差別があったから米国に帰るなんて笑い話」「信ぴょう性がない」

中日スポーツ

2021年3月11日(木)

https://www.chunichi.co.jp/article/216287

https://www.chunichi.co.jp/article/216287#ulCommentWidget

https://news.yahoo.co.jp/articles/136bebed0f2db02449e387ba8efbdf804295c20d

https://news.yahoo.co.jp/articles/136bebed0f2db02449e387ba8efbdf804295c20d/comments

(前略)英王室を離脱したヘンリー王子と妻メーガン妃の米テレビ番組での発言について、「差別があったから米国に帰るなんて笑い話で、米国の方が目に見える差別が多い。信ぴょう性がないと思う」と述べ、夫妻が差別を米移住に結び付けたことに疑問を投げかけた。

(改行・中略・改行)

デーブさんは「ヘンリー王子は、差別的に聞こえる会話が1回あったと言った。つまり1回しかないということ。王室全体の体質が差別主義ではないということ」とし、「王室ライターも、メーガン妃が孤立して離脱したのはミックス、ハーフだからではなく、自己愛が強すぎて合わせようと努力しなかったのが一番ではないかと言っている。わがまますぎて」と離脱、移住の背景を説明した。

(後略・改行)

チャールズ皇太子、末息子ハリーに「打ちのめされた」。

仏マダム・フィガロ誌(Madame Figaro)日本語版

クロエ・フリードマン(Chloé Friedmann)記者署名記事

2020年3月12日(金)

https://madamefigaro.jp/culture/feature/210312-charles.html

英国過半数、「ハリー王子夫妻の称号剥奪すべき」。

仏マダム・フィガロ誌(Madame Figaro)日本語版

レオニ・デュトリヴォズ(Leonie Dutrievoz)記者署名記事

2020年3月12日(金)

https://madamefigaro.jp/culture/feature/210312-harry&megan.html

ハリー王子夫妻のインタビュー、英国人はどう見た?

仏マダム・フィガロ誌(Madame Figaro)日本語版

レオニ・デュトリヴォズ(Leonie Dutrievoz)記者署名記事

2020年3月12日(金)

https://news.yahoo.co.jp/articles/e059ed8f49625afc04a0f631466f72020316323c

https://news.yahoo.co.jp/articles/e059ed8f49625afc04a0f631466f72020316323c/comments

現在の英国王位継承順位(2020年1月1日(水・祝)改訂)

https://www.royal.uk/succession

https://www.bbc.com/news/uk-23272491

https://www.harpersbazaar.com/jp/celebrity/celebrity-buzz/g179099/cbr-british-order-of-succession-royal-family-throne-18-0513-180518-im/?slide=1

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/03/Succession_to_the_British_throne_-_family_tree_(2015)_by_shakko.jpg

https://en.wikipedia.org/wiki/Succession_to_the_British_throne#Current_line_of_succession

https://ja.wikipedia.org/wiki/イギリス王位継承順位#イギリス王位継承順位

・ 1位 ウェールズ大公チャールズ皇太子(Charles, Prince of Wales, b.1948)=女王の長男=2021年11月14日(日)の誕生日で満73歳

・ 2位 ケイムブリヂ公ウィリアム王子(Prince William, Duke of Cambridge, b.1982)=皇太子の長男=女王の孫=2021年6月21日(月)の誕生日で満39歳

・ 3位 ケイムブリヂ公子息ジョージ王子(Prince George of Cambridge, b.2013)=ケイムブリヂ公の長男=皇太子の孫=女王の曾孫=2021年7月22日(木)の誕生日で満8才

・ 4位 ケイムブリヂ公息女シャーロット王女(Princess Charlotte of Cambridge, b.2015)=ケイムブリヂ公の長女=皇太子の孫=女王の曾孫=2021年5月2日(日)の誕生日で満6才

・ 5位 ケイムブリヂ公子息ルイ王子(Prince Louis of Cambridge, b.2018)=ケイムブリヂ公の次男=皇太子の孫=女王の曾孫=2021年4月23日(金)の誕生日で満3才

・ 6位 サセックス公ハリー王子こと、ヘンリー王子(Prince Harry, or Prince Henry, Duke of Sussex, b.1984)=皇太子の次男=女王の孫=ケイムブリヂ公の弟=2021年9月15日(水)の誕生日で満37歳

・ 7位 サセックス公子息アーチー坊ちゃん(Master Archie Mountbatten-Windsor, b.2019)=皇太子の次男サセックス公の長男=女王の曾孫=2021年5月6日(木)の誕生日で満2才

・ 8位 ヨーク公アンドルー王子(Prince Andrew, Duke of York, b.1960)=女王の次男=皇太子の弟=ケイムブリヂ公の叔父=2021年2月19日(金)の誕生日で満61歳

・ 9位 ヨーク公息女ベアトリス王女(Princess Beatrice of York, b.1988)=ヨーク公の長女=女王の孫=2021年8月8日(日)の誕生日で満33歳

・ 10位 ヨーク公息女ユージェニー王女(Princess Eugenie of York, b.1990)=ヨーク公の次女=女王の孫=2021年3月23日(火) の誕生日で満31歳

・ 11位 ウェセックス伯エドワード王子(Prince Edward, Earl of Wessex, b.1964)=女王の三男=皇太子とヨーク公の弟=ケイムブリヂ公の叔父=2021年3月10日(水)の誕生日で満57歳

・ 12位 ウェセックス伯子息セヴァーン子爵ジェイムズ王子(Prince James, Viscount of Severn, b.2007)=ウェセックス伯長男=女王の孫=2021年12月17日(金)の誕生日で満14歳

・ 13位 ルイーズ・ウィンザー令嬢(Lady Louise Mountbatten-Windsor, b.2003)=ウェセックス伯長女=女王の孫=2021年11月9日(火)の誕生日で満18歳

・ 14位 アン王女(Anne, Princess Royal, b.1950)=女王の長女=皇太子の妹=ケイムブリヂ公の叔母=2021年8月15日(日)の誕生日で満71歳

・ 15位 ピーター・フィリップス(Peter Phillips, b.1977)=アン王女の長男=女王の初孫=2021年11月15日(月)の誕生日で満44歳

・ 16位 サヴァンナ・フィリップス(Savannah Phillips, b.2010)=上記ピーター・フィリップスの長女=アン王女の孫=女王の初曾孫=2021年12月29日(水)の誕生日で満11才

・ 17位 アイラ・フィリップス(Isla Phillips, b.2012)=上記ピーター・フィリップスの次女=アン王女の孫=女王の曾孫=2021年3月29日(月)の誕生日で満9才

・ 18位 ザラ・ティンダル(Zara Tindall, b.1981)、旧姓フィリップス(née Phillips)=アン王女の次女=女王の孫=2021年5月15日(土)の誕生日で満40歳

[xapaga註] 上記のほかに19位から59位までの順位が確定している。その中には自身がカトリック信徒(Roman Catholic)であるため欠格となった者もいる。ところがカトリック信徒との結婚によって王位継承権を失っていた者の場合は、2011年10月30日(日)に締結されたパース協定(Perth Agreement)と、2013年4月25日(木)に勅裁され、2015年3月26日(木)に施行された2013年王位継承法(Succession to the Crown Act 2013)により継承権を取り戻した。現時点で順位が高い者でも死者は統治できないことから、物故者は除外される。2021年4月9日(金)に満100歳の誕生日まであと2ヶ月ほどで薨去(こうきょ)したエディンバラ公フィリップ殿下(Prince Philip, Duke of Edinburgh, 1921-2021)=女王の夫=は生前に王位継承順位が493位だった。王位継承順位に人数制限は無く、「英国王位継承順位○○○位」などと名刺に記載する者もいる。