ウィンストン・チャーチル15歳ハロウ校生徒の詩「インフルエンザ」(1890年)

“The Influenza” (1890)

「インフルエンザ[註1]」(1890年=明治廿三年)

by Winston Churchill (1874-1965), then a fifteen-year-old pupil at Harrow School, later Prime Minister of Great Britain and Northern Ireland (1940-45 & 1951-55) and Nobel laureate in literature in 1953

ハロウ校15歳生徒ウィンストン・チャーチル = 後の連合王国内閣総理大臣にして1953年ノーベル文学賞(典 Nobelpriset i litteratur 1953; 英 Nobel Prize in Literature 1953)受賞者

註1: この詩が書かれた前年の1889年から1890年(資料によっては1892年)にかけてヨーロッパで猛威を振るった所謂(いわゆる)「露西亞流行性感冒」「ロシア・インフル」(Russian flu)、或(ある)いは日本では誤って「ロシア風邪(かぜ)」のことだが、チャーチル(Sir Winston Churchill, 1874-1965; 首相在任1940-45 & 1951-55)は詩の本文中で常に三人称単数非人称代名詞の it (それ)=拙訳では「其()」=とだけ呼んでいる。1892年1月14日(木)にはウェールズ大公アルバート・エドワード皇太子(Albert Edward, Prince of Wales, 1841-1910)=後の国王エドワード七世(Edward VII, 1841-1910; 在位1901-10)の長男で、時の国家元首(Head of State)ヴィクトリア女王(Queen Victoria, b.1819-1901; 在位1837-1901)の孫に当たるクラレンス&アヴォンデイル公アルバート・ヴィクター王子(Prince Albert Victor, Duke of Clarence and Avondale, 1864-92)=愛称 エディー(Eddy)が、このロシア・インフルエンザを発端(ほったん)とする肺炎(pneumonia)を併発して満28歳の若さで歿している。そのために弟のヨーク公ジョージ・フレデリック王子(Prince George Frederick, Duke of York, 1865-1936)=後の国王ジョージ五世(King George V, 1865-1936; 在位1910-36)が、九年後の1901年1月22日(火)のヴィクトリア女王の薨去(こうきょ)に伴いウェールズ大公ジョージ・フレデリック皇太子(George Frederick, Prince of Wales, 1865-1936)に成ったという経緯がある。チャーチルの詩の題名に使用された influenza (インフルエン)という語は、元来イタリア語の発音で「インフルエンツァ /influˈɛntsa/」であり、イタリア語の動詞 influenzare (インフルエンツァーれ /influɛnˈtsaːre)の三人称単数現在「(彼・彼女・それは)~に影響を与える」及び二人称単数命令「(お前は)~に影響を与えろ」でもある。イタリア語で「影響」や「(病の)感染」を意味し、後者の定義「(病の)感染」のイタリア本国での使用例は十四世紀後半の1363年にまで遡(さかのぼ)る。『牛津大学英語辞典』(OED: Oxford English Dictionary)によれば、イギリスでは十八世紀前半の1743年に最初の使用例が確認できる。今日(こんにち)英語圏では口語的に略された flu (ルゥ)という単語を用いることが多い。これは同辞典によると十九世紀前半の1839年にまで遡るが、当時は同音ながら flue と綴(つづ)られていた。現在のような flu の綴り字が登場したのは1895年のことであり、それはチャーチルがこの詩を書いた五年後のことである。

[xapaga朗読: 2nd Take]

https://www.youtube.com/watch?v=P7ikE2q0Qu0

1

Oh how shall I its deeds recount

おゝ、如何(いか)にして我は其()の行(おこな)ひを語る可()きか、

Or measure the untold amount

或(ある)ひは測(はか)る可きか、未(いま)だ語られぬ多寡(たか)、

Of ills that it has done?

其が爲()したる病(やまひ)の多寡を。

From China’s bright celestial land

支那(シナ)の冴()えたる天極の地より出でて、

E’en to Arabia’s thirsty sand

更(さら)には亞剌比亞(アラビア)の乾いた沙地(すなち)へと到りて、

It journeyed with the sun.

其は旅路を來(きた)りぬ、同伴には太陽を。

2

O’er miles of bleak Siberia’s plains

先へ先へと荒涼たる西伯利亞(シベリア)の平原、

Where Russian exiles toil in chains

露西亞(ロシア)の流人(るにん)ども、鎖(くさり)に繫(つな)がれて勞役に從事する平原、

It moved with noiseless tread;

其()は音も無く歩みを進め來(きた)り、

And as it slowly glided by

而(しかう)して其が緩(ゆる)やかに滑空せん時は、

There followed it across the sky

空(くう)を架()して後(あと)に續(つゞ)くは、

The spirits of the dead.

死せる者たちの靈魂(れいこん)なり。

3

The Ural peaks by it were scaled

烏拉爾(ウラル)の頂(いたゞき)どもは其()によりて乘越(のりこ)ゑられ、

And every bar and barrier failed

而(しかう)して遍(あまね)く閂(かんぬき)も隔壁(かくへき)も破られ[註2]

To turn it from its way;

其の進行を阻(はゞ)むこと能(あた)はずして。

Slowly and surely on it came,

緩(ゆる)やかに確實に其は來(きた)り、

Heralded by its awful fame,

其の恐るべき評判に布告さる通り、

Increasing day by day.

日に日に增幅して。

註2: 実際には動詞 fail の過去形は次の行(三行目)のto不定詞に係っていて、「~することを怠(おこた)った」の意味だが、ここでは脚韻を揃えるために意図的に誤訳しておく。

4

On Moscow’s fair and famous town

莫斯科(モスコウ)の麗(うるは)しく名望ある街中(まちなか)、

Where fell the first Napoleon’s crown

彼()の初代ナポレオンが帝冠の潰(つひ)ゑたる[註3]街中、

It made a direful swoop;

其()は忌(いまは)しき急降下を爲()せり。

The rich, the poor, the high, the low

富める者、貧しき者、身分高き者、低き者あるも、

Alike the various symptoms know,

一樣に諸々(もろ/\)の症狀を認むるも、

Alike before it droop.

一樣に其()を前にして衰弱するなり。

註3: この詩が書かれた七十八年前の1812年6月24日(水)~12月14日(月)のロシア戦役(仏 Campagne de Russie)=1812年祖国戦争(露 Отечественная война тысяча восемьсот двенадцать года = Otyechestvyennaya voyna tysyacha vosem'sot dvenadtsat' goda)=フランスによるロシア侵攻(英 French invasion of Russia)の中で、ナポレオン(Napoléon Bonaparte, 1769-1821, 皇帝在位1804-14 & 1815)率いるフランス帝国軍が同年(1812年)9月14日(月)に古都モスクワ(当時の首都はサンクト・ペテルブルク)に入城(ナポレオン自身の入城は翌火曜朝)しながらも、ロシア側の意図的な市街地放火(焦土作戦)によってナポレオン軍は物資や食糧の入手とロシアの降伏という当初の計画を全く達成できず、同年(1812年)10月19日(月)に退却するまで都市の焼け跡で無為な時間を過ごしたことが同年(1812年)12月の大敗北に繋がったことを指している。ナポレオンは1814年4月11日(月)にフランス皇帝からの退位に追い込まれる。

5

Nor adverse winds, nor floods of rain

逆風も淫雨(いんう)の大水(おほみず)も防ぎ止むること無く、

Might stay the thrice-accursed bane;

留(とゞ)まれましは三度(みたび)呪(のろ)はれたる慘毒(さんどく)。

And with unsparing hand,

而(しかう)して手を緩(ゆる)めること無かり、

Impartial, cruel and severe

無差別に殘虐に過酷にして、

It travelled on allied with fear

其()は旅を爲()せり、恐怖と聯合(れんがふ)して、

And smote the fatherland.

日耳曼(ゲルマン)の父祖の地[註4]を打ちのめせり。

註4: ドイツ語の Vaterland (ファータラント)の英直訳である fatherland (ファーザランド)という単語を用いてドイツ本国を表現している。

6

Fair Alsace and forlorn Lorraine,

麗(うるは)しきアルザスと寄る辺()なきロレーヌ[註5]

The cause of bitterness and pain

悲苦痛(ひくつう)の因果(いんぐゎ)と成りぬ

In many a Gaelic breast,

物、數多(あまた)の蓋爾人(ゲールじん)の乳房(ちぶさ)に入()りたる物よ、

Receive the vile, insatiate scourge,

受けよ、下劣なる飽くこと無き疫病を、

And from their towns with it emerge

而(しかう)して諸々(もろ/\)の町より出でて其()と共に爲()せ出現を、

And never stay nor rest.

決して留(とゞ)まること休むこと勿(なか)れよ

註5: この詩が書かれた十九年前の1871年ドイツ戦勝から、この詩の二十八年後の1918年ドイツ敗戦までの四十七年間、アルザス(Alsace)とロレーヌ(Lorraine)はドイツ帝国直轄領エルザス=ロートリンゲン(Elsaß-Lothringen)であった。

7

And now Europa groans aloud,

而(しかう)して今やエウロパ[註6]の苦悶するは聲(こゑ)を大にして、

And ’neath the heavy thunder-cloud

而して厚き雷雲(らいうん)の下(もと)にて、

Hushed is both song and dance;

抑(おさ)へ附けらるゝは歌舞音曲なり。

The germs of illness wend their way

病原菌は進み行く、

To westward each succeeding day

西へ西へと日々刻々、

And enter merry France.

而(しかう)して入()るは愉(たの)しき佛蘭西(フランス)なり。

註6: 元来はギリシア神話の登場人物エウローペー(希 Εὐρώπη = Eurōpē)のことだが、ここではヨーロッパ(英 Europe ラプ)を擬人化している。

8

Fair land of Gaul, thy patriots brave

麗(うるは)しき高盧(ガリア)の國[註7]、汝(なんぢ)の勇猛なる烈士ども、

Who fear not death and scorn the grave

死をも恐れず墓を嘲笑(あざわら)ふも、

Cannot this foe oppose,

此(この)敵に対峙すること能(あた)はず。

Whose loathsome hand and cruel sting,

敵の忌(いまは)しき手と殘虐なる棘(とげ)とを、

Whose poisonous breath and blighted wing

敵の毒を帶びし吐息(といき)と胴枯れしたる翼(よく)のことを

Full well thy cities know.

汝の都市群が能()く知る通りなり[註8]

註7: フランスを表す。

註8: この行はチャーチルの原文でも脚韻(rhyme)を放棄している。

9[註9]

In Calais port the illness stays,

カレー港[註10]にては今般の病(やまひ)滯留、

As did the French in former days,

恰(あたか)も昔日(せきじつ)のこと佛蘭西人(フランスじん)どもが爲()せし如(ごと)くに、

To threaten Freedom’s isle;

自由の島國[註11]を威嚇(ゐかく)せんとして。

But now no Nelson could o’erthrow

蓋(けだ)し今やネルソン[註12]を以(もつ)てしても打倒し得ぬのは、

This cruel, unconquerable foe,

此()の殘虐にして制壓(せいあつ)不能なる敵なれば、

Nor save us from its guile.

彼()を以てしても我等(われら)を策略から救ふこと能(あた)はず。

註9: この連(stanza)以降では和訳の脚韻(rhyme)を放棄する。

註10: フランス北部の国際港でイギリスへの玄関口。イギリスにとってとかく因縁の地であり、イングランド王国が女王メアリー一世(Mary I of England, 1516-58; 在位1553-58)の治世末期の1558年1月8日までフランスに保有していた最後の根拠地であったが、カレー攻防戦(Siege of Calais)でフランスに敗れたイングランド軍の撤退により、イングランド王国はフランスに於ける根拠地を全て失った。

註11: イギリスのこと。

註12: この詩が書かれた八十五年前の1805年10月21日(月)のトラファルガー海戦(英 Battle of Trafalgar; 仏 Bataille de Trafalgar; 西 Batalla de Trafalgar)でナポレオン軍とスペイン軍の連合艦隊を打ち破りながら戦死した英国海軍(RN: Royal Navy)の初代ネルソン子爵ホレイショ・ネルソン提督(Admiral Horatio Nelson, 1st Viscount Nelson, 1758-1805)のこと。

10

Yet Father Neptune strove right well

然(しか)れども父なる海神ネプトゥーヌス[註13]は力鬪(りきとぅ)せん、

To moderate this plague of Hell,

地獄の此(この)惡疫を抑(おさ)へんとして、

And thwart it in its course;

而(しかう)して其()を道半(みちなか)ばで阻止せんが爲(ため)に。

And though it passed the streak of brine

而して其は一筋の海水[註14]を突破し、

And penetrated this thin line,

而して此()の細き線[註15]を貫通したと雖(いへど)も、

It came with broken force.

其は來(きた)れり、破れかぶれの力を以(もつ)て。

註13: ローマ神話の海神であり、英語読みするとネプチューン。ギリシア神話のポセイドンに相当する。

註14: 英仏海峡(英 the English Channel; 仏 la Manche)のこと。

註15: 僅か20.7マイル≒33.3キロメートルのドーヴァー海峡(英 the Strait of Dover; 仏 le Pas de Calais)のこと。

11

For though it ravaged far and wide

と謂()ふのも、其()が遍(あまね)く荒廢(くゎうはい)を

Both village, town and countryside,

村にも町にも田舎(いなか)にも齎(もたら)したと雖(いへど)も、

Its power to kill was o’er;

其の殺傷する力は打止(うちど)めと成りぬ。

And with the favouring winds of Spring

而(しかう)して春の惠(めぐ)みの風を以(もつ)て、

(Blest is the time of which I sing)

(祝福されんかな、我の謳(うた)ふ時は)

It left our native shore.

其は我等(われら)が故國の陸(おか)を離れ去りぬ。

12

God shield our Empire from the might

神よ、我等(われら)が帝國を遮(さえぎ)り給(たま)へ、

Of war or famine, plague or blight

戰(いくさ)と飢餓と惡疫と害虫の威力から、

And all the power of Hell,

更(さら)には地獄のあらゆる力から、

And keep it ever in the hands

而(しかう)して其()[註16]を絕()へず保(たも)ち給へ、

Of those who fought ’gainst other lands,

他國に抗して鬪(たゝか)ひし者たちの手中に、

Who fought and conquered well.

能()く鬪(たゝか)ひ打勝(うちか)ちし者たちの手中に。

註16: 最後になって三人称単数非人称代名詞 it の指示内容が変わり、それまでのインフルエンザ(the influenza)から我等(われら)が帝國(our Empire)を指すようになる。

2020年8月、新型コロナウイルス(new coronavirus; novel coronavirus; WHO国際名称 Covid-19)が世界中で猛威を振るうコロナ渦中で原田俊明(はらだ としあき, b.1968)試訳。

【資料集】

The Influenza, 1890

America’s National Churchill Museum

https://www.nationalchurchillmuseum.org/winston-churchill-the-influenza-poem.html

Churchill’s flu poem

BMJ British Medical Journal 337

December 2007

https://www.researchgate.net/publication/232269362_Churchill%27s_flu_poem

Mark Honigsbaum, “The Great Dread: Cultural and Psychological Impacts and Responses to the ‘Russian’ Influenza in the United Kingdom, 1889-1893” (Roy Porter Student Prize Essay), Social History of Medicine Vol.23, No.2, pp.299-319

https://academic.oup.com/shm/article/23/2/299/1646518

Teen Winston Churchill Poem Finds New Audience During COVID-19 Pandemic

WestMo News

By Sarah Backer

April 3, 2020

https://news.westminster-mo.edu/campus-life/teen-winston-churchill-poem-finds-new-audience-during-covid-19-pandemic/

Churchill and Influenza: Lessons of Leadership and Courage

The Churchill Project

Hillside College

By Andrew Roberts

April 13, 2020

https://winstonchurchill.hillsdale.edu/influenza-roberts/

Winston Churchill | Poems: The Influenza 1890

https://www.youtube.com/watch?v=iNuEUaCNMlI

The Seeing Place Presents: #ThePoetryProject

https://www.youtube.com/watch?v=-IWRqFcY-pI

後期17「イギリス文化論」(2020/12/ 8) チャーチル英首相の戦時演説集

https://sites.google.com/site/xapaga/home/churchill1941