ふと目を覚ますと、サーと細かい雨の音が聞こえて。私はしばらくその雨音に耳を傾けていました。朝、でしょうか。どなたかが私を抱きしめて下さる感触がわかって。私はその御方のお胸に頬を擦り寄せました。いつもこの御方に護って頂いているような気がします。
「おはようございます、リテ」
優しく静かなお声で。私はそっと目を上げました。緩やかな銀髪に濃紫色の瞳をなさった御方が私を見つめて下さっていて。よく見ると、お背中には大きな輝く翼がおありでした。天使さまでしょうか。
「天使さま……」
私は驚いてしまって、しばらくじっとその御方を見つめました。
「ここは、天国ですか?」
私はいよいよ死ねたのだろうかと思って天使さまにお尋ねしました。天使さまは美しい瞳をパチパチと瞬きなさると
「そうかもしれませんね」
私の髪を撫でながら優しく微笑んで下さいます。私は天使さまに抱きしめて頂いているということが嬉しくて、ただそのお胸におすがりしておりました。天使さまのお胸は広く、あたたかくて。私を包んで下さいます。
「今日はアシムが帰省する日なのです。ゆっくりでいいですから、準備しましょうね。そろそろアイマンも部活動から帰ってくる時間ですから、私は迎えに行ってきますね」
天使さまは微笑まれたままそう仰ると、ベッド脇の機械にスッと手をかざされました。すぐ緑のライトが点灯して、メロンくらいの大きさをした銀色のボールがゆっくり宙に浮かび上がります。
「おはようございます、リテ様。私はサポートロボットのロディです。御用やご質問はございますか」
銀色のロボットさんは宙に浮きながら私の枕元まで来て、私に話しかけて下さいました。
「今日はアシムと食事をする日なのです。アシムとアイマンのことをリテに教えてあげて下さい」
「かしこまりました」
天使さまはロボットさんに指示をお与えになると、ベッドから出られました。立ち上がられると床に届きそうなほど大きな翼です。私はお別れするのが惜しくて、天使さまの後ろ姿をじっと見つめておりました。天使さまは私の視線に気づかれたのか、振り向いて私に笑って下さるとまばゆい光の中に消えてしまわれました。
◇◇◇
「こちらがアシム様です。18歳であられます。15歳で大学をご卒業後、ルイス・マイヤー様のお店を手伝っておられます。お隣におられるのが弟のアイマン様で、16歳であられます。手品がお得意で、高校では演劇部に所属されて活躍しておられます」
「はい」
私はロディさんがライトで照らして下さる写真を眺めながら、自分の子どもたちについて学びました。お部屋の壁には家族写真がたくさん掛かっていて、子どもたちの成長がつぶさにわかります。
「こちらがご主人のゼオラ様です。42歳であられます。王族の末裔で病院を経営なさっておられます。ただ今出張に出ておられ、しばらくお戻りになりません」
ロディさんが天使さまとそっくりな御方を差してそう仰るので、私は緊張してうなずきました。私は結婚していて、素敵な旦那様に立派な子どもたちまでいるということが不思議な夢のようで。皆さまへの感謝と畏怖を感じました。
「私は今何歳なのでしょうか?」
「リテ様は34歳であられます」
「34歳……」
私は美しい彫刻の施されたドレッサーの前に座るとゆっくり三面鏡を開いて、自分の顔をしみじみと見つめました。ロディさんに伺って肌のお手入れと薄いお化粧をして。皆さまにお会いするのにこれで大丈夫でしょうか。失礼がないか不安になります。
「おはよう、母さん」
そんな私に後ろから声をかけて下さる方がおられて。私は思わずビクッと肩を震わせました。
恐る恐る振り向くと、栗色の巻毛にボルドーのスーツをまとわれた男性が静かに笑っておられました。黒い革手袋をはめた御手に四角いカバンをお持ちで。ピカピカに磨かれた革靴でこちらへ歩いてこられます。
「こんにち、は……」
私は息を呑みながら、その御方をただじっと見つめていました。
「久しぶりだね」
その御方は慣れたご様子でベッド脇の椅子を持ってこられると、私の後ろへ座られます。先ほどの写真によると、この方が長男のアシムさんでしょうか? 私はこの立派な男性に母と呼ばれるのが信じられない気がして、ただ緊張しておりました。
「ごめんなさい、まだ着替えていなくて」
私は寝て起きたままの丈の長い服でしたので、恥ずかしく思って謝りました。
「いいよ」
アシムはスッと長い脚を組んで座ると、私を見つめて微笑みます。天使さまと同じ濃紫色の瞳で。吸い込まれそうな美しさでした。
「母さんは元気?」
「はい……ありがとう。アシム、さんは?」
「僕のことはアシムって呼んで」
「あっ、ごめんなさい」
アシムの言葉は優しいけれど有無を言わさない調子で、私は慌ててうなずきました。アシムはとても余裕のある様子でにっこり微笑んでいます。
「その耳飾り、似合うね」
アシムがそう言うので、私は改めて鏡で自分の耳をよく確かめてみました。ダイヤモンドでしょうか、可愛らしい耳飾りが両耳に光っています。
「家を出るとき僕が贈ったんだよ」
「そうなの。ありがとう……」
私は鏡の中のアシムにお礼を言いました。
「ごめんなさい、高かったでしょう」
「これは僕が魔法で作ったダイヤモンドだから。お金はかかってないよ」
前も同じことを訊いてしまっていたのでしょうか。アシムは可笑しそうに笑って教えてくれます。
「ピアスのように見えるけど、耳についてるだけなんだ。僕の魔力で吸い付けているんだよ」
母さんを傷つけるようなこと僕にはできないからね、とアシムは続けました。
「それのお蔭で僕は母さんの居場所がわかるし、すぐ会いにこられるんだ。いつまでも父さんや叔父さんに頼っていたら申し訳ないからね」
「そう……ありがとう」
先ほど天使さまも光の中へ消えてしまわれましたが、アシムも一瞬で移動するすべを持っているのでしょうか。音もなく突然お部屋へ現れたような気がしたので、私は感心してただ頷いていました。
「ごめんね。お仕事も忙しいでしょうに」
「平気だよ。僕たち月に一度は皆で集まって食事しているんだ。今日父さんは来られないみたいだけどね」
膝の上に両手を組んで座るアシムは大人そのもので、私はすごいなと思いました。同じ年月を経たはずなのに、私だけがいつまでも子どものままのような気がして、悲しくなります。
「母さんは変わらないね」
アシムはつぶやくように言うと、スッと椅子から立ち上がりました。どこかに行くのかと思って私もつられて立ち上がりますと、アシムは振り向く私をギュッと抱きしめてくれました。
「ただいま、母さん」
アシムの背は私より高くて、天使さまに似ていました。頬に広い胸があたって。思わず目を閉じます。
「おかえり、なさい……」
私たちはしばらく、そのままじっとしていました。この子が無事で良かった。こんなに大きく育ってくれて、という感謝の気持ちで私の胸はいっぱいになって。頬に一すじ、涙が流れました。