「なあ、香住《かすみ》」
3回目の飲み会で、突然アキノくんに話しかけられてびっくりした。
私の名前知ってたんだね。仕事では全然関わりないから、知らないと思っていた。
「お前たいして酒飲まねーのに飲み会とか。もったいなくね?」
「あっ、そうだね」
私は緊張して思わず下を向いた。
「でも、ジュースも美味しいよ。みんなの話きいてるだけでも楽しいし」
「そう」
アキノくんは私以外の女の子にもごく自然に話しかけてくれた。だから誤解を招くんだけど。
一生男子校のノリだもんね。仕方ない。
自分から話しかけるなんて絶対無理な私にとっては、すごくありがたいけど。
「せめてメシ食えよ」
「うん。ありがとう」
私はアキノくんと話せてすごくすごーくうれしかった。声録音したいなあ。
もうこの思い出だけで3年くらい生きていける。
「ハルカも一杯くらい飲めよ。ガキじゃねーんだから」
部長にすすめられて頼んだカシスオレンジで酔ってしまって、ヘロヘロしているときだった。
「なあ、その指輪」
アキノくんは私の右手を指さして言った。
「オニキス?」
「えっ……うん。そうだね」
私はアキノくんが石の名前を言うとは思っていなくて、すこし酔いがさめた気がした。
「お前もアセクなの」
「ううん、私はノンセク」
ノンセクだけどアセクにあこがれがあって。私はブラックリングをしていた。
「海外では、ノンセクもアセクのうちだから。いいかなって」
「俺ノンセクにはじめて会ったわ」
アキノくんはメガネを直すと、見下ろすように私をじっと見つめた。
あれほど飲んだのにちっとも酔っていなくて。やっぱりカッコいい。
「性欲のない恋愛感情ってのが、わかんねーんだけど」
「そうだよね」
私はカウンターにぐったり頬を乗せながら、アキノくんに微笑した。
「私もよくわかんないんだ。結局友だちの延長かもしれないね」
どんなに好きになったって、何もしたくはない。手もつながなくてもいいくらいだった。
「私、独占欲もなくて。相手に好きな人がいても別に構わないんだ。なんか自分でも自分がよくわからなくて」
「じゃあ不倫もできるな」
横から口をはさんだのは部長かな?
「それはないですね」
私はまた言ってると思って、あいまいに笑った。
「誰かを傷つけてまで恋したいと思ったことないです」
アキノくんは部長と私を交互に見ながら、しばらく黙っていた。
「部長! 会計お願いしまーす」
「全部は払わねーぞ!」
部長は小萩くんに呼ばれて向こうへ行ってしまった。
アキノくんは相変わらず無言でビールを飲んでいる。
「部長離婚してるよ」
「そうなんだ」
「知らねーの?」
「仕事以外、話さないから……」
私は部長にはあまり興味がなかった。
「お前万年フリーなんだって? 俺が付き合ってやろうか」
そう言われたときも完全に冗談と受け取っていた。だって部長にはときめかないし……。
ノンセクの私が言うのもなんだけど。
「あんな優秀な男振るとか。気が知れねえ」
アキノくんはタバコを取り出すと、肩をすくめてつぶやいた。
「仕事が忙しすぎたのかもね」
30代で部長になる人って珍しいだろうと思った。
おうちのこととか、奥さんに任せきりだったのかな。
私が奥さんだったら。やっぱりつらかっただろうと思う。
「俺はオメーらと違って二十歳《ハタチ》前からここにいんだよ。20年もやりゃあ、役職つくだろ」
支払いを済ませて戻ってきた部長が、ため息まじりに笑った。
「ハルカ、歩けるか」
アキノくんと話せて舞い上がった私は、すこし飲み過ぎたようだった。
いつもなら断るお酒も、なんとなく口をつけたりして。
あー、気持ちいいなあ。このまま死んでもいいくらい。
明日の朝はきっと二日酔いで最悪だろうから。飲み会が終らなければいいのにと思った。
ずっとアキノくんの声を聴いていられたらいいのに。
「送るよ」
私お金払ったかな? 部長が払ってくれたのかもしれない。
まあいいや、部長のすすめたお酒でこうなったんだしと思って、私は寝たふりをしていた。
実際眠ってしまいそうで。
「いいです。電車で……帰りまス」
言いながら、立ち上がれる気がしない。腰が抜けたみたいに動けなかった。
「いいから乗れ」
私は部長と誰かに肩を支えてもらって、タクシーに乗った。
アキノくんだったらいいのにな。小萩くんだった気もした。