御所にはまた姫君が入内され麗景殿女御と承香殿女御と呼ばれた。麗景殿さんは母の兄の娘で俺のいとこにあたる人で、承香殿さんは祖父の次に勢力の強い上流貴族の娘さんだった。葵さんを亡くしてもう一年が過ぎていた。
葵さんに語ったことを実行しなきゃ。背後に親きょうだい、従者たち、たくさんの利害を背負って緊張している彼女たちには何の罪もなかった。俺は選り好む気も起きず儀式的に肌を重ねた。綺麗な人たちだった。抱きしめあえば温かい。愛さなきゃ。遊びじゃないんだ。早く子ができると良いと思った。思いながら、出産を機に誰かが死んでしまうのはもう耐えられないと思った。
「元気だして」
俺があまりふさぎこんでいるので光《ひかる》のほうが励ましてくれるぐらいだった。光の新たな奥様は中宮さまの姪にあたる方らしい。次々女性を愛せるというのは強い能力だと俺は思った。それで救われるひとが大勢いるんだ。心理的にも経済的にも。
「斎宮《さいぐう》下向の件ですが」
「はい」
六条御息所さんに一生懸命|謝罪文《しゃざいぶん》を書いたこともあったなと俺はぼんやり思い出していた。
「伊勢までの勅使は直々に選ばれますか」
「任せます。院の仰せもあるので考慮して決めて下さい」
九月に入り斎宮が伊勢へ下る日が近づいていた。母である御息所さんもついていく予定のようだ。最近父上の体調が良くないことも俺の気持ちを沈ませた。
「怒ってるの?」
光がふと話し言葉に戻るので、俺は我に返って光を見た。
「なんで?」
「斎宮さんが惜しくて怒ってるのかと思った」
「惜しくてというのは?」
「女御にほしかったかと思って」
光が何心なく言うので俺は苦笑して首をふった。
「要らないよ、だれも」
今でも手一杯という感じがした。「来なくていいです」というのも失礼だし局《つぼね》はまだ余っているし、今後どうなるのか怖い。
九月十六日、斎宮は桂川で御祓をしたあと御所へ来られた。母の六条御息所さんも一緒だった。叔父上に特別に愛された方だが入内して数年で死別なさったのを悲しく思った。叔父上が今も生きておられたら、いったい何人の人生が変わっただろう。
忘れ形見の斎宮さんは十四歳で、もともと美しい人が母御息所さんの支度で引き立てられ、これから神に仕えるのがもったいなく思えるほどだった。
「遠い旅路ですが、ご無事を祈っております」
俺は別れの御櫛を贈って斎宮さんを見送った。伊勢という語が俺に海を思わせて。むかし儚い物語を書いたこと、それを読んでくれた人のことがただ懐かしく思い出された。
◇◇◇
十月になると父上の病状は悪化して俺は院へ行幸《ぎょうこう》した。父上はまず冷泉さんのこと、次に光を重用すべきことを繰り返し俺に仰った。
「遺言を違えるなよ」
「はい、必ず」
俺は答えながら悲しくて仕方なかった。その遺言を違えぬための力を俺に下さい。抑止力と実行力を、俺を帝に仕立て上げた人々を裏切り、ねじ伏せる力を。逆らう者を容赦なく斬り捨てる剣《つるぎ》と自由に天翔ける翼を。俺に下さい。
あまりにもがんじがらめで身動きが取れなくなっていた。帝の周りは女性ばかりで政治的な協力者など皆無に思えた。
俺が帰ったあと冷泉さんと光も父上に会いに行った。父上は冷泉さんを可愛がり、最後まで別れを惜しんでおられたそうだ。母も会いに行こうとしていたが、中宮さまがそば近くにおられるのが嫌でためらっているうちに父上は亡くなられた。十一月の初めだった。