年が変わって光《ひかる》三十四歳、冷泉さんは十六歳になられた。夕霧くんは十三歳かな。光は政務を譲ってしまったので新年の拝賀に追われることもなく、自邸でのんびり過ごしているようだ。夕霧くんは元気かな。まだ東の院にこもって勉強しているのだろうか。未来を変えたいと言っていたけれど……。
彼は未来を知りながら、わざと予言と異なる行動を取るつもりだろうか。自分の行動が変わることで周囲の人の運命がどう変わってしまうか考えると恐ろしくて、俺には中々できない気がした。かといって本に書かれている通りに生きる人生もつまらないだろうし。未来が見えるなんて、まったく悩ましい本が現れたものだ。
◇◇◇
二月二十日、俺の住む朱雀院へ行幸があった。春のうららかな陽気の中、帝をはじめ上達部、親王たちが次々と集まってくれる。
花の盛りにはまだ早いけれど、三月は入道宮さまの忌月なので冷泉さんが避けられたようだった。入道宮さまが若くして亡くなられてしまったのは本当に惜しい。光は女帝になってしまったと嘆いていたけれど。帝を支える母后としてあれほど優れた方はおられなかったように思う。
「こんにちは、朱雀さん」
冷泉さんはにこやかに微笑まれながらも隙がなかった。背も俺より高くなられ、何をお召しになられても似合うし、ますます帝王の威厳が増された気がする。藤色の御衣を着てくださったのも俺には嬉しいことだった。藤壺におられた入道宮さまを思い出すなあ。冷泉さんには紫と白の、まさに藤の花の高貴なイメージが似合う気がした。
「兄貴来たよ」
光も冷泉さんに召されて来てくれたが、黄赤の衣を黒い小物で引き締めていてとてもオシャレだった。光は黒の使い方がとても上手い。二人はわざと色を合わせなかったのかな。行幸で帝が着る衣といえば黄櫨染《こうろぜん》だけれど冷泉さんはわざと外して登場されて、それがより格好良さを感じさせる。
「後で着替えますね」
「いいよ、そのままで」
冷泉さんと光が二人並んで座ると帝が二乗されたようで有り難いなと思った。この時代に生まれてよかった。二人で何か話しながら時折視線を交わして微笑んだりされるのがとても良かった。この二人なら世界を分割する悪の話し合いをしても優雅なんだろうな。
「すー兄《にい》おつかれー」
蛍も正装して来てくれた。蛍はやっぱり緑が似合うなあ。いくつになっても爽やかで、でも強さもあって深緑って感じがする。夕霧くんも来てくれていたので俺は嬉しくなった。皆と同じ青白橡《あおしろつるばみ》の袍を着て座ってくれているけれど。夕霧くんには五節で着ていた濃藍色が一番似合う気がした。
今日は詩に優れた学生を十名ほど呼び、式部省の試験を真似てお題から詩を作ってもらった。冷泉さんの仰っていた夕霧くんの見せ場ってこれかな。夕霧くんは光に似てとても上手に詩を作る。「大したことありませんけど」って顔してるのがクールで格好よかった。冷泉さんも嬉しそうで。光は良い兄弟を育ててるな。
庭の池に舟を浮かべて、楽人たちを乗せて演奏させるのも優雅で趣深かった。舟の上で演奏できるって器用だよな。普段は静かで眺めているだけの池だけれど、たまには活用できて嬉しい。
南向きの庭で春鶯囀《しゅんおうでん》が舞われると、むかし父上が催された花宴《はなのえん》を思い出してむしょうに懐かしくなった。光は二十歳くらいだったかな。俺もまだ春宮で、葵さんも生きておられて。懐かしかった。あの時小さかった冷泉さんとまだ生まれていなかった夕霧くんがこんなに大きくなるなんて。俺も年を取るはずだと思った。
「懐かしいね」
光も同じ気持ちだったのか、俺に盃を差してくれた。
「うん。今日は来てくれてありがとう」
俺はしみじみと礼を言って盃を干すと、光にも注いだ。蛍は兵部卿になっていたが、その御礼にか冷泉さんに盃を差した。
「我が帝王の御世永遠なれー」
「桐壺院にはとても及ばないと思います」
冷泉さんは盃を受けながらフフフと笑っておられる。
「楽所が遠くなってしまったので、ここで弾きましょうか」
いよいよだなと思って俺は緊張した。
「やったー琵琶だ」
蛍は今日は琵琶をもらって嬉しそうだった。やっぱり琵琶が一番好きなようだ。内大臣さんは和琴《わごん》で俺はこっそり練習していた箏、光は琴《きん》をもらった。この顔ぶれに混ざって弾くのは勇気がいるな……。俺はただ軽やかに、皆の響きに調和することだけを意識して弾いた。息の合った演奏をすると楽器たちが喜ぶかのように歌うのが面白い。そのうち暗くなり月も出てきたので池の中島に篝火をたかせた。松明の炎が水面に反射して幻想的に揺らめいた。
宴の後、夜も更けてもう皆帰るような時間だったが、冷泉さんは朱雀院の東北の対に住む俺の母にもわざわざ会いに来て下さった。
「ご丁寧に。痛み入ります」
母は年を取りながらも息災で、帝を前に姿勢を正し慇懃に頭を下げる。
「大后さん、ご無沙汰してます」
付き添いに光も来ていたので挨拶すると、母はチラと目を上げただけで何も言わなかった。
「元気ないですか?」
「敗軍の将は兵を語らずよ」
母は微かに笑って、光との対面を少し楽しんでいるようだ。
「煮るなり焼くなり、好きにするが良い」
光は母の潔さに好感を持ったのか、微笑んで答えた。
「俺今度春宮様に娘を差し上げるので。俺たちの血筋、残していきましょうね」
母は少し驚いたような目をしていたが、
「貴様、帝の外戚になるか……」
苦虫を噛み潰したような顔で言うとぷいとそっぽを向いた。俺は光と冷泉さんに平謝りして帰ってもらって。母が昔の邪心を取り戻さないかと内心ヒヤヒヤしていた。