光《ひかる》三十一歳の三月、前斎宮さんが入内なさった。入道宮さまは以前の位を惜しまれ最近また「中宮さま」と呼ばれている。
俺は京へ戻られた御息所さんに挨拶もできなかったことを思い出し、前斎宮さんへ贈り物をした。御櫛の箱、香壺《こうご》の箱、薫物《たきもの》などの日用品で、いらなければ女房たちに配ってもらえたら良いと思った。
「叔父上やお母様が生きておられたら、今日の日をどれほどお喜びになられたことでしょう。末永く幸せにお暮らし下さい。」
父にも母にも別れた彼女には幸せになってほしかった。冷泉さんならお優しいからきっと大丈夫だと思う。前斎宮さんは梅壺を賜われ梅壺女御と呼ばれた。先に入内していた権中納言さんの娘さんは弘徽殿女御となっていた。
冷泉さんは十三歳になっておられたが、スラリと背が高く美しさは光譲りで、成長するほど魅力が増されるように思えた。女性にもとてもお優しいようで、いつ御所に伺っても女房たちは皆自然体で心地良さそうに仕えている。
◇◇◇
「結構な物を頂いちゃって」
梨壺の縁側で春宮が童たちと遊ぶのを眺めていると、光が隣にきて座った。
「一言お祝いが言いたくて。余計だったかな」
俺も前を向いたまま答える。
「無事入内されてよかったね。御息所さんは后になれなかったけれど、お嬢さんが入内なさって心から喜んでおられると思うよ」
光が親代わりになって梅壺女御の入内を進めたことは知っていた。幸せになられるといいな。冷泉さんに愛されればきっと幸せではないかと思うけれど。
「兄貴は正直でいいね」
光は遊ぶ童たちを見ながら静かに笑った。
「大后さんも自分に正直だったもんね。俺大后さんのことも嫌いじゃなかったな」
「そうなの?」
「京に帰ってからいろんな人が俺の周りに来るけど、権力におもねる人ばかりでね。俺に時勢があれば靡き、没落すれば離れ、またこうして返り咲けば裏切ったことも忘れて戻ってくる。そういう人たちばっかり。でも大后さんだけは俺が父上から愛されてどんなに時めいてたときでも一貫して俺のこと嫌ってたからね。信・用・で・き・る・んだよね。敵には回したくない相手だけど」
敵ながらあっぱれという事なんだろうか。光は話しながら懐かしそうに微笑んでいる。
「彼女のそういう真っ直ぐなところが兄貴にも伝わってるんだろうね」
「良いところかどうかはわからないけどね」
俺は照れて苦笑した。単純ってことなのかな。
「忙しかったのもあってずっと忘れてたんだけど、今にも崩れそうな邸で俺を待ってた人がいてね。凄いなと思った。荒れ果てた邸で何年もずっと、自分も調度も売らずにさ。変わらないって難しいことなのにね。まあ俺以外頼れる人が居なかったんだろうけど」
光は変わらぬ人を求めているのかもしれないと俺は思った。中宮さまが出家なさった時もすごく悲しんでいたし。
「皆身分が低くは無いんだよ。女御の妹とか親王の娘とか。俺だって帝のお気に入りだったのに須磨にまで行ったしさ。人生何が起こるかわからないよね。定めなき世って感じで……。ただ金で救えることならさ、してあげたいから。俺を信じて待ってくれてた人たちを世話する邸でも作ろうかと思ってるんだよね」
「……光って本当に、女性に人生懸けてるよね」
「そう?」
「うん。すごいと思う」
俺は感心して言った。少しでも関係があった人の面倒を死ぬまで見てあげるのだろうか。今の奥様も少女の頃から育てたと言っていたし。よくそこまでできるなと思う。ただの女性好きってレベルじゃない。守護者に近いと思った。