光《ひかる》のお嬢さんの入内は近年誰も見たことのないような素晴らしいものだったらしく、朱雀院の女房たちまでがその噂をしていた。光の奥様ではなく、姫君の御母上が御所に付き添われたようだ。位の低い人だと噂する女房もいたが、それ以上に春宮が姫君を気に入り通っているようだった。やっぱり予言は当たるんだな。俺はほっとしながら、若い二人の幸せを祈った。
「朱雀さん、六條院へ参りましょう。」
夏も過ぎて秋に入ろうかという頃、俺のもとに冷泉さんから文が届いた。
「父上が来年四十歳なのでそのお祝いを致します。何より夕霧くんの結婚お祝いを盛大に致します。朱雀さんもぜひいらして下さい。」
いつもクールな冷泉さんにしては力の入った文だと思った。夕霧くんのことになると冷泉さんの本気度が違う。ただ帝と院が同時に六條院へ行って大丈夫だろうか? いらして下さいって書かれているけれど光の邸だし……。俺は受け入れる側の光の苦労を思った。帝の命なので伺うことは確定しているのだが、一応光にも文できいてみる。
「冷泉さんの仰せだから槍が降っても伺うんだけど。行幸に俺も行って大丈夫かな?」
「全然大丈夫だよ。来てくれると嬉しいです。俺の歳なんて祝わなくていいからね。夕霧祝おう。」
光はさすがにかなり前から準備しているらしく、快く承諾してくれた。ドキドキするなあ。光の六條院はたしかに広いけれど、それでも帝と院が同時に来るなんて異例じゃないかな。
秋になると冷泉さんは光を太政天皇の位になぞらえ御封を加えられた。年官年爵も添えられて。光の扱いは元々重いがさらなる大盤振る舞いだ。これも予言通りだろうか? 光はどうやら成功者として安泰な余生を送るらしい。内大臣さんは太政大臣になり、夕霧くんは宰相中将から中納言になった。彼の地位もだいぶ昇ってきたな。冷泉さんの本気を感じる。
◇◇◇
十月二十日頃、六條院へ行幸があった。冷泉さんは朝から行かれていた。光も大変だな……帝がお越し下さることは栄誉ではあるんだけれど。
俺は時間差をつけるために午後になってから伺った。六條院は反橋や渡り廊下に錦が敷かれそこら中に雅な幕が張り巡らされて、まさにお祭り状態だった。池の東側には鵜飼がいたし。夕霧くんの結婚の祝われ方がすごい。
俺と冷泉さんは秋の町のよく紅葉が見える場所に御座をもらった。光が一段下に座っているのを冷泉さんが宣旨を出されて、俺たちの間に座ってもらう。今日の冷泉さんは容赦ないな。
「本当に、即位されなくて良かったですか」
冷泉さんが優しく耳打ちなさると、光は苦笑して首を振った。光は為政者として傑出した才能を持っているので、即位しないのは勿体ないように俺も思うけれど。光自身は今の暮らしに満足なんだろうな。二人で何か話したのか、冷泉さんも前より少しお元気そうになられた気がした。
池の魚と鷹狩で仕留めた鳥が、帝の仰せを受けた太政大臣さんの命で調理して出された。夕霧くんと雲居雁さんが結婚したことで、光と太政大臣さんの仲も戻ったようだ。政略結婚でもないのにすごいな。親王や上達部たちも来ていて蛍ももちろんいた。そのうち酒がまわり皆が酔いだす。
「昔もこういう宴があったね」
「紅葉賀《もみじのが》ね」
俺と光は二十年以上前のことを思い出していた。懐かしいな。本当にあっという間に感じる。日が暮れかかると楽所の人も来て心地良い音楽を奏でてくれた。殿上している童たちが舞ってくれる。太政大臣さんの十歳くらいの息子さんが上手に舞って、冷泉さんは御衣を脱いで下賜された。太政大臣さんはお礼の舞を披露する。
「青海波を一緒に舞ったこともありましたね」
上の席から光が話しかけると太政大臣さんははにかんで俯いた。若い頃は並んでいたように見えても、ついに届かないんだな……。彼だって元左大臣の長男で母親は帝の妹だ。従弟で皇子の光が臣下にされていなければ彼の出世はもっと早かっただろう。彼らの差はほんの僅かに過ぎない。
限られた官位を肉親で奪い合うこの仕組みは、いつか必ず限界がくる。熱意や能力があるにもかかわらず報われなかった人々の恨みが必ずたまる。皆それはわかっているのに今遅れを取るわけにもいかないので、やめられない。俺はこの京もいつか終りがくるのだろうと思った。きらびやかな見た目でごまかしているだけで、ここも一つの地獄なのかもしれない。
夕風が吹いて紅葉を散らすと、広い庭は錦を敷きつめたようになった。俺たちの前には楽器が出されて。やっぱりこの流れだよな……俺がドキドキしていると
「はいはい、そろそろいいかなー」
蛍が盃を持って冷泉さんと光の間にずいっと入ってきた。
「ずいぶん台本通りにやりましたねー冷泉さん」
「もっと派手でも良かったんですけどね」
冷泉さんはだいぶ機嫌良くニコニコと笑っておられた。軽く目配せなさると、下に控えていた夕霧くんが冷泉さんの隣にさり気なく座る。
「皆酔いましたか」
「太政大臣は寝てますね」
夕霧くんが答えると冷泉さんは嬉しそうに微笑まれた。
「夕霧くん、ご結婚おめでとうございます!」
「ありがとうございます」
冷泉さんは始終嬉しそうで、本当に夕霧くんが大好きでいつも応援しているんだなと思った。夕霧くんは少し酔っているのか耳が赤かったが、目つきはいつもより悪い。それが格好良く見えるのも面白かった。
「幸せだね」
俺はしみじみつぶやいて。この幸せがずっと続けばいいのにと思った。
「予言書ここで終わってたら良かったのになあ。俺今が一番幸せだもん」
光も俺と同じことをつぶやく。光は少し悲しそうに酒を飲んでいた。
「この後何か起きるの?」
俺は不吉な予感がして、つい光に尋ねてしまった。
「娘を入内させて息子が結婚して、肩の荷を下ろした人生の円熟期に爆弾落としてくんのが兄貴なのよ」
「俺?!」
俺はびっくりしてつい大きい声を出してしまった。
「そうだよ。俺の悲劇の裏には常に兄貴ありなのよ」
光がいかにも悲壮感漂う様子でそう言うので、俺までつらくなってしまう。
「そうなんだ。ごめんね……」
「仕方ないよ。俺たちそう定められた運命なんだろうね」
光はぐいと盃を干すとしばらく前を見つめた。予言書の作者は俺が嫌いなのだろうか。
「俺消えようか」
俺は六條院の広い池を思い出して。俺なら沈めるのではないかと思った。
「だめだめ。これ以上不確定要素増やさないの」
光は酔いながらも不機嫌そうに俺に注意してくれる。どうすればいいだろう。俺は怖くて読まなかった予言書の内容をついに訊かなければならない時が来たのだろうと悟った。