いよいよ年が明けて光《ひかる》四十七歳、冷泉さんは二十九歳になられた。夕霧くんは二十六歳。柏木くんはまだ三十一歳だ。それでも三宮と結婚してくれてから八年目になっていた。そろそろ飽きたり喧嘩したりしても良さそうなものだがそういう噂も聞こえてはこず、二人は仲良く過ごしているようだった。
「あけましておめでとうございます。元気にしておられますか。帝は柏木くんと仲が良かったよね。柏木くんのことについて何でも良いので教えて下さい。」
俺は新年早々我が子である帝に文を書いた。
「父上ご無沙汰しております。今年はいよいよ父上の御賀ですね! 姉上や柏木とも相談して準備を進めておりますので、楽しみになさって下さい。柏木ももちろん元気そうですよ。新年から良い竿の材料を探しに山へ出かけました。私も釣りがしてみたいので御所に池を造らせようかと思っております。」
「早速のお返事をありがとう。五十の賀はお気持ちだけで有難いけれど、祝ってくれるのは嬉しいです。御所に池を造るのは怒られるかもしれないので、朱雀院の池を使っていいよ。魚を放って釣りを楽しんで下さい。」
帝は春宮時代から柏木くんと仲が良いので、釣り好きの柏木くんにだいぶ影響されたようだった。竿の素材にまでこだわるとは凄い凝りようだが、元気そうでなによりだ。俺は三宮にも文を書いた。
「あけましておめでとうございます。三宮お元気ですか。柏木くんも変わりないかな。何か欲しいものがあったら送るので教えて下さい。」
「お父様ご無沙汰致しております。旦那様は御賀の準備にお忙しいようですが、月の良い夜などにどこか懐かしそうなご様子で和琴《わごん》を弾いて下さいます。とても素敵な音色ですよ。私たちは元気ですが、なかなか子ができないのが少し寂しいです。旦那様はまたお湯に行こうかと誘って下さってます。」
お湯というのは有馬の湯のことかな。山がちだけれど柏木くん気に入ってくれたんだろうか。有馬に行くなら春か秋かなと思いながら俺は文を読んだ。三宮に和琴を弾いて聴かせてくれている……。いつものことなのだろうが、迫り来る死を思うとこれも貴重な思い出づくりのように感じられ、胸が痛んだ。柏木くんは落ち着いているように見えるが、すでに覚悟を決めているのだろうか。予言書を読まなかった俺は彼の死を未だに信じられず、いつまでも信じたくなかった。
◇◇◇
「紫《むらさき》も異常無しだよ。五十の賀は二月で決まりだね。」
一月末、光は文でそう知らせてくれた。良かった、奥様もお元気なようだ。俺の五十の賀は当初の予定通り二月十何日に、三宮が降嫁した柏木くんの邸で行われた。光をはじめ、帝や冷泉さんも御祝いの使者や贈り物をくれて俺は皆の心遣いに感謝した。
「蛍のお子さん……! 大きくなったね」
「可愛いでしょー」
蛍の下の息子さんが二人、綺麗な衣装で舞ってくれたので俺は感嘆の声を上げた。まだ五、六歳くらいかな。夕霧くんの三男くんと変わらない年頃なのが凄い。光や俺は孫がいるというのに、蛍って本当モテるんだな……。蛍のお子さんたちを見守る眼差しも優しくて。ただ彼は自宅で一緒に住む人は未だにいないようなので、亡き奥様はよほど特別な存在なのだろう。
玉鬘さんや夕霧くんのお子さんたちも可愛く舞ってくれて俺は微笑ましく思った。こんなに小さな子たちがここまでしっかり舞えるなんて、たくさん練習したんだろうな。
「朱雀さん、おめでとうございます」
柏木くんもニコニコ笑顔で俺を迎えてくれて、顔色もいいし元気そうだった。柏木くんはこの小さな舞人たちの衣装を担当してくれたそうで、色彩感覚や服飾のセンスが抜群のようだ。この祝賀の労に報いたのか、帝は柏木くんを中納言に加階させてくれた。
出家の俺に相応しく五十の寺で御誦経がなされたほか大日如来を供養する経も読誦され、華やかな中にも厳かな雰囲気が漂って俺は心洗われる気がした。柏木くんの邸には父である致仕大臣さんをはじめ柏木くんの弟さんたち、大臣や納言たち、夕霧くんも来てくれて俺は幸せだった。
「皆忙しいのにありがとう」
俺は自分の五十歳が嬉しいというより少しでも予言を違えられたことが嬉しくて、皆に感謝を伝えた。俺の祝賀をきっかけに皆が集まって笑顔になってくれるのは嬉しい。柏木くんは致仕大臣さんにとって自慢の息子で、弟さんたちにとっても自慢の兄なんだろうな。
「俺たちの演奏も聴いて下さいますか」
柏木くんはそう言うと、奥の部屋で三宮の琴《きん》を支えるように和琴《わごん》を奏でてくれて。二人の合奏が聴けて俺は万感胸に迫る思いだった。柏木くんと結婚してから、三宮は愛されて幸せそうな雰囲気になったな。二人が出会えて、一緒になってくれて良かった。母である源氏宮が生きておられたら、今の娘の幸福を喜んで下さっただろうか。
三宮を柏木くんに嫁がせたことについて俺に後悔はなかったが、予想される彼の寿命の短さだけが悲しく懸念された。予言書なんて見つからなければよかったのに。いや、見つかってよかったのだろうか。できるだけ予言を引っ掻き回すよう努めたつもりではあるけれど。
俺たちの住むこの世界は誰かの創造物で、俺たちは駒の一つにすぎず、運命は変えられない、のかもしれない。それでも今日の日は予言と違っていた。今日が変われば明日が変わり、明後日もその先もきっと変わっていく。目的地は同じでも、見える景色や思い出が良いものに塗り替わっていく。あの予言書は俺たちの未来ではなく過去だったのかもしれないと俺はふと思った。俺たちはもう一度人生をやり直すためにここにいるのかもしれない。