いよいよ年が明けて、光《ひかる》三十六歳、冷泉さんは十八歳になられた。夕霧くんは十五歳。皆大人になったなあ。今年はいろいろ忙しくなりそうだなと思いながら俺は祭壇の前で手を合わせた。葵さんが亡くなられてもう十五年も経ってしまった……。いつでも祈れるよう、俺は院の中に持仏堂を設けていた。
桐壺更衣から始まって、父上、葵さん、入道宮さま、いろんな方のことを祈った。光の亡くした恋人のことも。この人の娘さんが玉鬘という人なのかな。光がショックで泣いていたのは十代の頃だから、もう二十歳は超えているだろうか。どうなったら彼女は幸せなんだろう。幸せというのは本人の中にあるものだから、推し量るのは難しい。
今年は男踏歌があって夕霧くんも舞人に選ばれた。始めは帝の御前で舞い、次に朱雀院にも来てくれる。夕霧くんや柏木くん、その弟たちが足を踏み鳴らしながら上手に舞った。すこし雪が散らつく中、竹河を歌いながら庭を練り歩く彼らの姿は美しかった。夕霧くんたちは母の所にも来てくれて、次は光の六條院に行くらしい。
「お疲れさま」
俺は彼らに飲み物や軽食を提供して、寒い中舞ってくれた労をねぎらった。夕霧くんは白い息を吐きながら頬を少し火照らせていたが、寒がってはいなかった。
「おそらく三月です」
夕霧くんは俺を見つめると手短に言った。
「六條院へ同行願います」
「はい」
俺はうなずきながら、つい視線を柏木くんに移した。柏木くんは夕霧くんより五歳ほど年上の従兄で内大臣さんの長男だ。優しく礼儀正しい青年で、内大臣さんの和琴《わごん》の腕前を最も受け継いでいると評判だった。俺がついじっと見つめてしまったせいか、柏木くんは俺の視線に気づくと微笑んで頭を下げた。
この子を俺が殺すのか……? この子と三宮の間に何があるんだろう。俺は時間を止めてしまいたく思った。今日の柏木くんは元気で、夕霧くんと並ぶと互いに輝きを増すような相乗効果がある。若い頃の光と内大臣さんのようだった。
◇◇◇
三月二十日頃光の住む六條院で春の宴があるらしく、夕霧くんがわざわざ俺を迎えにきてくれた。
「これでいいかな」
俺はまだ不安だったが、夕霧くんが無言でうなずくので彼の車に同乗させてもらって六條院へ向かう。緊張するな……。
六條院はあまりにも大きく、来客が多いせいで門の前で車が混み合っていた。俺は夕霧くんについて車を降りると、下を向いて顔を隠しながら長い廊下を歩いた。
「すげえ」
俺を見た光は開口一番そう言うと近づいてきて、上から下までじろじろ眺めた。夕霧くんは光に俺を引き合わすと用があるのか先に行ってしまう。
「誰かと思った。誰の発案?」
「冷泉さんがわざわざ誂えて下さって」
俺は薄化粧をして尼の格好をしていた。地味な法衣に袈裟を着けて数珠を持ち、髪を隠すための頭巾をすっぽり被っている。袈裟って良いものだな。俺も早く出家したいなと思った。
「どっからどう見ても尼だわ」
光はそれに感動したようで、何度もうなずきながらしみじみとつぶやいた。そうかなあ。背は女性よりかは高いつもりだけれど。
「ごめんね。招かれもせずに来ちゃって」
「それは全然いいけど、なんで女装してんの?」
「俺もよくわからないけど」
さすがに院が来ると目立つということなのかなと俺は思っていた。俺の顔はこの前の行幸で皆にバレているので、ちょっとやそっとの変装ではダメなのかな。有名人のオーラは全くない自信があるんだけれど。
「兄貴も玉ちゃんを見に来たの?」
「いや、俺がいると未来が変わるかもって夕霧くんが言うんだ」
「へえ」
光は興味深そうにうなずくとニヤリと笑った。
「夕霧に使われてるんだ」
「まあ、そんな所です」
「院にここまでさせるのはあっぱれだわ」
光は夕霧くんを褒めているのか、心地よさそうに笑った。
「俺ここにずっといていいかな」
俺は六條院にいさえすれば役目は果たせるのかなと思って控えめにきいてみた。
「せっかく来たんだからうちの庭でも見ていきなよ。場所作ってあげるから」
光はそう言うと、女房たちに何か頼んで俺に白い扇をくれた。
「それで顔隠しながら見ればバレないよ」
「なるほど」
俺は扇を開いて顔の下半分を隠す練習をした。
「御簾垂らして外から見えないようにしてあげるね」
「ありがとう。お世話になります」
俺は頭を下げたが、光は始終機嫌が良さそうに見えた。急に来たのに至れり尽くせりで、光って女性に見えるだけでだいぶ優しくしてくれるんだなと俺はなんだか可笑しく思った。