俺の譲位に合わせ伊勢へ下っていた斎宮《さいぐう》も交代になり、お母上の六条御息所さんと共に京へ戻られた。六年ぶりの帰京だった。あの頃は葵さんを亡くして本当につらかったな……。斎宮さんに別れの御櫛を贈ったことが懐かしく思い出される。
御息所さんは元の六条のお邸を修理してとても華やかにお住まいとのことだった。綺麗な女房たちも多く、若い公達が集う邸宅になっているようだ。
ただ御息所さんは体調が優れなかったのか、出家後程なくしてお亡くなりになられた。光《ひかる》は御息所さんの葬儀一切を取り仕切り、立派に見送って差し上げたそうだ。葵さんのことで大変お世話になったなと思いながら俺は西の空へ手をあわせた。今ごろ叔父上と会ってお話されているだろうか。
「斎宮さんのことなんだけど」
光はある夜、めずらしく朱雀院まで来てくれると俺と一緒に酒を飲んだ。
「兄貴、お嫁さんにいる?」
「えっ? いいよいいよ」
俺は驚いて首を振った。朱雀院には俺が帝だった頃入内なさった女性で帰る家のない方が来られているけれど、正直朧月夜さん一人でも持て余しているのでこれ以上は無理だと思った。
「そっか。良かった」
光はほっとしたような表情で酒を飲む。
「どなたかに嫁がれるの」
「うん。冷泉さんに差し上げようかと思ってるんだけど」
「そう」
帝だから仕方ないけれどお嫁さんがどんどん送られて来るなと俺は思った。
「斎宮さんすごく綺麗だったもんね」
「やっぱりそんなに綺麗なんだ」
光はそれが気になるようで少し考えている。
「光がほしいの?」
「いや、御息所さんに遺言で『絶・対・手・出・す・な・』って言われてるから」
なんという遺言をもらってるんだと思って俺は苦笑してしまった。まあ恋人だった人の娘とも付き合うというのは、さすがに抵抗あるかな……。
「俺さ、入道宮さんに相談したんだよ。冷泉さんに差し上げていいかって。その時『兄貴がほしがってる』って話してさ」
「ほしがってないよ?」
「いやわざとさ。そう言ったらどう反応するかなって。そしたら彼女『院からのお申し出は知・ら・な・か・っ・た・こ・と・に・し・て・帝に差し上げましょう』って言うんだよ。『院もそれほどお咎めにならないでしょう』って」
「うん。全然怒らないよ」
だって元々お嫁に望んでないしと思って俺はうなずいた。光は干した盃を持ちながらしばし考えにふけっている。
「俺こんなこと言う人なんだって、意外だった」
光はショックを受けたようだった。
「考えてみたら、俺彼女と恋以外の用件で話したことなかったんだよ。こういう事務的な話ね。彼女はすごく賢くて話が早くてそれは良いんだけど、なんか権力者の思考なんだよね。さすが先帝と后の間に生まれた方だなって感じるというか。一言で言うと兄・貴・を・侮・っ・て・る・んだよ。大后さんに意地悪された仕返しかもしれないけど、この前まで帝だった人に対してそれ? って思ってさ。なんかモヤモヤして」
俺が光の盃に酒を注ぐと、光はそれをじっと見つめてゆっくり口を付けた。
「俺は兄貴が斎宮さんに執着してないこと知ってるから別にいいやと思ってるけど、院から先に申し出があるのに『知らんふりであげちゃえば』って酷くない? 横取りと同じだよ。もし俺が兄貴の立場でそれされたら絶対腹立つもん。そういうこと平気で言う人なんだと思って、なんかショックだった」
「院と現役の帝の御母上だったら、御母上のほうが立場は上なんじゃない?」
「でも父上は院だった時も絶大な権力持ってたじゃん。兄貴の母である大后さんを抑え込んでた。息子が帝になった途端その態度かよって、なんか複雑だよ」
俺は何も言えなくなってしまって、ただ光を見つめた。光は酒に映った月を見ていて。
「可憐で儚げで俺が守ってあげなきゃとか思ってたけど、勝手な思い込みだったのかもしれないね。俺は恋に必死で見えてなかっただけで。あれが彼女の本質で、邪魔者が誰も居なくなったから現れてきただけなのかもしれない」
光が盃を差してくれるので俺も飲んで。なんかしんみりと考え込んでしまった。
「女って、変わるよね」
光はそれだけ言うと、また黙ってしまった。