光《ひかる》の作った六條院は、春夏秋冬を表現した四つの町でできているそうだ。春の町は光と奥様、秋の町は梅壺中宮。玉鬘さんは夏の町の西の対にいるって言ってたかな。とにかく広い。一つの町が普通の邸一つぶんだ。春の町と秋の町が南側にあって、庭の大きな池が繋がっていた。
光の邸に仕えている女房たちは優しい人が多いようで、院の俺が尼姿で突然訪れても嫌な顔ひとつせず丁寧に応対してくれた。姿は尼だが声は出さないほうがいいだろうということで、光は俺の代わりに返事やお願いをする人をつけてくれる。
俺は春の町の片隅に居場所を作ってもらったが、梅や桜など春らしい草木がたくさん植わっていて、花の香りと薫物《たきもの》が合わさり極楽浄土を思わせた。女房や侍女たちの衣装も美麗でとても華やかだ。殿上人や親王も大勢来ていたのでこの人たちにはバレないようにしないとと俺は思った。光の奥様の指示で唐土《もろこし》風に飾った舟を池に浮かべて秋の町の方へ渡らせたり、遊ぶ様は絵のように優雅だった。
「すー兄《にい》おつかれー」
御簾をわずかに開けて俺を見た蛍が一瞬固まって
「すげー……」
目をパチクリしているのがなんだか可笑しかった。身内を騙せているということは少しは自信を持っていいのかな。俺は少女に扮したヤマトタケルを思い出したが、あんな武勇はとても無理で大人しく座っているのがせいぜいだった。蛍の気配が去ってしばらくぼんやりしていると、今度は夕霧くんがやってきて御簾の下から紙をスッと差し入れた。
「この宴は朝まで続いた後、いったん解散し午後から秋の町に移ります。」
夕霧くんの動作は静かで素早くいつも無駄がなかった。この紙も返事は要らないのか、差し入れたと思ったらもう俺から離れている。すごく有能な工作員という感じがした。柏木くんは元気かな。俺は皆の未来が心配でこの絢爛豪華な宴を楽しむ余裕は全くなかった。柏木くんの命が助かるなら、年寄りの俺が代わりに死んでも一向に構わないんだけれど。
◇◇◇
日が暮れて夜になると庭に篝火がたかれた。楽器が出され、弾くもの吹くもの、我こそはと思う貴族たちが自慢げに奏でている。若い公達は皆玉鬘さんに夢中のようだった。光の婿になれるかもしれないというのも魅力なんだろうな。催馬楽《さいばら》の青柳を蛍が情緒豊かに歌うので、俺はしばらく耳に留めて聴いていた。そのうち疲れが出たのか、うつらうつら舟を漕いでしまっていて。
「俺の曹司へ」
不意に御簾の外から袖を引かれて俺はハッと目を覚ました。夕霧くんの声だ。夕霧くんは俺を伴うと人を避けつつ器用に歩いた。もう夜だからこの町も戸締りするんだろうな。夕霧くんは夏の町に自分の曹司を持っているらしく、女房たちに何事か囁くと俺を中へ入れてくれた。
「寝てて下さい」
「ありがとう」
夕霧くんこそ寝たらいいのにと思ったが、忙しいのかすぐ去ってしまった。台本にない俺がいるのだから余計な手間が増えているのだろう。申し訳ないな。俺はお言葉に甘えて頭巾を脱ぐと部屋の隅で横になり、体を丸めた。すぐ気を失ったように眠って。
次起きた時にはすでに日が昇り、俺の体には女物の衣が一枚かけられていた。誰かが気遣ってくれたのかな。部屋の真ん中では夕霧くんと柏木くんがスヤスヤ寝息を立てている。こんな若い子を夜通し使うような宴はよくないよな。貴族は夜ふかしするから体に悪い。
二人とも冠を脱ぎ襟を緩めただけで倒れ込むように寝ていた。本当に仲がいいんだな。しっかりしているけれど寝顔はあどけないなと思って俺は二人を見ていた。
「御用はございますか」
しばらくすると事情を知った女房なのか、密やかに俺に声をかけてくれる人がいた。俺は有り難いなと思いながら彼女について歩き、手洗いを借りて顔を洗うとスッキリした。今日は何があるのかな。気を引き締めていかないと。俺が夕霧くんの曹司に戻ると、ちょうど柏木くんが仮眠から目を覚ました所だった。
「おはようございます」
「ごめん、起こしたかな」
「いえ」
柏木くんは少し茶色がかった綺麗な髪をしていた。寝ている間に乱れた髪を右肩で一つにまとめている。
「妙な格好ですみません」
「いえ、お疲れ様です」
俺は頭巾を脱ぎ化粧も落としながら衣装だけ女物というちぐはぐな出で立ちだったが、柏木くんは苦笑して労ってくれた。まだスヤスヤ寝ている夕霧くんを起こさないよう、ヒソヒソ声で話す。
「ごめんね、俺の娘が迷惑をかけてしまうらしくて」
「とんでもないです。こちらこそ」
柏木くんは遠慮がちに首を振ると、夕霧くんの寝顔を見守りながら微笑した。
「夕霧が、俺はこのままじゃ死ぬって言うんです。なんか不思議な気がして。そんな冗談を言う奴じゃないから、何か理由があるとは思うんですが」
俺は胸が苦しくなって、しばらく何も言えなかった。
「今はどこも悪くない?」
「ええ、全然」
柏木くんが笑うので俺はひとまずほっとした。二十歳くらいの若者が簡単に死ぬわけないよな。
「何かあればすぐに言ってね。俺にできることは何でもするから」
「ありがとうございます」
柏木くんは穏やかに笑って、本当に良い青年だった。この子が死んでいいわけがない。なんとしても守らなくては。俺は固く決意したものの、具体策は何も思い浮かばない自分が歯がゆかった。