秋になり風も涼しくなってきて、御所に仕える皆も人心地ついたようだった。柏木くんは頭中将になって順調に出世している。この官職名は彼のお父さんを思い出させて懐かしいな。その内大臣さんの娘さんが新たに発見されて、弘徽殿女御に仕えるらしいという噂を皆がしていた。光が玉鬘さんを引き取ったことに対抗したのかな。本当は彼女も彼の娘さんなんだけれど……。内大臣さんの競争心も天性のものだろうか。
ある夜、俺は光《ひかる》が呼んでくれたので久しぶりに六條院へ行った。光も少し元気がなくて。皆未来について悩みを抱えているようだ。
「あの予言書にさ、『琴を枕に二人で添い臥す』ってあんのよ」
「……すごいね」
「すごいのよ」
かなり攻めた予言書だなと俺は思った。
「その通りにしたの?」
「……したね」
「したんだ」
だろうなとは思ったけれど。そのわりに光の表情は冴えない。
「したけど甘い気持ちとかには全然ならなくて。俺これからどうしたらいいんだろうって、悩んでさ」
光はごろんと寝転がると両腕を枕に天井を見た。その時の気持ちを思い出しているのだろうか。考え事のお供に鳴らす雅な扇も今夜は手に持ったままだった。
「玉ちゃんの人生って何のためにあるんだろうって。好きでもない髭黒の子でも、生まれる運命なら産まなきゃいけないのかな。彼女の人生って子を産むためにあるんだろうか。純粋に自分の幸せ追求したらいけないのかなって」
「本当にそうだよね……」
俺たちは子がほしくても自分では産めないから運を天に任せると言うか、ある意味無責任でいられるけれど。女性の幸せって何だろう。子を産めば絶対幸せなのかな。そりゃ赤ちゃんは可愛いだろうけど……。
「玉ちゃんさ、予言書以上に俺になびいてきてて」
光は嬉しいというより困惑した表情をしていた。
「一番じゃなくてもいいって言ってくるんだよ。ここに置いてもらえればいいって」
「そうしてあげるの?」
「わからない」
光はため息をついて目を閉じた。
「紫《むらさき》より上の扱いをしてやることはできないんだ。それは確定してて。それをわかってて二十二の女を囲っていい気がしない。玉ちゃんは間違いなく誰かの一番になれる人だと思う」
「そうだね」
光は彼女に誰かの一番になってほしいと思ってるんだな。でも誰ならできる? 誰なら彼女を笑顔にできるんだろう。
「夕霧も元気ないよね」
「うん」
光もそのことに気づいてくれていたんだと思って俺は内心嬉しかった。
「この前蛍がうちにきて、夕霧くんと話して。あの本を柏木くんに読ませたらって言うんだ。死期がわかるなら知りたいだろうからって」
「……キツいな」
光は呻くように言うと完全に黙ってしまった。月の暗い夜で、光の居所の前には篝火がたかれている。
「あの本を燃やしてしまえば。皆自由になったりしないかな」
「兄貴にしては暴力的だな」
俺の意を決した言葉に光は少し笑うと、横を向いて篝火の炎を見つめた。
「皆を助けたくて。呪われてもいい。俺がやるよ」
俺はあの本は呪術の類ではないかと思った。予言の呪縛から皆を解放したい。選択肢と可能性にあふれた人生を送ってほしい。
「皆の未来を取り戻そう?」
「まあ落ち着いてよ」
光は寝転がった姿勢から起き上がると、前のめりになる俺をなだめてくれた。
「物理的にあれを葬ったからって未来が変わるとは限らないよ。利用するほうに考えないと。蛍の言うことも一理あるし」
柏木くんに見せる、か……。
「柏木くんが亡くなるまで、あと何年くらいある?」
「十二年ってとこかな」
「そんなに……」
死期を知らせるには早過ぎるのではないかと俺は思った。
「若い奴にはあっという間さ」
十二年後に死ぬって言われたら、俺ならどうするだろう。京を出て旅でもするだろうか。柏木くんは何がしたいだろう。
「兄貴が何かして春宮様や子々孫々に影響があっても困るから。下手なことしないでね」
「うん。ごめんなさい」
光にそう言われて俺は反省しながらうなずいた。昔俺が出家すると言ったときも光はこうして止めてくれたっけ。俺っていつも自分のことばかり考えて先走るから。すぐ周りが見えなくなってしまう。
「夕霧来てるから、見に行こうか」
俺は光について歩くと、夏の町の東の対へ行った。夕霧くんはほのかな灯りの中、凛々しい横顔で笛を吹いている。柏木くんの笙《しょう》と吹き合わせて。二人の合奏は闇夜を照らす星明りのように良く溶け合っていた。
光は二人を邪魔しないようになのか、廊下の途中で立ち止まり遠くから夕霧くんを見ていた。心配そうな親の顔で。光はこんなにも父親なのに夕霧くんには意地でも見せないんだろうなと思うと、親子というのも辛いものだと俺は思った。