光《ひかる》十八歳の十月に、父上の朱雀院への行幸があった。俺も春宮だからお供して、設えられた席に座る。紅葉も色づき終わり葉が落ちはじめる頃だった。上達部や殿上人、お付きの者たち、大勢が見守る中、光は頭中将さんと青海波を舞った。頭中将さんは葵さんと母も同じくする兄だった。体格もよく、光の隣に立っても負けじという気迫が伝わってきて勇壮な人だと思った。
四十人もの垣代《かいしろ》が鼓や鐘、笙、笛を吹き立てる半円陣の中、二人は立派な舞装束に身を包み、並び揃って舞った。頭中将さんからは「我が晴れ舞台とくと見よ」という強い気合いが感じられたが、光はどこか物憂げで落ち着いているように見えた。落ち着きながらも心の奥底では鋭い刃を研いでいるような言いしれぬ凄さが目元に漂い、舞をより劇的に見せる。
色づいた木の葉が深山おろしに散り交い光の周りを取り巻くと、火焔が命を持って光を守護するようにも感じられ、恐ろしいほどの美しさだった。誰もが言葉を忘れ見入る中、当の光だけはどこか遠くを見るような目つきで淡々と舞を終え、ほっと息をついた。光はこの夜正三位に加階した。
「光と頭中将さんの青海波は素晴らしいものでした。絵でしかお伝えできないのが残念です。加階もおめでとうございます。」
俺は舞の様子を例の巻物に描いてもらって葵さんへ送った。墨絵に紅だけは色を付けてもらう。正三位というのは相当高い位だった。これより上は大臣クラスしかない。十代でここまで上りつめる人は稀だろうと俺は思った。父上はこれをしたくて光を臣下になさったんだろうけれど。
「御絵も頂きましてありがとうございます。旦那様はこのようにお勤めをなさっておられるのですね。邸におられるお姿しか知らないものですから。凛々しく美しいですね。春宮さまもさぞかし美しいお姿でご覧になられたのでしょうね。」
葵さんが喜んでくれたようなので俺はほっとした。俺のことまで付け足して褒めてくれるのが優しい。
「春宮さまは、お妃さまとなる方をどのように選ばれるのですか。やはり大臣たちからの推薦でしょうか。」
急に話題が転換したので、俺はしばし手を止めて考えた。
「俺から選ぶということはしません。祖父や母が見繕うのでしょう。彼らのめがねに適わなければ入内してもつらいことが多いでしょうから。」
とても気に入った人がいたとしたらむしろ入内させたくないように俺は思った。女御、更衣というのは自分の局《つぼね》をもらって普段はそこに住んでいる。帝がどれだけ愛しても同じ空間で常に守ることはできない。それができないから光の母上である桐壺さんは様々な苛めに遭い、命を落としたのだ。藤壺さんのようによほど位が高く誰も手出しできないような人でなければ入内を望むのは怖いと俺は思った。
「結婚なさるまでに文などお交わしになるのですか。それとも初対面のような形でお迎えになるのでしょうか。顔も性格もわからない方と結婚生活を送ることは大変ではないですか。」
「文などを交わすことは無いですね。たいてい親同士が決めてしまいますから。顔も性格もわからないのはお互い様ですがあちらは高貴な姫君ばかりですから、俺のほうが残念がられないか心配です。誠心誠意、力は尽くすつもりですが。」
俺は外見と同じように結婚についても自分の要望は持っていなかった。子孫を残すことは重要だが俺以外の血筋が残っても構わないと感じている。入内した女性たちはそうは思わないだろうが。
「奥様となる方を愛そうと思われますか。それとも、子さえできれば良いとお思いですか。」
鋭い質問を投げてくるなと思いながら俺は嫌な気はしなかった。俺に遠慮せず話してくれる人というのは光や蛍くらいで女性に至っては皆無なので、どこか爽快に感じる。
「せっかく頂いたご縁ですから親しくなりたいとは思います。好きで入内なさったわけではない場合もあるので人によりけりですが。一刻も早く子がほしいという方にはそうしますし、ゆっくり関係を築きたいという方ならそれに合わせます。皆おうちの期待を一身に背負い、一生を懸けてやってこられますから、俺もそれに相応しいような、嫁ぎ甲斐のある男になりたいです。」
書きながら、本当にできるのだろうかと不安になった。ただ女性たちが何らかの希望を胸に入内する以上、俺もそれに応える義務があるとは思っていた。どんなに下手でも、やらなきゃ。どんなに風雅に見えても。俺にとって寵愛というのは遊びではなかった。
しばらく返信が途絶えたので俺は葵さんに嫌われたかなと思った。つまらない、興ざめな男と思われたのかもしれない。俺は嫌われてもよかった。俺はこの人には嘘をついて好かれるよりも本音を伝えて嫌われていたいと思っていた。