12.
「父は弱い人だったの。病気をして働けなくなった。ずっとお母さんが養ってくれたの」
賄は美容院に来ていました。
賄は随の妹です。
「私はお母さんの子じゃないの。父の連れ子だから。お母さんは他人の私も養ってくれた。不倫相手は会社の上司」
王は鋏を動かしました。
毛先をそろえるだけのカット
「今のお父さんいい人だよ。お母さんもいい人」
「そう」
施術はすぐ終ってしまいました。
王は鋏を仕舞います。
「乗り換えばかりだね」
王は自分のことを棚に上げていました。
地下鉄じゃあるまいし
言い訳は聞きたくありませんでした。
王は随の味方です。
「私たちが不幸になれば、お兄ちゃんは幸せかな」
「どうして?」
答えられずに、賄は鏡の中の自分を見ました。
「そういう人間だと思ってるの」
「そうじゃないけど」
私立女子高生の目には、今の兄は不幸に見えるようです。
「今幸せならそれでいいんじゃない」
随とは関係ないと王は思いました。
関わらないでほしい
「死んだお父さんが可哀想かと思って」
「復讐したきゃすればいい」
王は客に人気がありました。
やさしく笑うから
「君一人で」
王は鏡を持って、後ろ姿を見せてあげました。
「どうですか」
仕上がりは丁寧で、賄は金を払ってお礼を言いました。
13.
朝の、ラッシュを避けた時間帯でした。
「ちっちか」
鋭い声がして、女がひとり、久の腕をつかみました。
えっ
久が一瞬ひるみます。
その女の手首をぐいとつかんで
「降りましょうか」
随が低く声をかけました。
三人は次の駅で降りました。
連れがいたのか……
女は明らかに動揺していました。
女子大生ふうの人で、周りに人だかりができ、駅員が寄ってきます。
「どうされましたか」
鉄道警察も来ました。
「この人が、ちか」
女は頑張って訴えました。
久は落ち着いていました。
「俺の手が当たりました」
随は冷たく答えました。
「わざとじゃありません」
随の目はまっすぐ警官を見ていました。
二人はすぐ釈放されました。
女が訴えを取り下げたからです。
「ごめんね、逃がして」
随は謝りました。
「時間取りたくなくて」
「いえ」
久はまだ少し緊張していました。
「ありがとうございました」
「ううん」
本当はいけないんだろうけど
随は正義を軽視するところがあります。
「ドア前の男がずっと見てたね」
随は歩きながら言いました。
「やらされてたのかもしれない」
本当はいけないんだろうけど
金のためなら何でもするのが人間です。
二人は同じホームで次の電車を待ちました。
改めて乗って、三駅先の目的地で降りました。
「そんな屑女がいたんですか」
永《えい》は怒りを顕わにしていました。
「さらしてやります。顔教えてください顔」
興奮して詰め寄ります。
「忘れたよ」
久は話を終らせようとしました。
なめた真似をされて、まだ少し苛ついていました。
「随さんかっけえ」
王は上機嫌で笑いました。
「そいつ本当罪人だね。見つけて絞めなきゃ」
友《ゆう》だけは何も話さず、じっと随を見つめていました。
14.
永と友は双子でした。
永が姉で友が妹です。
永は久と付き合っていました。
今日は妹のためのダブルデート企画でした。
「じゃ俺、こっちだから」
随は軽く手をふって、四人と別れようとしました。
今日は会社の健康診断で、途中まで一緒に来たのです。
「じゃ、後で」
離れていく随に友がついてきました。
「友ちゃんそっち行くの?」
王が嬉しそうに後を追ってきます。
友は王をとても苦手に思っていました。
初対面からとても苦手で、最低限の会話しかできませんでした。
「俺女にこんなに嫌われたことないよ」
王はそういうところを高く評価していました。
仕事柄いろんな女に会いますが、たいてい少しやさしくするとすぐ落ちてしまいます。
アドレスを交換した女は、100%自分から連絡してきます。
友にはそういうところが全然ありませんでした。
こっちのアドレスも受け取ってくれないくらいで
お高くとまっている感じでもありませんでした。
よく見ると可愛いかな程度の女で、友はどうも男全般を恐れているようでした。
「随さん、待っててもいいですか」
友が追いかけてくるので、随は歩調を緩めて歩きました。
「いいけど、二、三時間かかるよ」
「いいです」
友は即答します。
「俺も一緒に待ってるね」
王は喜んでついてきました。
友は少し青ざめた顔で、随の袖をぎゅっと握っていました。
「じゃ」
随と別れてしまうと、友は完全に黙ってしまいました。
「どこ行こうか」
王がたずねます。
「ホテルで休憩でもしない?」
二時間あればじゅうぶんでした。
「私は行きません」
友の声は小さく震えていました。
「そんなに怖がらなくても。何もしないよ」
あまりからかうのも可哀想かと思って、王はやさしく笑いました。
「そこの喫茶店で待とう」
健康診断施設の向かいの店の窓側に友を座らせると、自分はゆっくり煙草をふかして待ちました。
「ずっと待ってたの」
外に出るとすぐ友が駆けてくるので、随は驚いてききました。
「前の店で張り込みしてたの」
王がくすりと笑います。
「飯食う?」
「そうだね」
「ご飯まだなんですか」
「レントゲンあったから」
常に随を真ん中に挟んで、三人は仲良く歩きました。
「しかし残念だなあ」
王は青空の下、少し大げさに嘆息しました。
「今日はせっかく休みが合ったから、エロDVD借りて随さんとふたりでゆっくり見ようと思ってたのに」
「あれ今日なの」
「随さんが見るなら」
友は緊張して答えました。
「私もみます」
「えっ」
「だよね」
やった乗ってきたと思って王は喜びました。
「じゃあ三人で観よう、三人で」
後はすっかり王のペースでした。
飯を食って、靴を買って、ゲーセンに寄った後、三人はレンタルビデオ屋に入りました。
スーパーでパンと牛乳を買いました。
王がプリンとみかんを入れてきます。
ハムとかぼちゃも足しました。
「随さん煙草は」
「まだあるよ」
「ひとつ買っとくね」
部屋代にといって、王はよく支払ってくれます。
この日も甘えながら、友はまだ緊張してビデオ屋の袋を持っていました。
「王はいい人だよ。俺よりずっと」
随は何気なく言いました。
「王だと怖くて俺なら怖くない根拠はあるの」
友はどきりとしました。
王はカゴを持って、会計の列に並んでいます。
「むやみに人を怖がるのはやめた方がいい。失礼にあたるよ」
たしかに、軽くからかわれるだけで何かされたわけではありませんでした。
怖がるということは、その人が自分に危害を加えてくるのではないかと疑っていることになります。
友はたしかに失礼かなと思いました。
でも怖くて
王はあまりに軽いのでした。
友は随が好きでした。
15.
夕飯は、秋鮭のグラタンとカボチャのポタージュでした。
ライスとサラダも付いてきます。
王には身近な食材を美味しく料理する腕がありました。
安い服もお洒落に着こなせる人のような、日常生活にセンスがありました。
「美味しいね」
随は感心してゆっくり食べました。
「王と結婚する人は幸せだね」
「でしょ」
王は自慢げに笑います。
友はかなり落ち込んでいました。
友は料理が下手でした。
「俺王に何かしたっけ」
「なんで」
「優しいから」
随は不思議に思いました。
王はこれまで会った人の中で、もっともよく随と遊んでくれます。
「世話になったじゃない、前世で」
王はやさしく笑いました。
「全く覚えてないな」
随も微笑しました。
王はいつも冗談ばかり言っています。
「さあ、食ったら観るよ」
随が食器を洗って友が拭きました。
友はずっと黙っています。
「ごめん、さっきは」
随は素直に謝りました。
「言いすぎたね」
「いえ」
友は随に言われたことを考えていました。
「努力してみます、怖がらないように」
「怖がってもいいよ」
王はやさしく笑いました。
「そういう女も好きだから」
友は怖くて、少し青ざめていました。
私は今日この人たちと寝ないといけないだろうか
友は随のことは好きだけど、王のことは好きではありませんでした。
でも随が王のこと好きなら、自分も好きにならないといけないだろうか。
ふたりは仲良しで、この部屋にはベッドがひとつしかありません。
もう夜で
どうしよう私
帰りたい
今さら
死にそうに思います。
ふたりはテーブルをさっさと拭いて、コーヒーを淹れて持ってきました。
テレビをつけてDVDを入れます。
どうしよう……
友は一番ドアに近い席に座りながら、立ち上がって帰れる気がしませんでした。
一本めはアクション映画で、友はいつの間にか銃声の中眠りに落ちていました。