昨年の野分後に夕霧くんが光《ひかる》から六條院出禁を言い渡されて以来、一年近くが経とうとしていた。夕霧くんは順調に加階して宰相中将になっている。ただ祖母である大宮さまが三月二十日に亡くなられ、今は喪に服していた。玉鬘さんの裳着は二月だったが、間に合ってよかった。大宮さまは玉鬘さんにとっても祖母のため、彼女も喪に服しているようだ。
「ご無沙汰してます」
夕霧くんはとても久しぶりにうちに来てくれると、俺に一礼した。しばらく会わなかったせいかまた背が高くなったように見える。もう光と同じくらいかな? 光がいつまでも子ども扱いしないのも当然と思える雄姿だった。目つきが鋭く落ち着いているので、夕霧くんのほうが怖いくらいに感じる。
「お久しぶりです。お元気でしたか」
俺は大人に対するのと同じ礼をして夕霧くんを迎えた。仏間で祈っていたので、そこに夕霧くんの席を設える。夕霧くんは鈍色の衣を着ていたが、それも凛々しく清らかに見えた。
「大宮さまのこと、お悔やみ申し上げます」
「痛み入ります」
俺たちは他人同士のような挨拶を交わしながら、不思議と寂しさは感じなかった。これだけの立派な若者になられたということが俺には純粋に嬉しく、亡き葵さんのことを思っていた。
「父に謝ろうと思うのですが、お付き合い頂けませんか」
夕霧くんの口から父という言葉をきけて俺の胸は高鳴った。嬉しかった。でも殊更に反応するのはふさわしくないと思い、ごく自然に聞き流す。
「俺でよければ喜んで。何かきっかけがあったのですか」
夕霧くんはしばらく黙っていたが
「雁のためです」
短く答えた。結婚に向けての下準備なのかなと俺は思った。人のために頭を下げられるようになったんだ。夕霧くんは大人になったと思った。
◇◇◇
約束の日は俺が一足先に六條院へ行き、光と他愛ない話をして待っていた。夕霧くんは来るかな。途中で来られなくなっても俺は良かった。夕霧くんの光に対する複雑な気持ちを思えば、すんなり謝れなくても仕方がないと思う。
「中将殿がお見えです」
取次の女房が声をかけると、光は少し緊張したように前方を睨んだ。夕霧くんが静かに入ってくる。俺に礼をすると光の前に座り、真っ直ぐ頭を下げた。
「すいませんでした」
「何に対する謝罪だ」
「紫《むらさき》さんを侮辱しました」
夕霧くんの眼光はいつも以上に鋭く、台詞が聞こえなければ謝罪とはわからないほどだった。
「手は出さないんだな?」
「興味がないのは本心です」
夕霧くんがあまりにもキッパリ言うので、光は複雑そうな顔をする。
「失礼だな……まあいいよ。お前がそういう奴じゃないことは知ってる」
夕霧くんは顔を上げるとやはりきつい目をして光を見た。父子の間に微妙な緊張感が漂う。それが必ずしも悪いとは言えないのが面白い所だった。これがこの二人の距離感なんだろうな。互いに弱みを見せない間柄で、自然と背筋が伸びるような、兜の緒を締めるべき強敵のような感じがする。
「冷泉さんの御気色《みけしき》、玉ちゃんに伝えてきて」
光は夕霧くんに重大な任務を与えた。夕霧くんは無言で立っていく。
「何あいつ。なんか前より怖いんだけど」
光は夕霧くんの後ろ姿を見送りながら俺につぶやいた。
「前より凄み増してない? 口悪かったときのほうが可愛かったわ」
「大きくなられたよね」
光が我が子の成長を惜しむ親のような発言をするので、俺は苦笑してしまった。
「立派な男子になられたね」
夕霧くんは凛々しく堂々として頼もしかった。どこに出しても恥ずかしくない自慢の甥だ。誰でもああなるわけじゃないと思う。夕霧くんの苦労の多い人生が、あのしっかりした人格を形成したのだろうと俺は思った。
「たまには頼ってみたら?」
「あいつに?」
光は嫌そうな顔をしたが、しぶしぶながら考えているようだった。そのうち自然と頼らざるを得ない時がくるんだろうな。将来太政大臣になられる方だから。
俺たちがそんな話をしていると、夕霧くんがすこしぼんやりした顔をして戻ってきた。元通り光の前に座ったがどこか落ち着かない様子だ。左手に藤袴を持っていた。
「夕霧くん、その花は……?」
俺が何気なく尋ねると
「玉鬘さんがくれて」
夕霧くんは困惑した表情で俺を見た。
「尚侍の話、玉ちゃんには伝えた?」
「伝えたけど」
いつも凛々しく迷いがないせいか、夕霧くんの困った様子というのはとても愛しく映った。
「逆にもらっちゃったか」
光は苦笑すると夕霧くんから藤袴を受け取って、嬉しそうにしばらく眺めていた。