3.
随は今は日勤をして、2LDKの部屋に住んでいました。
敬が見つけてくれた部屋です。
「本当にありがとう」
随は心から礼を言いました。
「俺みたいな奴に部屋貸してくれる人いないから。本当に助かるよ」
「四百万の担保があるからな」
敬は笑って言いました。
「夜逃げされても元は取れるさ」
部屋は高台にあって、三階だけど星が見えます。
「もう会えないと思ってたよ」
随はしみじみ言いました。
「どうして」
「本当のことを言ったら、離れてく人が多いから」
仕方ないと思いました。
過去だけ聞いても、面倒くさそうな人間に思えます。
「一時の四百万より毎月の家賃よ」
敬は二十三になっていました。
紺色の縦縞スーツを着て、法律事務所で働いています。
「お金、ありがとうございました」
敬の弟は|久《きゅう》といいました。
浅黒い肌に刈り上げた黒髪がよく似合います。
きつい目をしているけれど、とても礼儀正しい人でした。
「いえ、こちらこそ」
随は丁寧に頭を下げて
そういえばまだ顔洗ってなかった
寝すぎてぼんやりした頭でそう思い出すのでした。
「大学楽しい?」
「まあ、それなりです」
「たくさん遊んでね」
友だち作って、のびのび過せたらいいと思います。
「早く公務員になれよ」
「兄貴がなれよ」
「俺はいいんだよ」
兄は弟を公務員にしたくて仕方ないようでした。
親ですら諦めていた弟の進学を推し進めたのもこの兄です。
自分では多額の奨学金を借りながら、弟には借金をさせませんでした。
敬が金のやりくりに困ったとき、何も言わずに貸してくれたのは随でした。
「金の切れ目が縁の切れ目だね」
随は笑って言いました。
「お前が働けなくなったら生活保護で搾り取らせてもらうから安心しろ。久も公務員になるし」
「市役所なんか行かねえわ」
「国家総合は激務だぞお前」
「警察か消防。事務は御免だ」
「そんな所行って虐められんじゃねえの」
「殴るぞ」
随は笑って聞いていました。
兄弟って楽しそうと思います。
「またね」
敬は今月の家賃を徴収すると、弟と連れ立って帰って行きました。
随が笑顔で見送ります。
「金返さなくていいの」
「あんなもん、なくても同じさ」
弟と二人きりになると、敬は眼鏡を直して、冷めた調子で言いました。
「今日去ってもいいようなロッカーの使い方をするんだよ、随って。部屋もそう。生活感があるようで、思い出を感じさせる品はほとんど持ってない」
四百万もほとんど無意味だと敬は思いました。
最初からくれる気だったのです。
四百万は餞別でした。
敬がそれを大事に持ってるだけなのです。
「アドレス消せばすぐだよ。縁なんてすぐ切れる」
久は随のことをもう少し知りたい気がしました。
兄の友だちじゃなく、自分も友だちになってみたい
兄から電話番号をききました。
「土日休みだけど違う週もあるから。あまり邪魔すんなよ」
随がそばにいない時の敬は、いつも冷静で打算的でした。
4.
随は168cm身長がありました。
敬久兄弟は170を優に超えています。
随の友だちにもうひとり、180超えの長身を持つ|王《おう》という青年がいました。
長めの髪を麦色に染めて、美容師の資格を持っています。
王は優しい青年で、目があうとにっこり笑いました。
母の経営する美容室で、予約客だけに鋏を振るいました。
「随さん」
「はい」
王は敬の中学の後輩でした。
三つ下なので被りはしませんでしたが
王はよく随の家に入り浸っていました。
合鍵を持っていて、随が帰る前から家にいたりして、よく敬に怒られています。
「煙草要る?」
「アメスピの1ミリで」
「あとマルメン8のボックスを2カートン」
王は二万円出しました。
「年齢確認できる物をお持ちですか」
きかれてちょっと得意げに免許証を見せます。
この前二十歳になったばかりなのです。
「お客様は」
どちらかというといつも要求されるのは随の方でした。
随も慣れた手つきで保険証を見せました。
「免許取らないの」
「取らないとね」
同い年なのにさん付けする王でした。
そのくせ誰より遠慮ない態度でくつろぎます。
居間にある白いソファを気に入っていました。
「ゲームしようか」
「うん」
ふたりで腹ばいになって、夜遅くまで遊ぶこともありました。
王は優しく母思いの青年でしたが、ひとつ悪癖がありました。
随が家のドアを開けると、すでに人がいる場合があります。
王の靴の横に華奢な女物の靴があります。
随はひやっとして、開けたドアをそっと閉めることがありました。
自分の家なのに帰れなくて、夜遅く敬の部屋をたずねて、片隅に寝かせてもらったこともありました。
「お前人んちを何だと思ってんだよ。ドン引きだわ」
敬は心から怒りました。
随が告げ口したことはありません。
敬は王のそういう癖を知っていたのです。
「遠慮することないのに」
王は屈託なく笑いました。
「三人で遊ぼうよ」
「そういう問題じゃねえんだよ」
敬はすこし呆れています。
王は無邪気で随には怖いほどでした。
「ごめん、ちょっとハードル高すぎるわ」
まだ免許も持ってない彼には、そういう遊びは難しすぎるように思われました。
5.
王は随が女を避けていると気づいていました。
三人で遊ぶというのは冗談だけど、女にもいろいろいるから、気の合う人と付き合えばいいと優しく思います。
随は切腹を間違ったかと思われるほど深い傷を左わき腹に持っていました。
浅い傷もいくつかあって、海水浴に行きづらいレベルです。
「すごいね」
王は思わず傷の軌跡を目で追いました。
「薬キメてる感じ」
「そうだね」
随は微笑しました。
「父は治療薬を飲んでたんだ。でも用法用量は守ってた」
王は鏡越しに随の傷を見ています。
「よく使われてる薬で、父も常用してた。だからあの日だけ急な発作が起こるとは考えにくい」
人気薬に危険な副作用があるかのように報道されたら、困る人もたくさんいるだろうと王は思いました。
随が犯罪者にされても、困るのは随だけです。
「モテると思うよ、そういう身体」
王は真顔で言いました。
「気にすることない」
人の過去を侮辱する女を、王が連れてくることはありません。
「ありがとう」
王に太鼓判を押されて、随はすこし照れました。
王って本当の王さまみたい
いつになく真剣な顔つきで画面に向かってるなと思うと、人のパソコンに美女の太もも画像を厳選保存している、そういう女に対して大真面目なところが王にはありました。