私の国は一夜のうちに帝国に征服されてしまったようでございました。我が国に重大な条約違反があり、その報復とのことでございます。国の歴史はあっさり幕を閉じましたが、帝国の支配下に入れたことを喜ぶ民がほとんどでございました。通貨も言葉も変わらず、モノと人の往来は自由になり、税率だけが下がるのですから。大きな混乱もなく、皆は喜んで受け入れてくれました。
父上と義母上は国外へ追放され、私は捕えられて皇帝陛下の捕虜となりました。私の身を差し出すことと引き換えに父たちは命拾いし、自由を得たのだそうです。
「何か不自由はございませんか」
私は捕虜と呼ぶには丁重な扱いを受けながら、皇帝陛下の御住まいまで連行されました。昆羅《コンラ》という名の男性が親切に私の世話をしてくれます。
「あの、皇帝陛下には何とご挨拶すれば」
「挨拶など要りませんよ」
コンラは笑って私にそう言いました。
「せっかちで、形だけの礼儀などお嫌いな方です。ただ素直にお従い下さい」
「はい」
身を売られ帰る場所も失い、絶望的な状況のはずながら、私の心は不思議と軽いものでした。馬車の中から眺める景色も心なしか明るく、楽しい旅をしているかのようでございます。未明から馬車に揺られ、日暮れ頃着いた先は堅牢なお城でした。そこかしこに銃を提げた護衛が立っております。私は攻め込まれた際の寝間着姿に裸足のまま、コンラに手を引かれて馬車を降りました。
「朔様をお連れしました」
「通せ!」
コンラの報告とほぼ同時と思われるほど素早く、皇帝陛下が大きな声でお答えになるのが聴こえました。陛下の御声はいつも鋭く、短く、強い獣が吠えるように邸中に響きます。私は差し出された柔らかな靴を履いてコンラの後に続きました。コンラは長い廊下の突き当りでガチャリと鍵を開けると、大きなベッドの置かれた部屋へ私を通してくれました。テーブルには湯気の立つお茶と軽食が用意されています。
「こちらでお待ち下さい」
「はい」
私はベッドに腰掛けると、汚れた手足を布で清め、そのまま横になりました。ちょうどいい固さのベッド、いい香りのする布団……とても心地いい気持ちです。ついうとうとしてしまったのがいけませんでした。昨夜からの疲れもあって、私はいつの間にかぐっすり眠りに落ちておりました。
何がきっかけだったのでしょう。ふと目を覚ますと皇帝陛下が、暗闇の中私をじっと見つめておられるのがわかりました。その金色の瞳は月のように私を照らして下さいます。
「なぜ離婚した」
陛下はいつもの大声とは違う調子で低く、鋭く問われました。私は寝起きのぼんやりした頭の中、ただ事実だけを短くお伝えしようと努めました。
「親の決めた結婚でしたが、私の妊娠中旦那様に運命の人がお出来になって、そのまま……。お腹の子も流れましたので、私は国に帰されました」
「その男はどうなった」
「今も奥様と幸せにお暮しで、お子さんもいらっしゃいます」
私のはじめての結婚で、三年前のことでした。前の旦那様を恨む気持ちは不思議となくて。ただ亡くなったお腹の子のことだけがいつまでも、可哀想だったと思います。
「忘れろ」
陛下は短く仰ると、噛みつくように熱いキスを下さいました。犬歯が鋭く尖ってらっしゃって、雄々しい獣のようです。黒く艶やかな御髪に金色の瞳を持つ陛下を「黒豹」と例える不届き者もいるそうですが、本当に力強くしなやかな体躯をお持ちでした。私は狼に屠られる羊の如く無抵抗に、陛下にこの身をお捧げしました。