入道宮さまがお亡くなりになられて、しばらくした頃だった。
「冷泉さんの様子が何かおかしいんだ」
光《ひかる》は宿直所の桐壺を人払いすると、俺を呼んで深刻な顔で切り出した。
「まさかとは思うけど、兄貴、何も言ってないよね?」
「あのことだよね? うん、何も」
「王命婦にも確認したけど違うと言うし。一体誰が……」
「冷泉さん、お気づきになられてるの?」
「どうも、そうらしい」
光は片手で口を押さえながら考え込み、しばらく黙っていた。
「昼になっても寝所から出てこられない日があって心配して伺ったら、冷泉さん俺の顔を見てポロポロ涙を流すんだよ。俺どうしたのかと思ったけどきけなくて。母親が亡くなって悲しいのかと思ってたんだけど」
冷泉さんが泣かれるというのはよほどのことではないかと思った。少なくとも俺は見たことがない。
「その後も俺に対する態度が変なんだ。俺を敬・お・う・としているというか。突然譲位したいと言い出すし。もちろんお止めしたけど、俺、どうしたらいいか……」
光は頭を抱えてため息をついた。これほど悩む光を見るのも初めてだった。
「軽蔑、してるかな」
「そんなことないよ」
冷泉さんに限ってそんなことはないと俺は思った。
「俺、どうすればいいだろう。せっかく彼女が必死に隠し通してきたのに……」
「光はどうしたいの?」
俺の質問に、かなり長い間光は黙っていた。
「俺が父親だって、言いたい。でも今更、俺から言っていいのかわからない。あの子のショックも相当だろうし……。あの子には、自分は帝の子だと思っていてほしかった」
どうしたらいいかわからないのは俺も同じで。俺たちはいつまでも黙っていた。どうしたらいいだろう。冷泉さんは、どうしたいと思っておられるんだろう。
◇◇◇
俺は冷泉さんとお話してみようと清涼殿をウロウロしてみたが、冷泉さんは調べ物でお忙しいとのことで昼御座におられないことが多かった。夏も過ぎそろそろ秋に入ろうかという頃、冷泉さんの方からお召しがあって。俺は御所に伺った。
「朱雀さん」
冷泉さんはどこか思いつめた様子で俺を見つめられた。
「光る君《きみ》に親王に戻って頂き、位をお譲りしようと思うのですが」
そうこられたかと思って俺は静かにうなずいた。
「なぜそうお考えになられたのですか」
俺の問いかけに冷泉さんは黙ってしまわれて。
「書物を調べて。それしか無いと思いました」
俺の目を見て泣きそうな顔で仰る。俺は苦しくなって。自分もこの秘密を守ってきた共犯者なのだと悟った。
「そうですね。それもいいかもしれません」
俺は目を伏せて穏やかに答えた。父である光が帝になれば。順番は前後するが、皇位継承の正・統・性・は保たれるかもしれない。それがないまま帝位におられることが不安で仕方ないのだろうと俺は察した。臣籍に下った皇子が親王に復帰し、帝位を継がれた例もあるし。
冷泉さんは少しホッとした表情をなさると
「秋の司召で提案してみます」
そう仰っておられたのだが、予想外のことが起きた。
「光る君に、断られてしまいました……」
光は父上の御遺志を違えたくないとのことで、親王復帰も帝位も辞退した。冷泉さんの御世をまだ終わらせたくないのだろうと俺は思ったが、冷泉さんはがっくりと肩を落とされた。これ以上打つ手がないと絶望されたのか、あまりにもつらそうで見ていられないほどだった。
「申し訳ございません。苦しい思いをおさせして」
俺は帝にお詫び申し上げた。重い責任を感じていた。
光に即位してもらうよう俺からも頼んでみようか。でも、まだ十四歳で若くお元気な冷泉さんが突如譲位なさることが妙な憶測を呼ばないか不安が募った。
冷泉さんを廃し、幼い息子を春宮に立て俺が続けていればよかったか。試みに考えてみたがどうしてもあり得ない気がした。冷泉さんに期待し、その御世の実現を誰より望んでいたのは俺自身だ。廃太子なんて冷泉さんの御身も危ういし、到底選択し得なかっただろう。
冷泉さんの御世は俺の代よりはるかに素晴らしい。皆そう言っているし、俺もそう思っている。まだ続けられてほしかった。この国のためにも。でもあれほど苦悩されている冷泉さんにこのままお任せするのも心苦しく、申し訳なかった。
どうすればよかったんだろう。母や祖父たちの勢力から必死に冷泉さんを守ってきたつもりだったのに。俺のしたことは結局冷泉さんを悩ませ、傷つけただけなのかもしれなかった。