そのあと午後のお茶まで頂いて、朝帰りってレベルじゃない時間になっていることに私はようやく気付いた。何と言って従者たちに言い訳すればいいかな? ルースタッド殿下のお部屋に泊めて頂いたけれど何もなかった、とか? 何もなかったは余計かしら。私は今更恥ずかしい気がして、何とも言えない気持ちになった。
「何か心配事がおありですか?」
ルースタッド殿下はとても鋭い方なのか、またさりげない様子ながら私にそう尋ねて下さった。
「えっと、宿の従者たちに連絡するのを忘れていたなと思いまして」
「それなら私がしておきました」
殿下がそう仰るので、私は驚いて目をぱちくりしてしまった。
「大変ご迷惑をおかけした旨を、深くお詫び致しました」
殿下は当たり前のように仰る。
「いえ、ご迷惑をおかけしたのはこちらです」
私は恐縮して言った。
「大切なお嬢様にもしものことがあっては、ご両親にも申し訳が立ちませんから」
ルースタッド殿下は私の両親にまでお気遣い下さったが、
「両親はそんなに、私のことは気にしていないと思います」
私がついそう言ってしまったので、首をかしげて私をじっと見つめられた。私は引っ込みがつかなくなってしまって、ぽつりぽつり、言葉を継いだ。
「実の母は、もう亡くなってしまったので。今の母は父の連れてきた愛人の方で、私のことは邪魔にしか思っていないと思います」
人を悪く言うのは好きじゃないけれど。この人のことだけはどうしても好きになれずに、私はそう説明した。
「そうですか。それは、おつらいですね」
殿下も暗いトーンになってしまわれて。私は変な話をして申し訳なかったと思った。何とかこの場を盛り上げなきゃと思うけれど、他に良い話題も見つからなくて。私は半ば投げやりになって、このつまらぬ身の上話を聞いてもらおうと思った。
「両親はよくある政略結婚だったんです。父は母のこと、何とも思ってなかったみたいで。でも母は父のこと、だんだん好きになってしまって、それでも父は外に愛人を作るのを止めなくて。母は病気になってしまいました」
私はなるべく他人事みたいに聞こえるよう努めた。
「母が療養のため別荘へ移ると、父は一番お気に入りの愛人を家に入れて一緒に暮らし始めました。兄たちも、父に嫌われまいと何も言えなくて。みんなうわべだけは楽しそうに笑って暮らしてるんです。それがつらくて」
長い闘病の末、母は息を引き取った。バカみたいだと思った。みんな、バカみたい。でもそんな皆に合わせられない私が一番バカなんだろう。
「愛人を作られたくらいで心を病んじゃう母がダメだったんですかね。弱すぎたのかな……」
私は悲しく思って、誰に訊くともなく言った。愛のない政略結婚、貴族には当然のことだ。お互い愛人作って楽しくやりましょうって決めてる、形だけの夫婦もたくさんいる。夫や妻に本気で惚れるなんて野暮なのかもしれない。
「そんなことありませんよ」
ルースタッド殿下がそう仰るので、何を否定しているのかわからなくて私はぼんやり目を上げた。
「お母様はダメなんかじゃありません」
殿下はやっぱり強く仰る。
「夫婦が愛し合うのは当然のことです。どんな事情があろうと、夫を好きになるのが可笑しいということはありません」
そう仰るのが殿下と言うより司祭様の口調なので、私はなぜか安心できる気がした。
「ありがとう、ございます」
殿下は私に喜びばかり下さると思って、私は心からお礼申し上げた。お礼を言っているはずなのにぽろぽろ涙がこぼれて。殿下が柔らかいハンカチを下さったので、私はそれで潤む両目を押さえた。