この年の冬、以前秘密だと言っていた光《ひかる》のお嬢さんの袴着《はかまぎ》が行われた。二條院の奥様ではなく、明石で出会った女性が産んだ娘さんを引き取って育てているようだ。
「京を離れたのはつらかったけど、あの子が生まれてくるためだったのかと思うと、これも縁だよね」
光はしみじみと語って娘さんの成長を喜んだ。
「三歳で迎えに行ったけど、母親と引き離すことになっちゃって……。早く一緒に住もうと誘ってはいるんだけどね」
罪作りなことをしたとため息をつく。
「とても可愛い子で紫《むらさき》にもよく慣れてるんだ。紫もとても喜んで、抱っこしたり遊んだりしてあげててさ。見てると和むよ。本当は紫の子が欲しかったんだけどね」
ほしい人にはできなくて、と光は寂しそうに笑った。
「実の母親にも早く会わせてやりたいんだけど、なかなか来てくれなくて。桂の院に行くついでに会いに行ってるんだ」
「忙しいね」
「もうのんびりしたい歳なんだけどね」
光は苦笑しつつ肩をすくめた。光の二條院は東側に増築したらしく、ますます女性のための邸宅と化しているようだ。
年が明けて光三十二歳、冷泉さんは十四歳になられた。光は内大臣で政敵もおらず、二條院は新年の挨拶にきた貴族や従者たちで賑わったそうだ。
「あけましておめでとうございます」
「おめでとうございます」
俺の邸には夕霧くんがこっそり挨拶に来てくれて、俺はとても嬉しかった。夕霧くんは今年十一歳になる。もうすぐ元服かな。背も高くなりますます凛々しくなって、俺は頼もしく思った。春宮も六歳になるのでそろそろ学問が始まるのかな。のどかな年始で、この平和な日々が長く続けばいいと誰もが思っていたのだが……。
◇◇◇
まず葵さんのお父上で夕霧くんの祖父でもある太政大臣が逝去された。内大臣の光と太政大臣で政《まつりごと》を行っていたので、太政大臣がいなくなると光がとても忙しくなってしまう。他にも疫病が流行ったり空に見慣れぬ星月のひかりが見えるなど、不吉なことが続いた。冷泉さんのお母上である入道宮さまも具合がよくないようで御所に来られなくなり、冷泉さんは少しお寂しそうに見えた。
「今年は何かあるのでしょうか」
「どうでしょうね。俺も祈祷させてはいるのですが」
原因のわからないことで世が乱れてくると不安だろうな。
「冷泉さんのせいではないですよ。大丈夫です」
俺は冷泉さんの目を見て微笑んだ。春宮もまだ六歳で譲位できる年齢ではない。つらくても耐えて頂かなければならないのは心苦しく、申し訳なかった。俺がもう少し持ちこたえるべきだったか……。
入道宮さまの病はなかなか良くならず、三月には重くなられた。帝はお母上に会うため里の三條邸に行幸された。俺は不安だったが、祈ることしかできなかった。
「母は厄年だったのです。もっと祈祷や誦経をさせておけば良かったのですが……」
冷泉さんも光も様々に手を尽くしたが、入道宮さまは灯の消えるように亡くなってしまわれた。まだ三十七歳だった。
入道宮さまは世のため人のために様々な供養をして下さっていて、その死を惜しまぬ者はなかった。御所では皆が墨染の衣を着て入道宮さまの崩御を嘆いた。光は念誦堂にこもって祈っていたが、号泣するほどではなかった。
「正直出家された時のほうがつらかったかな。突然だったからね……。今も悲しいけど、俺のことより冷泉さんが心配で」
両親とも死んだと思っているだろうから、と光はつぶやいた。冷泉さんは皆の前で取り乱されることもなく葬儀でも気丈に振る舞っておられたが、やはり気落ちしたご様子は隠しようもなかった。入道宮さまのお母上の代から懇意にしておられる僧都を召して、祈ったりお話されたりしているご様子だった。
「みかどは病なの?」
春宮は心配そうに尋ねた。
「そんなことはないよ。ただお母様がお亡くなりになられて、深く悲しんでおられるんだ」
俺は春宮に優しく答えた。母である承香殿さんが元気のない春宮をそっと抱きしめる。これからどうなるのだろう。俺は御所に泊まることはないので日暮れまでには帰るが、不安は拭えなかった。俺に何ができるんだろう。なんとかして冷泉さんをお支えしたいが、方法が思いつかなかった。