私がコンラから陛下について様々なエピソードを聴いておりますと、ガラガラと派手な馬車が一台、畑の間を通り抜けてお城の前に停まるのが見えました。
「昆羅! 昆羅!」
急用でしょうか、若い女性がコンラを呼ぶ声が聴こえます。
「ちょっと失礼します」
コンラは私の前を足早に駆けていくと、馬車から一人の女性を連れて戻ってきました。
「あなたが例の」
その女性はベンチに座る私を頭から足先までざっと眺めると
「あなた、良いわね! 土の匂いがする。陛下が絶対好きそう」
と笑って言います。私は褒められているのかけなされているのかわからず、ちょっと戸惑ってしまいました。ベンチから立ち上がり、丁寧に頭を下げてご挨拶しました。
「はじめまして、朔と申します」
「楊妃《ヨウヒ》よ」
ヨウヒは気さくに右手を差し出すので、私も手を拭いて彼女と握手しました。
「私は陛下の情婦なの。陛下には私みたいな女が国中におられる。わかるわね?」
「はい」
私はコクリとうなずいて、それはそうだろうなと思いました。私の様子があまりにも淡々として何の動揺も見せないことにヨウヒは少し苛ついたようだったので、私は彼女へ説明する必要があると思いました。
「実は私も情婦の娘なのです。父は私生児の私をずっと放置して、唯一接触があったのは政略結婚に利用された時だけでした」
政略結婚と言っても幸せになる例もあるのですから、父からすれば私のような私生児へのせめてもの愛情だったのかもしれません。相手方も別に問題のあるお家ではありませんでした。ちょっと旦那様に運命の人が現れてしまっただけで……。
ただ、離婚され国に戻されてからの日々は針のむしろでした。既に母を亡くしていた私は、父のお城で下女としてこき使われておりました。
「そう! なら話は早いわ」
ヨウヒは私の出自を聞いて好感を持ったのか、私に腕をからめるとぴったりくっついてベンチに座りました。コンラは先ほどからヨウヒの様子を険しい顔で眺めていましたが、
「すみません、礼儀のない方で」
頭を下げて私に謝ってくれます。
「あら、私だって陛下のお気に入りなんだからこのくらいの態度は許されてよ。しかも私の方が年上で、先輩なんだから」
ツンとすまして言うヨウヒの様子が可愛らしくて、私はつい微笑んでしまいました。女の私から見てもヨウヒは陽気で妖艶で、魅力的な女性だと思います。
「あなたを捨てたっていう貴族ね、リベルスタンの舞踏会で陛下にぶん殴られたって話、きいてる?」
「えっ……?」
「リベルスタン王国の宮廷舞踏会よ! 陛下ってああいう無・駄・な・催しにはまずお出にならないんだけど。リベルスタンの王様は健気だから毎回招待状だけは下さるのよねえ。実際陛下がおいでになったのでびっくりなさってたらしいわよ」
リベルスタン王国と言えば、第三帝国と双璧をなす大国でした。とても平和な国と聞いていますが。そんな大国の舞踏会に陛下が……?
「あなたの旦那様だった貴族の顔をね、何も言わずグーパンチで殴っちゃって。めちゃくちゃ怖かったらしいわよ」
皆酔いも回った深更、会もそろそろお開きかという時間帯だったそうです。陛下はその後「国王《レオナルド》! 余は帰る!」と大音声で仰せになって颯爽と行ってしまわれたとか……。私は不安になって思わずコンラの顔を見つめました。
「大丈夫ですよ。他には何の制裁もなさってはおられません。ただ一発殴らないと気が済まなかったのでしょう」
コンラは苦笑して教えてくれました。ご家族に何もなくてよかった……。とはいえ、あの強そうな陛下に本気で殴られたらさぞ痛かったことでしょう。私は前の結婚相手を気の毒に思いました。
「素敵よねえ、ひとりの女のためにそこまでして下さるなんて。絶対そのためだけに行ったのよ、遠いのに」
ヨウヒは目を輝かせて陛下を讃えているので、私は同調したいような、怖いような気がして口をつぐんでしまいました。
「陛下はね、本当に女に優しいの。私たちのような女にもよ」
ヨウヒはそう言って、親しげに私の手を取りました。
「仕事柄たくさんの男と寝てきたけど、陛下は全然違った。あんな御方は初めてよ。どんなに熱く貪っても絶対に理性を失わないの。女は、いえ男だって理性を保ち続けるのは難しいことだけど、あの御方にはそれがある。どんなに女に狂っているように見せて下さっても、心の奥底の芯の部分はいつもひんやり冷えていて、虚空なの。それでいて愛がある。あんな方、他には絶対おられないわ。尊いの。陛下の尊さをあなたと語り合いたくて今日は来たの!」
ヨウヒの圧があまりに強いので私はうんうんとうなずきながら、でもよくわかると思いました。陛下を観察できるほど私は冷静ではいられませんが、陛下の御心はいつも、ここではないどこかにあられるような感じが致します。それでいて目の前の女には手を抜かず愛して下さる。不思議な御方です。
「でもこんなこと、情婦の口から奥様のあなたに言うの酷だったわよね」
「奥様、ですか?」
「違うの?」
「はあ」
私は自分の存在が何なのか今まで確認していなかったウッカリに気づき、少し考え込んでしまいました。畑を耕す捕虜、かな? 少なくとも奥様ではない気がします。
「でも絶対特別ではあるわよ! 陛下がお城に女を住まわせたこと、今まで一度もなかったもの。しかも大事な昆羅を護衛につけて」
ヨウヒはそう言うと私の両手をギュッと握って上下へブンブン振りました。
「頑張ってね! いや私の処に来られたら私も頑張るんだけど。負けないけど。お互い頑張りましょうね!」
ヨウヒはそう言って私と固い握手を交わすと、来たときより機嫌よく馬車で帰っていきました。その後彼女から何度か手紙が来て、私も返事を書いたりして。私は陛下のおかげでヨウヒと不思議な縁を結び、良い友達になりました。