寝床に入っても眠れずに、私は寝返りばかり打っておりました。夜陰に鶏の鳴き声が高く、長く響きます。私は夜明けを待てずに服を着替えて、朝のお勤めに移りました。眠気と疲れが重なって、どうしても気分が沈みます。
「村の人々に会って、昨日のことを確かめてきます」
神父さまは朝のお祈りを終えるとそうおっしゃって、村へでかけてゆきました。私は井戸端で洗濯しながらその手もつい止まりがちで、昨日勇者様から言われた言葉を繰り返し、頭の中で考え続けていました。
神など、いない。本当に、そうなのでしょうか……。
私たちの生活も祈りもすべて無意味で、勇者様の魔剣と特殊能力だけがこの世界を救った。そうなのかもしれません。私は魔物に困らされたことはないし、魔術というのも訓練を受けたごく一部の方の持ち物だと思っていました。自分には関係のない話だと……。
私は今までこの世界のことを何一つ知らなかったし、知らないことに何の疑問ももってはおりませんでした。私はただ、自分の身の回りが静かで幸せなら、それでいいのだと思っていました。私は、無責任すぎたのでしょうか……。
◇◇◇
「マリア」
聞こえるはずのない声が背後から聞こえて。私は驚きのあまり、振り向くことができませんでした。
「君の行動はいつもワンパターンだねえ」
いつの間にここにおられたのでしょう。勇者様は明るい陽射しの下で白い歯を見せてお笑いになると、私の前までやってきて、腕組みしながら洗濯する私を見下ろしておられます。
「このあと畑の水やりをして、破れた掛布《クロス》の繕いものでしょう。俺も手伝ってあげようか」
私はすすぎ終わった衣類をぎゅっと絞ると、急いでこの場から離れようとしました。勇者様は足早に歩く私の後ろをおかしそうについて歩くと、私が濡れた洗濯物を木々に張られたロープに干そうとするところを、のんびり眺めました。
背の低い私にはいつもギリギリなのですが、今日は緊張のためかなお、背伸びしてロープに手を伸ばすのになかなか届かず、私は苦戦しました。勇者様は見かねた様子で私の手から濡れた洗濯物を奪い取ると、パンパンと伸ばして、次々干して下さいます。
私はお礼を言うことができなくて、ペコリと頭だけを下げて駆け出しました。どこかへ逃げなければならない。でもどこへ行ったらよいかわからなくて、私は困惑していました。
「逃げても無駄だよ」
優しいのによく通る声が、私の背後から常に響きました。私は走るのが遅いし、教会の敷地も広くはありません。
聖堂の中や居室へ逃げ込めばいいように思いますが、そのような閉鎖した空間でふたりきりになっては、それこそ逃げ場がないように思いました。私は走っているのに勇者様はせいぜい早歩きといった様子で、笑いながら、私のあとを追いかけてこられます。
「君はこの敷地内から出ることはできない。そのようにはプ・ロ・グ・ラ・ム・さ・れ・て・い・な・い・からね。君は神に祈り、すがるだけの存在だ。無力な……」
その時私は石につまずいて転んでしまい、しばらく動けずにいました。追いついた勇者様はそんな私に近づくと、しゃがんで優しく手を差し伸べて下さいます。
「そんなに俺が嫌いですか」
私は非常に困って、でも自力で立ち上がらなければと思い、差し出された手を避けて、両手で倒れた体を起こしました。
この方は、なぜこれほど私に執着なさるのでしょう。私など何の取り柄もない、どこにでもいる、ただのしがない修道女ですのに……。
私は悲しく思って、涙がこぼれそうになるのをぐっとこらえました。私はただ、そっとしておいてほしいだけなのに。どうして……。
「君がしがない修道女であることはわかっている」
勇者様はやはり私の心が読めるのか、静かな口調でおっしゃいました。
「この世界で君をものにできる男は一人もいない。君はあまりにも出番が少なすぎるからね。でも俺は初めて君を見た時から、君のことが気になって仕方なかった。君の攻略ルートが存在しないことを恨みさえした。君は単なるモブだが、俺にはとても魅力的に思えるんだ。昨日初めて会って感じた君の慎み深さ、怯え、憂い、惑い、すべてが俺にとっては魅惑的で、美しい」
話しながら、勇者様にじわじわと物置小屋の壁際に追いやられて。私は背に冷たく硬い石が当たるのを感じました。