世界の危機……?
私がなんと返事してよいのかわからず口をつぐんでおりますと、
「この世界には、人類を破滅に追い込む魔物がウヨウヨしていた。俺はこの魔剣と特殊能力《スキル》でそれらを退治したってわけだ。住民たちには当然感謝されたよ。今じゃどこにいっても俺を知らぬ者はない。毎晩歓迎歓待で、引っ張りだこさ」
勇者様の傍らに置かれた青い魔剣は、そう話す最中も息をするようにゆっくり明滅しておりました。まるで、この剣自体に命が宿っているかのようです。
私は魔物や魔剣という言葉も初めてききますので、半信半疑で、すこし薄気味悪く感じました。遠い遠い異国には、空飛ぶ竜や火を吐く獣がいると、噂話に聞いたことはございましたが……。
「君がそう疑うのも無理はない。ここは初期の初期に立ち寄る村で、被害も最小限だったからね」
勇者様はそんな私の心を読み取ったかのように、フフと笑って話されます。
「すべての戦いが終わり、王から報酬を尋ねられた俺は、美しい王女を娶ることにした。半月後には婚礼だ。だが俺には一つ気になることがあってね。夜更けに悪いが、こうして寄らせてもらったわけだ」
勇者様は座る足を組み替えると、髪をかきあげ、膝の上で両手を組んで、ひざまずく私を見おろされました。
◇◇◇
「マリア、君の身体を貰い受けたい。なに、2、3日でいい」
私は勇者様のおっしゃる意味がわからず、心臓が止まったかのように、しばらく息もできませんでした。右手の指先がかすかに震え、それを隠そうと左手で必死に押さえます。
「マリアは修道女ですが」
神父さまのお言葉が、暗い聖堂に低く、重く響きました。
「わかっているさ。でもバレやしまい。俺・た・ち・さ・え・、・黙・っ・て・い・れ・ば・ね」
勇者様は不敵な笑みを浮かべると、
「タダとは言わない。金品でもいいし、この聖堂を見違えるほど美しく改修することも、教会内で重い地位に格上げすることもできる。将来王になる俺にできないことは無いんだよ」
とおっしゃいます。
「俺の功績はこの世界では不動のものだ。誰も逆らえない。魔物だって、倒したもの以外に封印したものもいる。封印を解くことだって不可能じゃない」
そう言いながら傍らの魔剣を撫でると、剣も青く光って呼応致します。その剣の中に魔物が封印されているような気がして、私は言いようのない恐怖を感じました。
「マリア、君の処女性には何の魔・術・的・必・要・性・もなければ、価値もない。君は主人公との会話すらないただのモブで、さびれた聖堂を背景にただ微笑むだけの存在だ」
勇者様はそうおっしゃると、憐れむように私の目を覗き込みました。
「君の行動範囲はこの聖堂を出ることはない。広い海、果てなき大陸、極彩色の詠唱陣すら、君は一生見ることはない。毎日毎日同じ生活を続けて、男も知らず死んでいくだけ。本当にそれで満足か?」
勇者様の口調はあくまで優しく諭すようでいて、私の身体にまとわりつくような粘性の余韻がありました。
「この世界に神がいるなら、なぜ魔物の跋扈《ばっこ》を許した? 俺がいなければ今頃どうなっていたことか。君が毎日必死に捧げる祈・り・とやらは、本当に効いてるのか?」
神がいるなんて大・嘘・さ・、と勇者様は吐き捨てるようにおっしゃいました。
「俺は宗教なんて大嫌いだ。宗教に逃げるやつも、広めるやつも、すがるやつも同罪だ。宗教なんざ何もしない奴の言い訳さ。マリア、お前もそうだ」
勇者様はスッと席を立つと、私の方に歩み寄り、私の二の腕をつかんで強引に立ち上がらせました。
「神などいないよ。誰も、罰しやしない」
酒臭く甘い息が耳元にかかり、私は青くなって首をすくめました。
「手荒な真似はよして頂きたい」
この様子を見かねたのか、今までずっと黙っていた神父さまが私と勇者様の間に割って入って、つかまれていた私の腕を振りほどいて下さいました。
「貴殿のような乱暴な輩が勇者とは到底思えない。お引取り願いたい」
「信じないならそれでもいいさ」
勇者様は軽い所作で青く光る魔剣をつかむと、暗い聖堂をコツコツと歩かれます。
「しばらくこの村に滞在してやるから、村人たちの様子をよく見るがいい。俺の言葉の意味が分かるはずだよ」
アーチ型の重いドアを開け外に出ようとする瞬間、勇者様はくるりと私の方に振り向きました。
「また来るよ。小さなモブさん」
秀麗なお顔に余裕の笑みを浮かべて。勇者様は聖堂を去ってゆかれました。