蛍と冷泉さんの乗馬練習は好評で、御所で見かけた人は皆褒めてくれた。春宮だということを差し引いても、冷泉さんは馬に乗るお姿も見事でまだ少年なのにとても様になった。
「みかど!」
馬上から呼び止められると思わず平伏したくなるような凛々しさだと思った。冷泉さんは眩しいくらいの笑顔で俺に手を振って下さる。
「冷泉さんと乗るとどうしても目立つんだよねー」
蛍はそれだけが気になるようで苦笑した。
「蛍も格好良いからね。二人で乗ってたら何事かと思うだろうね」
「暇な人がぞろぞろついてきちゃうんだよ」
それは考えていなかったと思って俺は反省した。貴族たちでさえその有様では、町へ出たらもっと多くの人に囲まれてしまうだろうか。恋人にお忍びで会いに行くわけでもなし、バレて困ることもないんだけれど。
「まあそれが従者代わりで良いっちゃいいんだけどね」
一応太刀でも佩《は》いとくね、と蛍はさり気なく怖いことを言った。
「危険ならやめようか」
「へーきへーき。京で俺と斬り合う奴もおらんでしょ」
蛍はあっけらかんと笑うと
「そろそろ行く?」
少し緊張した面持ちできいた。
「そうだね」
「まずは三條邸の周りをウロウロして、手でも振ってこようかな」
俺は蛍と冷泉さんに狩衣を着てもらい、ある晴れた日の午後、いつもの門から二人を外へ出した。今日は完全に御所外へ出るから複数の門を通らなければならない。俺は用意していた直筆の書状の一つを蛍に渡した。
「もし門番の人に止められたらこれを見せて」
「馬でサッと通っちゃうからいいよ」
蛍は笑ってそう答えながらも、俺の書状を受け取り懐へ入れてくれる。彼は親王だし位も高いので心配無いとは思うが、春宮を連れ去ったと言いがかりを付けられても困るので念の為の措置だった。馬に乗った二人は悠々と外へ通じる門に向かって進んで行く。俺は彼らの背を見えなくなるまで見送ると、今度は御所に近い方の門に毎日立ってくれている門番の人にもう一つの書状を渡した。
「しばらくはいつもこれを身につけておいて下さい。あと何かあったら必ず俺に知らせて下さい」
「はい」
門番の人は少し不安げな表情でうなずいた。この人に迷惑をかけたくないけれど、救う術はあると思っていた。
◇◇◇
その日の首尾は上々で、冷泉さんはお母上の入道宮さまを驚かせ、喜ばせることができたようだった。あくまでも「散歩のついで」に「気軽に立ち寄った」体がよくて、俺は事前に文も送らなかった。歩いて行ける距離なのだからいつでも好きな時に会ったらいい。冷泉さんに「母に会うのは難しくない」と思ってほしかった。
このままでは済まないだろうなと思っていたら案の定、俺が書状を渡した門番の人が次の日には交代させられていて。
「体調不良とか申しまして」
代わりの人が言うけれど絶対嘘だと思った。
「その方の家に行って連れてきて頂けませんか。それまで俺がここに立って待っていますので」
「しかし……」
俺は門の脇に立って動かない姿勢を見せた。気の毒だがここは強く出ないといけない。持ち場を奪われたこの人は困って上司に相談に行った。そのうち上司の上司のような人が出てきて
「すぐ参らせます」
と恐縮して言った。俺は元の門番さんが帰ってくるまでずっと立っていた。何時間でも立っているつもりだった。
「すみません、嫌な思いをさせて」
俺は戻ってきた門番の人に謝った。
「いえ」
彼は首をふると
「私にも春宮様と同じくらいの子がおります。お気持ちはわかります」
俺に優しく言ってくれた。俺はその足で母のいる梅壺へ向かった。母は最近俺を監視するため御所に居ることが多くなっていた。
「そなた、少し横暴がすぎるのではないか」
母は俺に会っても全く悪びれる様子がなかった。脇息によりかかり、批判的な流し目で俺を見る。とぐろを巻く大蛇に似ていた。俺は皆が恐れるこの人のことが怖くはなかった。
「母上に言われるとは恐縮です」
俺がそう答えるとむっとするので笑ってしまう。親子なんだから似たって当然じゃないか。
「冷泉さんがお母上と会われるのを邪魔しないで下さい」
「邪魔などしてはおらぬよ」
「なら俺の勘違いでしたね」
正面切って問い詰めてもしらを切られることはわかっていた。この人に説得は通用しない。力・で・わ・か・ら・せ・る・しかないんだ。
「門番には勅諚《ちょくじょう》を持たせております。あの門を守護することは俺からの命ですので」
母はそれを聞くと不快そうに顔をそむけた。美人だった面影はあるが目元口元が険しく変わってしまっている。
「どうしてそんなに意地悪をするのですか」
俺は悲しい気持ちになって訊いた。
「子が母に会うのに理由がいるのですか」
母は何も答えない。
「俺は、母上がこれ以上誰かを傷つけるのを見たくないのです。つらいのです」
深い哀しみとやるせなさがこみ上げてきて、俺は言葉を止めた。
「俺が嫌なら殺して下さい」
それだけ言うと席を立った。俺は世間から嫌われているこの人がどうしても憎みきれなくて。好きだった。あんなに意地悪な人なのに、心のどこかでこんな人じゃないはずだと願っていた。どんなに歪んでいても必死に俺を愛したことを知っていた。この人が次に誰かを傷つけるなら、身を捨ててでも止めたいと思っていた。