”マリア! マリアよ!”
その時、突然私をお呼びになる声がきこえて。私は暗い天井を見上げました。その声はすぐ耳元できこえるような気がしますのに。とても遠い所からの声のような気もします。
”祭壇に火を灯せ”
私は謎の声の仰せのままに、暗い階段を降りて聖堂へ向かうと、長い祭壇のろうそく一つひとつに火をつけました。そしていつものようにひざまずいて祈ると、とても心が落ち着く気がしました。あの方たちに乱される前の平和が、戻ってきたかのような……。
”転生者《バグ》は消去した”
天からの声は厳かに、私に事実を告げました。
”これにより、転生者《バグ》と関わった全ての痕跡も消える”
消える……。人を、消してしまったのでしょうか。私は神のみ手の恐ろしさに身震いがしました。あの方たちはどうなったのでしょう。どこか別の世界へ、行ってしまったのでしょうか。
「でも、良かったのですか……? あの方はこの世界を救った勇者だと」
私はそれだけが気になって、思わず尋ねてしまいました。恐ろしい魔物を封印したとおっしゃっておられましたが。
”無害な魔物を殺《あや》め、救世を偽装した。罪は重い”
天の御声は厳しい口調で、理由を教えて下さいます。
私は、神さまが本当に居てくださったのだという喜びと、なぜ今の今まで助けてくださらなかったのかという悲しみで、胸が締め付けられるような気がしました。
「なぜ今まで……来てくださらなかったのですか? 転生者とは何ですか? この世界は作り物なのですか? 私の人生は……ゲームなのですか……」
私はほとんど一息に、絞り出すように尋ねました。最後のほうは涙声になって、うまく言葉が継げません。
”たしかにこの世界は、私が創った”
”更新《アップデート》が重なり、プログラムに齟齬《そご》が生じて、転生者《バグ》が発生した”
”救助が遅れて、すまない”
あまりにもあっさり謝って下さるので、私は申し訳ないやら悔しいやらで、ひざまずいたまま、スカートの裾をぎゅっと握りしめました。
「私のことも、神さまが創って下さったのですか」
”そうだ”
「台詞《セリフ》もないのに……」
”気に入った人物《キャラ》なので、物語《ストーリー》に入れたくなかった”
「???」
私が首をかしげると、神さまも黙っておしまいになりました。
「でも、ありがとうございました。もう、ダメかと思いました……」
私は大切なことをお伝えしていなかったと思い出し、今さらですが、長い祭壇に向かって深く頭を下げました。
”そなたの望みを言え”
急に厳かな口調に戻って御声がそうおっしゃるので、私はしばらく黙ってしまいました。
”平凡な女の幸せか”
私は先程までのことがあまりにも怖くて、この先男性と結ばれるのはちょっと難しい気がしました。私の望みは、以前のような穏やかな生活に戻ることだけです。でも、本当にそれでいいのでしょうか。私は神さまをお慕いしておりますが、今までのように自分の世界に閉じこもり、ただ祈っているだけでいいのか、わからなくなっていました。
「御心に、おまかせいたします」
私はさんざん考えた挙げ句、目を伏せて、やっとそれだけを申し上げました。この神さまにお任せしていいのかどうか、若干不安ではありますが……。何の力もない私がこの世界で何をすべきなのか、どうしても思いつかなくて。ただただ、創造主のお力にすがります。
神さまはなんの返事もなさらず、黙っておいででした。どこか遠くから私を見守って下さっているような、そんな気配を感じます。私は両手を組んで、そっと祈りました。やがて祭壇の火は風もないのに、いっせいに消えてしまって。私はもう二度と、神さまの御声を聞くことはできなくなってしまいました。
◇◇◇
私は自分の居室に戻ると、寝台にドサッと身を沈め、泥のように眠りました。何も考えることができなくて。
「マリア! マリアや!」
次の朝、だいぶ日が高くなってから目を覚ますと、階下から私を呼ぶ声がしました。年老いた、お爺さんの声です。私は居ても立ってもいられなくなって、昨日の服のまま階段を駆け下りました。
「どうしたんじゃ、そんな格好《なり》で」
神父さまは呆れながらも笑って、私を見つめて下さいます。髪も眉毛も真っ白で、白いお髭が口を隠して胸元まで伸びていました。
そうです。そうでした。この方が私を育てて下さった神父さまでした。私は興奮して神父さまに抱きつくと、両手を握ってぶんぶん振ってしまいました。あまりにも久しぶりに会う気がして。涙がこぼれそうになります。
「今日は村の人たちが礼拝に来るから、準備なさい」
神父さまが笑ってそうおっしゃるので、私は慌てて新しい修道衣に着替え、聖堂を掃き清めました。
「村で子ヤギが生まれてな、教会にも一匹下さると言うんじゃ。草も食べるし飼うには良いと思うんじゃがな」
「はい、素敵ですね!」
私は嬉しくなって、聖堂の長椅子《ベンチ》を布で磨き上げながら答えました。村の方とお話できるし、かわいい子ヤギにも会えるし……。今までよりすこし楽しい日常が始まりそうな気がして。私の心は明るく、ウキウキしておりました。