翌朝起きるとやっぱり陛下はもうおられなくて、陛下は本当に早起きだなあと思いました。たまには陛下の寝顔を見てみたいものですが……私のような怠け者には難しいのかもしれません。私は服を着てベッドを整えると、陛下のお部屋を見渡しました。陛下との思い出は皆幸せで、あたたかかったなあ……。ベッドに腰掛けながらそんなことを思っておりますと、トントンとお部屋のドアがノックされて、
「失礼致します」
立派に正装したコンラが入ってきて、私の座るベッドの前に片膝をつき、かしこまりながら言いました。
「先日はお助け頂きありがとうございました。また、失礼なことばかりお訊きして申し訳ございませんでした。陛下が『昆羅に靡《なび》く者だけは嫌だ』と仰るので、試すようなことを致しました」
コンラがあまり改まった様子なので、私は驚いてしばらく目をぱちくりさせておりました。
「あなたが皇妃となられたこと、大変嬉しく思っております」
「はあ……」
私はまったく理解が追い付かなくて、つい頼りない返事をしてしまいました。ずっと目を伏せて話していたコンラがそっと顔を上げ、心配そうに私を見つめてくれます。
「あの、皇妃とは……?」
「お聞きではないですか」
コンラはちょっとガクッとしていましたが、姿勢を改めて私に教えてくれました。
「我が国では新月の夜花嫁に指輪を渡すことで結婚生活をはじめるのが伝統です。指輪、貰いましたよね……?」
コンラまで不安そうにするので、私は左手を確認しました。確かに金色に光る細い指輪が、薬指にそっとはまっています。
「良かったです」
コンラはホッと息をつくと、
「重要な儀式がございますので、お召し替えをお願い致します」
やっぱり改まった感じで私に言いました。私は何だかおかしいようで全く現実感がなく、まだ夢の中なのではないかと思いました。髪と衣装を綺麗に整えてもらって儀式の行われる宮殿までしずしずついていくと、巨大な広間に大勢の家臣が並び、一番奥の椅子に陛下が座しておられるのが見えました。重々しい衣装を身に着け、冠をかぶっておられる陛下はとても荘厳で、私は恐れ多く、ずっと目を伏せておりました。
(臣下たちの前で、夫婦となった証の文書に署名して下さい。特にお言葉などは仰らなくて結構です。)
私は陛下の隣にある椅子に座らせてもらうと、コンラに教わった通り、分厚い書面の一ページにサインしました。陛下の隣に、陛下から頂いた名を書いて。私は陛下に恥をおかかせしないことだけに意識を集中しておりました。
重要な儀式が終わりお住まいのお城に戻られると、陛下はバッバッと歩きながら次々衣装をお脱ぎになっていつもの軽装に戻られました。
「飯だ!」
大きな椅子にドカッと座られるとあの懐かしい、よく通る声で仰せになります。私は陛下に御礼申し上げたく思いましたが、陛下の周りには常に誰かいて、順に何かを話しかけ、重要そうなことが次々決まっていきますので、お忙しそうな陛下をただそっと見守っておりました。陛下の御前にはたちまち温かな料理が並び、美味しそうな湯気が立ちます。陛下はつと私の目を御覗きになると、隣の席へ来いと示して下さいました。私は嬉しく思ってお隣に座らせて頂きました。
「たくさんお食べになるんですね!」
お食事姿を見たいと私が言っていたことを覚えていて下さったんだと思うと嬉しくて、私は美味しそうなお料理を前に、ついウキウキして陛下に申し上げました。
「たわけ。余とそなたの分だ」
陛下が少し呆れて仰います。えっ、私も……? 私は豪華なお料理を前に少し戸惑ってしまいました。こちらに来てだいぶたちますが、私はいまだにお箸使いが苦手なのです。陛下は銀のスプーンでトロッとしたおかずをお掬いになると、私にパクッと食べさせて下さいました。
「ん、美味しい」
私がもぐもぐしながら陛下を見ますと、陛下は悪戯っぽい目で私を覗き込み、二ッとお笑いになったのです。その笑みが本当に……可愛いと申し上げると失礼かもしれませんが、やはり可愛くて、私は一瞬で胸を射抜かれ、ぼーっと見惚れてしまいました。いつも厳しく、怒っておられるイメージの陛下でしたが、おそばで拝む笑顔の破壊力と言ったら……。
陛下はぼんやりする私に銀のスプーンを与えて下さると、ご自身はお箸でパクパクお食べになりました。二人分という割にはどんどんお食べになります。私は何かお返しをしなければと思い、頂いたスプーンでお料理をすくって、恐る恐る、陛下に差し出してみました。陛下はガブッと噛みつくようにお食べになって
「美味い」
私の頭をわしゃわしゃっと撫でると、また私に笑って下さいました。もう、だから、無理……。私は銀のスプーンをそっと置くと、赤くなる顔を両手で覆ってしまいました。陛下の笑顔が眩しく、尊くて、とても直視できないのに忘れられません。
もっと、見たい。できるだけおそばでお守りしたい。皇妃なんてと今まで不安に、恐ろしく思っていた私の心もこの笑顔ですべて溶かされてしまって、ただ一人の主、もう何がどうなっても一生この御方のおそばから離れられないのだろうと私は思いました。