光《ひかる》十九歳の二月に藤壺さんが御子をお産みになられた。男御子だった。
「男の子か……」
俺はいよいよ来たなと思って心の準備をはじめた。御所は父上はじめ大変なお祝いムードで正月が再来したかのような喜びようだった。母一人を除いては。
赤ちゃんが無事育つといいな。俺はなぜか亡き桐壺さんへ手を合わせて祈りたく思った。死なせてしまってごめんなさい。今度こそ父上の願いがかなって本・当・に・愛・す・る・子・を春宮にできたらいいと思う。
藤壺さんはお里で出産、静養なさった後四月に御所へ戻られた。若宮もご一緒だった。
「小さい頃からそなたばかり見て思い出されるからだろうか、とてもよく似ているね。ごく小さい頃は皆このようなものだろうか」
父上は若宮を抱いてあやしながらとても嬉しそうにお笑いになった。俺の方にも歩いてこられて。
「どうだ、朱雀。可愛いだろう?」
年を取ってからできた御子に無限の愛情を注がれる。
「とっても可愛いですね。光にそっくりです」
俺もニコニコしながら答えた。御前には光と藤壺さんもおられて。藤壺さんは几帳が立ててあるから気配しかわからないけれど、奥に控える光は一瞬ハッとした表情で俺を見た後、目を伏せてうつむいた。顔がひどく青ざめているように見えたけれど。気のせいかな。
「お母さま似なんでしょうね。光に似て賢そうです」
「おいおい、それじゃわしに似たら賢くないと言ってるようなものじゃないか」
「いえ、そういう意味じゃないんですよ」
「はっはっは、まあそう慌てるな。仕方ないかもしれんな。じっさいお前が一番わしに似ているようだから」
父上は俺の失言も咎めず上機嫌で笑われた。若宮の可愛さによろずの罪もお許しになるらしい。俺も微笑みながら若宮を見守った。この子が無事大きくなりますように。そしてこの子に平和な世を継がせてあげられますようにと心の中で祈った。
父上の御前を退出するとき、光がさりげなく俺の後ろをついてきて俺たちは二人で梅壺に戻った。俺が自分の席に座ろうとした途端光は俺の腕を強く捕らえて
「兄貴、ちょっと」
俺を塗籠に引きずり込むと扉を閉めてサッと閂を差す。あまりの早業に俺は目をパチクリさせて薄暗い室内に尻もちをついていた。光は青ざめた顔のまま幾分怒った様子で俺の斜め前に座った。
「どういうこと?」
「えっ、何が?」
「知ってたの?」
「何を??」
俺はなぜ光がこれほど怒っているのかわからなくて当惑した。光は密室である塗籠内でも左右の気配を慎重にうかがいながら、俺の耳に手をあてて囁く。
「あの子のことだよ。知ってたの?」
「あの子って若宮様のこと?」
「あの子の父親が俺だってこと」
「えっ……えええええ!?」
あまりの衝撃に俺が大きな声を出すと、光が瞬時に俺の口を塞いだ。
「声がデカいよ」
「ごめん、でもなんで??」
「なんでって応援するって言ったじゃん」
「言ったけど、あれ実話なの?!」
「俺があの設定持ち出して虚構《ウソ》なわけないでしょ」
「いや現実なんて思わないよ……相手は帝だよ……」
俺は卒倒しそうにびっくりして二の句が継げなかった。嘘、なんでそんなことしちゃったの……やることの規模が大きすぎるよ……。
「でも確かなの? 何かの間違いじゃ」
「出産予定日が合ってるから。多分間違いない」
「そう……」
物の怪のせいじゃなかったんだと思って俺はそこだけは良かったような気もした。それにしても、これは……。
「兄貴こそ知ってたんじゃないの? 俺さっき兄貴が『俺にそっくり』って言うから完全にバレてたんだと思った。バレてたけど知らんフリしてあのタイミングで父上にバラすつもりなのかと」
「しないよ、そんなこと」
俺は必死になって首を振った。そんなことしたら光もだけど藤壺さんがただじゃすまないよ。
「じゃなんであんな紛らわしいこと言ったの?」
「だって藤壺さんは桐壺さんとそっくりなんだから、その子も似るのかと思って」
「似るにも限度があるだろ。あの子は本当に俺にそっくりなんだよ」
光は嬉しさと困惑がないまぜになったような表情で俺に語った。
「そんなに似てるんじゃ、藤壺さんはさぞお辛いでしょう」
「うん……もう全然会ってくれない」
「気の毒に……」
光と藤壺さんのどちらに向けたらいいかわからないような気持ちで俺もため息をついた。これは、苦しい。死ぬまで隠し通せるのか。
「とにかく若宮様を守らなきゃいけないね。もちろん藤壺さんも」
「そう思ってくれる?」
「そりゃ思うよ。俺陣営が一番危害加えそうなんだから」
俺は今までにない規模の最重要機密がこの人生に加わってしまったと思って腹の底がズシンと重くなる気がした。こんなことが微かにでも母や祖父に知られたら。大変なことになる。
「他に知ってる人はいないんだよね?」
「俺たちと手引の命婦《みょうぶ》以外知らないよ」
「そう……」
先程までの父上のあの嬉しそうなお顔が目に浮かんで、俺はなんとも言えない気持ちになった。あの愛らしい若宮が子ではなく孫だと知ったら、父上は嘆かれるだろうか。喜んでくれるのではないかと思いたいけれど。とてもじゃないが父上に明かせる秘密ではない。
「光もつらかったね」
俺は今までの光のどこか思いつめたような表情はこのせいだったのかと察して、長年の謎が解けたような気がした。
「兄貴が味方してくれるなら、心強いよ」
光はいくぶん生気を取り戻した様子でため息をついて。俺たちは薄暗い密室内に呆然と、しばらくの間座っていた。誰より美しい御子が生まれて。衝撃的な秘密生活が始まってしまったと思った。