十一月のはじめ、ちょうど父上の命日に雪が降った。もう一年経つんだな。雪は深くて御所も一面の銀世界になった。足跡をつけるのが惜しいような美しさで、童たちは雪玉や雪うさぎを作って遊んでいた。
十二月には中宮さまが三條邸で御八講《みはこう》を行われた。法華経八巻を朝夕二回に分け、四日間講説する尊い法会だ。上達部や親王も大勢訪問したようだった。もちろん光《ひかる》もいた。そこで中宮さまが出家を発表なさり、来客は皆驚いた。御所にも急ぎの使いが来て俺や冷泉さんも知った。
「すー兄《にい》、最大級の人払いできる?」
御八講から戻った蛍が緊迫した様子できくので
「寝所なら大丈夫じゃないかな」
俺も焦った気持ちで答えた。蛍は俺の寝所である夜御殿のある部屋全体を厳重に戸締まりすると、普段なら周囲に侍る女房たちにも出てもらい、どかっとあぐらをかいて座った。
「光、大丈夫?」
「わかんない」
蛍は今度は立ち上がって左右にウロウロすると、侍女から酒をもらってきていくつも部屋に置いた。
「俺やっぱ帰るわ。いないほうがいいと思うから」
そしてここまで準備してくれながら蛍は結局自邸に帰ってしまった。俺は光は来るのかなと思いながら寝所に座ったり横になったりした。そのうち浅く眠ってしまって。ふと目覚めると、光が柱の一つに背を預けて飲んでいた。
「光……」
光の目は赤く腫れて据わっていた。俺がそばに座っても光は一点を見つめたまま視線を動かさなかった。
「女傑じゃなかったね」
「そうだね」
俺が盃を持つと光は黙って酒を注いでくれた。俺も少し口をつけて。昔のことを思い出す。
「いつまでも一緒に生きていきたいと思ってたんだ。俺が守るって約束して。彼女となら生きていけると信じてたんだけど。勘違いだったね」
俺は胸をえぐられるような気がした。
「あれほど俺に会うのを嫌がってたのに出家したら話してくれるようになってさ。もう安心って感じで。俺が殺したんだね、彼女を。そこまで追いつめた」
俺が差した盃をグッと飲み干し、光は酒を飲む手を止めると虚空を見つめた。
「子がいなければもっと続いたのかなと思ったりしたけど……無理だよね。あの子がいないなんて考えられない。あの子が生まれるための縁だったのかもしれないね。彼女の中では、俺はもう用済み」
「そんなこと、ないよ……」
俺はつらくて、言葉が喉につかえた。
「あとは真面目に後見すればいいのかな。二人の幸せのために、一生、他人として」
生きていても手を握れない。愛をささやくことも抱きしめることもできない。出家とはそういうことだった。恋人としては永遠に死んでしまうことだった。
「なんにも言ってくれなかったんだ、ホントに……そんなに俺が嫌だったのかって……」
秘密の関係がバレるのが怖かったのかな。右大臣の世だから何を言われるかわからないと思ったのだろうか。俺はいろんなことを考えたが、中宮さまの思いを推し量ることはできなかった。
「俺の想いが止むよう神・仏・に・祈・っ・た・って言うんだよ。そこまで迷惑なのかって。俺あってのあの子だろって腹も立ったんだけど。違うよね、春宮なんだから。あの子のほうが大事に決まってる」
冷泉さんが春宮じゃなかったら。二人はもっと一緒にいられたのかな。俺は冷泉さんの可愛さを思った。冷泉さんの存在は俺のひかりで、この国の希望で。でも二人にとっては眩しすぎたのかな。
「俺だって何もかも捨てて出家したいけど冷泉さんが心配だし、女たちも捨てられない。彼女には先に逃げられて……」
笑ってよ、と言うと光の瞳から涙がこぼれた。
「愚かな俺を、笑って……」
光は空の盃を落とすと顔を押さえて泣いた。ボロボロ、ボロボロ泣いて床に涙がこぼれる。笑えるわけがなかった。入内されてからずっと続いた十年以上の恋を。苦しいばかりじゃない、喜びもあったであろう時間を。なんで守れなかったんだろうと思った。なんで俺は弟の恋ひとつ守ってやれないんだろう。
光は顔を押さえたまま背を丸め、酔い泣きに泣いた。俺は酔えないし泣けなくて。これが俺の世なんだと思った。父上はおられないんだから周・囲・さ・え・黙らせればよかったのに。俺にはそれができないんだと思った。