「妊娠したようです。」
俺が帝になってから初めて来た葵さんからの文には、不安の色が濃く表れていた。
「昨年末から気分が優れなかったのですが最近は特に酷く、胸をせき上げるように苦しいこともございます。祈祷、修法《ずほう》もさせていますがなかなか良くなりません。」
俺は心配になり、なんと返したらよいかわからなかった。
「どうかお大事になさって下さい。俺も祈祷をさせます。」
書いて送ってしまってから、おめでとうございますと言うのを忘れたと思った。おめでたいんだよな。新しい命の誕生はおめでたいが出産は命がけだから怖い。月の夜ごとに絵物語を交換した去年のことが遠い昔のように思い出される。光《ひかる》も御所から左大臣邸に帰り、そのまま御所に来るという日が増えていた。
「葵さんの具合はどう?」
「だいぶしんどそうだね。中宮様が妊娠してた時よりつらそう」
光がそう言うので俺はますます不安になってしまった。光は冷泉さんに笛を吹いて遊んであげていて。俺はふと通りがかった体でそっと話をきいていた。
「そんな顔しないでよ。一応めでたいんだからさ」
「ごめん」
光の子がもうひとり生まれるというのは嬉しいに違いなかった。でも……。お腹の子も葵さんにも元気でいてほしい。その夜青い巻物が届いて、俺は緊張して開けた。
「この子が生まれたら、たまにでいいので気にかけて頂けませんか。」
葵さんは筆を持つのもつらそうで。でも代筆を頼まず自ら書いてくれた字だった。
「もちろんです。伯父として精一杯のことをさせて頂きます。」
俺は宣誓文のように書いて直接使いの人に渡した。
「無理に返信しなくていいと伝えて下さい」
左大臣邸も文通どころではないのだろう、俺がそう言うと使者は頷いて去った。俺は毎日手を合わせて祈っていて。どうか無事に生まれて下さい。どうか……。俺は夜も眠れず昼御座に居てもぼんやりしながら、夜昼なくそのことばかりを祈っていた。
◇◇◇
四月になると、いよいよ賀茂祭が行われた。斎院《さいいん》の御禊《ごけい》の日、一條大路は公卿や女房たちの物見車で混雑し身動きも取れないほどだったそうだ。俺の頼みどおり、光は特別な宣旨《せんじ》の大役を滞りなく果たしてくれた。盛装した光を一目見ようと貴族だけでなく町の人々まで街頭に繰り出して大変な騒ぎだったらしい。
「奥様は体調もお悪いし最後まで嫌がっておられたんです。でも私たちがどうしても見たいと無理を言いまして……。急に行きましたので場所がなく、私たちは困っておりました。諦めて帰ればよかったのですが。若い従者たちが酔い過ぎ、挑み心を出しまして、私たちの車が強引に六条様に押し勝ちそこへ陣取ってしまったのです。大変ひどい有様でした。奥様には二度とお見せできません。」
いつも上手い絵を描いてくれた葵さんの女房が俺に悲しい報せをくれた。巻物には入れられないからと別の紙でくれた文には、榻《しじ》を壊され、奥に押しやられた哀れな網代車が描かれていた。
「奥様は大変な落ち込みようでお体もますます悪くおなりのようです。今では筆を握るお力も無く、絶えず苦しげに臥しておられます。本当にお詫びのしようもございません。」
俺は目の前が真っ暗になるような気がした。葵さんの女房たちが今日の御禊見物に繰り出したのも、光の晴れ姿を一目見たかったからに違いない。こんなことになるなんて……。俺は車を壊された人も哀れだし葵さんも気の毒だしで、胸が塞がる思いがした。