今夜のお茶もいい香りがしました。食後の優雅なお茶の時間におよそ相応しくない単語を放ちながら、私はおずおず切り出しました。
「ヒュー、あの……お金、あるかしら?」
「えっ?」
ヒューはちょっとびっくりした顔をしながら、私を見つめます。
「何がほしいの? 何か足りなかった?」
ヒューはどんな催しに何が必要か私より詳しく把握していますので、服でも靴でも私が頼むより先に三種ほどの候補に絞って私に提案してくれるぐらいですから、私が自分から何かを欲しがるということは滅多にありませんでした。私は「お金」という単語を口にしたことすら初めてだったかもしれません。
「何が必要なの?」
「お金が……ほしいんだけど」
「うん」
ヒューは頷いてお茶をゴクンと飲むと、立ち上がって私の部屋の鍵を内側からガチャリと閉めました。そして私の前の席に戻ると、
「何があったか、説明してくれるかな?」
テーブルの上で両手を組み優しい先生のように微笑んで、私の話をきいてくれました。
「えっと……今月のはじめから、こんな手紙が来るようになって」
私は白い封筒をそっとヒューの前に置きました。ヒューは封筒を裏返し、差出人名がないことに眉をひそめながら、
「見ていい?」
私に訊きます。私がうなずくと、ヒューは三通の手紙にサッと目を通しました。
「額は気持ちでって書いてあるんだけど……いくらくらい用意すればいいものかしら?」
「姉さまはいくらぐらいならいいと思う?」
ヒューはクスッと笑いながら逆に私に尋ねました。
「えっ?」
「そもそも、姉さまって物の値段わかるの? 今着てるドレスは? 靴は? さっき食べた夕食は? このお茶は? 値段、わかる?」
「ううん、全然……」
私はしょんぼりしながら首を振りました。そうなのです。私は物の値段をほとんど知らないのです。必要な物はメイドに頼めばすぐ用意してもらえるので、私は値段を見て支払いをする、ということをしたことがありませんでした。
「大体お金自体見たことないんじゃない? 金貨とか銀貨とかさ」
「そうね」
「凄いね、いかにも貴族って感じ!」
ヒューはフフフッと嬉しそうに笑うと、
「まあ姉さまほどの貴族なら仕方ないし、そうあるべきだと思うよ、うん。姉さまは正しく育ってる。僕だって現物はあまり見ないしね。モノの値段は知ってるけど」
ヒューはしゅんとしている私を励ますように、頭を撫でてくれました。
「そう落ち込まないで。額さえわかれば姉さまだって計算できるよ。僕たちが数字を出さないのもいけなかったね。ただ、この邸を維持する費用をローソク一本に至るまで計算して出すと大変だからね。そういう面倒なことは執事に任せてたから」
ヒューは「さて、と」と話を本題に戻すと、例の手紙を持って軽く振りながら言いました。
「この手紙に支払うべき額は、ゼロだ。こんなもの、何の価値もないよ」
「それで……大丈夫かしら?」
「うん」
ヒューは大きくうなずいて、美味しそうにお茶を飲みます。
「大体、貴族のお嬢様に『金を出せ』って言ってもすぐ出てくるわけないの、ちょっと考えればわかりそうなものなのにね。相当僕たちに疎い人間の犯行なのかな。あるいは、そう思わせたい誰かか……」
ヒューはフフッと笑うと、形の良い顎を撫でながらしばらく考えていました。心なしか、この状況を楽しんでいるようです。
「このまま完全無視を決め込んでたら、こいつ次はどう出てくるつもりかな? なんか面白くなってきたよ」
「そんなことして、ヒューは危なくない?」
「僕は銃くらいなら撃てるし。危ないのは姉さまのほうでしょ。メイドだけ連れて外出とか、しないでね」
「うん」
ヒューは私の両手を握って目を見ると、それだけは固く約束させました。そして笑顔に戻ると、
「僕の誕生日さ、やっぱり湖畔の別荘に行こうよ。デートしてオペラ見て、夜はシェフを呼んでディナー。楽団の生演奏も聴こう」
「そんな派手にして、大丈夫?」
「むしろ挑発してやろうよ。どっからどう見ても恋人同士にしか見えないラブラブデートして、周りに見せつけんの。そもそも僕、姉さまと付き合ってること隠してないし」
「そうなの……?!」
私はびっくりして、しばらく固まってしまいました。
「うん。血縁でもないんだし、全然問題ないじゃん」
ヒューは相変わらずあっけらかんとしています。
「それに僕、売られた喧嘩は買う主義なんだよね」
ヒューはそう言うと不敵に笑いました。私一人どうなることかとハラハラしていましたが、ヒューはもうすぐ来る誕生日を心から楽しみにしているようでした。