1.
ふたりが出会ったのは四年前の夏でした。
随《ずい》が十六、敬《けい》が十九のときです。
ふたりは工場で夜勤をしていました。
随は歳をふたつ偽っていました。
「なぜ働いてるの」
「金が要るからさ」
敬ははじめ、とても警戒心のつよい人でした。
工場の夜勤なんてろくな奴がいないと悟ってしまったからです。
「お前こそ。なんでこんな所にいんの」
「なんとなく」
随はその頃から穏やかに笑う人でした。
赤みがかった瞳をして、下唇の端に縫った跡がありました。
「お前高校生?」
「うん」
「夏休み?」
「うん」
「夜勤なんてやめとけよ。体壊すぞ」
敬は弟のことを思い出していました。
「馬鹿になるから。早く寝ろ」
「うん」
随はすこしうれしくなりました。
「ありがとう」
うれしくて、敬にお礼を言いました。
次の日、随は来ませんでした。
敬はよかったと思いました。
育ち盛りに夜勤なんていけません
辞めて正解です。
でもすこし寂しい気もしました。
パチンコも風俗もしない彼には話し相手がいませんでした。
次の日もこなくて、次の日は休みで、その次の日、随は来ました。
「お前、辞めてなかったのかよ」
「うん」
随は申し訳なさそうにうなずきました。
「来週から日勤だよ」
「交代制かよ!」
敬はびっくりしました。
夜勤よりもっといけません
確実に体を壊します。
「夏休みだけだよ」
随は笑っていました。
「なんでそんなに働くんだよ」
「金が要るから」
随は敬の真似をして、とてもやさしく答えました。
夏の終り
随は敬に四百万渡しました。
パンを買うともらえるような茶色の紙袋に、お札をいっぱい詰めてくれます。
「弟さんの学費に」
「受け取れないよ、こんな」
敬はかすかに首をふりました。
「素性の知れない金」
素性の知れないと言われて、随は思わず微笑みました。
素性の知れた、いいとこ育ちの金があったら、どんなに綺麗なことでしょう。
「お前が貯めたの」
「遺産もあるよ」
「父親を殺した?」
敬は悪い噂を聞いていました。
随には父親殺しの前科があると
「殺したら遺産はもらえないよ」
随は笑っていました。
「普通ならね」
紙袋は随の腕の中で、肉まんみたいに膨らんで温かそうでした。
「返せないよ、こんなに」
「返さなくていいよ」
随はそれをやさしく敬におしつけて去ってしまいました。
派遣の制服に名札はなくて、ふたりはまだ互いの名を知りませんでした。
2.
「Kっていうんだ。なら敬だね」
警や計と呼ばれたことはあっても、敬と呼ばれたのは初めての気がしました。
敬はその名を気に入りました。
「うん」
うなずいて、自分の名にします。
随は派遣会社の用意した小さな寮に住んでいました。
事務のお姉さんを口説いてこっそり履歴書を見せてもらった敬は、随に会いに行ったのです。
随は中学を一度変っていました。
出ても出なくてもいいような高校を出たことにしていました。
「とにかくお前の金は使えないけど、お前の金を運用して得た利子は使わせてもらうから」
結局使ってる気がして、随はくすりと笑いました。
敬は几帳面で、いい人そうに思います。
「元本は取っておくんだね」
「何かあったら困るからな」
「人質だね」
「金質だ」
普通口座に預けるなら、四百万は敬の生活費と一緒になって出し入れされるでしょう。
寂しい金が敬の口座で、少しでも役に立てばいいと思います。
「どうやって殺したの」
敬はペプシをお土産に、随に渡しました。
「判例に出てるよ」
随はペットボトルの口をあけずに黙って持っています。
「飲まないの」
「炭酸苦手なんだ」
敬は贈り物を取り返すと、口をあけて飲みました。
「百選に出てる? 古本で買うわ」
「百選? には出てないかもしれない」
そんな百本の指に入るような事件ではないように思います。
「十二のときだから、四年前だね」
随はその事件が我ながらよくわからなくて、後から裁判記録を読みました。
新聞やテレビの報道もいろいろ読みました。
「親父が斬りかかってきたから俺も斬り返した気がするけど、定かじゃないんだ」
「何だよそれ」
「凶器の包丁は俺が持ってて……倒れてた」
他に武器なんて無かった気がします。
自分がひとりで父を殺したのだろうか。
「警察の人が、お前がやったんだろって言うから」
「それ子どもにもやるのかよ」
「きつくないんだ。やさしく、言い聞かせるように言うから、そんな気がしてきて。そうかもしれないって言った」
「裁判になったのか」
「うん」
随は全然悲しそうじゃありませんでした。
嬉しそうでもなくて、人ごとのように話します。
「無罪になったのか」
「証拠不十分、みたいな感じかな」
「凶器を持ってたのに?」
「親父に斬られた時の傷があってさ。けっこう深かったから、正当防衛だろうって」
現場は凄いものでした。
血まみれの父と子を後から帰った母が見つけて、通報しました。
他に犯人がいるんじゃないかと捜査も行われました。
でも指紋は父子のものしかなく、随も自分がやったというので、何となくそんな判決に落ち着いたのでした。
「母親は」
「妹と暮してるよ」
随は施設で育ちました。
当然の気がしました。
随の殺した父親は母の再婚相手で、妹の実父だけれども、随には義父でした。
実父を奪った兄と暮らすことは妹によくないと随も思います。
「施設に気の毒な人がいてさ」
随はつぶやくように言いました。
「いいなあ、どうやって殺したのって、目を輝かせながらきくんだよ。俺もいつかあいつを殺すんだって、だから教えてほしいって、せがむんだ」
敬は普通じゃないと思いました。
随の瞳は夕暮れみたいにあたたかです。
「殴られたことより、何も反撃できなかったことがすごく悔しいって。大きくなった後も、父親の前に出ると足がすくんで身を守ろうとする、そういう奴隷根性みたいのが本当に嫌なんだって。だから絶対に殺すんだって。解放されるんだって、言ってた」
「気の毒だな」
他人だったらよかったのにと敬は思いました。
悲しい、寂しい出会いです。
「殺し方教えたの」
「練習はしたけど」
随は照れてちょっと笑いました。
「行くときは連絡してって頼んであるんだ。一応止めようと思うから」
「連絡なんてこないよ」
敬は願っていました。
「殺したくなる頃には爺さん呆けて、何もかも忘れてるよ」
「忘れられたらいいのにね」
随も願っていました。
「許せなくても、忘れられたらいいのに」
随の髪は短くて、色素の薄い自然な茶色をしていました。