光《ひかる》を密かに父と呼べるようになられ、冷泉さんはとても落ち着かれたように見えた。あの太陽のようなニコニコした笑顔も戻られて、御所の皆もほっと胸をなでおろしたようだ。譲位したいというお気持ちも撤回され、引き続き世を保って下さるようだった。
「夕霧くんを加階させてあげたいですから」
冷泉さんはそれが楽しみのようで優しく微笑まれる。
「朱雀さん、実はちょっとお話が」
冷泉さんはやさしい笑顔のまま、俺の袖を引いて柱の陰に呼ばれた。
「蔵で古い書物を調べていた際、気になるものを見つけまして」
冷泉さんは夜御殿に俺を入れて下さると、奥に置かれた雅な唐櫃の蓋をそっと開かれた。中には古代紫の表紙をした、かなり古そうな書物が何冊も置かれていた。
「これは物語本のようなのですが、登場人物が私たちにそっくりなのです」
「はあ」
俺は返事しながらあいまいにうなずいた。俺の鈍さというのは、光似の聡い冷泉さんには申し訳ないくらいだった。
「この物語は、父上の出生前から死後まで続いています」
「すごいですね」
「ですが……」
冷泉さんは少し言いよどまれた後、慎重に続けられた。
「私はこの本には無いことをしてしまいました。この本の中の私は最後まで光る君《きみ》のことを父・上・とお呼びしたことはなかったのですが、私は……」
冷泉さんは取り返しのつかない過ちを犯してしまったかのように、少し顔をこわばらせておられる。
「そんなに現実そっくりな本なのですか?」
「わかりません。私については大方合っていたようですが……」
俺はしばらく沈黙すると、冷泉さんに正直な気持ちをお話した。
「俺が読んで確認したほうがいいのでしょうが、未来まで書かれている書物を読むというのはちょっと抵抗があって。主に誰のことが書かれていますか」
「主人公は父上のようです」
「では光に確認してもらうよう頼んでみましょうか」
俺が提案すると、冷泉さんは緊張した面持ちでうなずかれた。
「お願いできますか」
「光が嫌がるようなら、俺でよければ読んでみます」
俺はその本を何冊か冷泉さんからお借りすると、布に包んで持ち帰った。登場人物が俺たちそっくりなのに古い本とはどういうことだろう。未来を予言した書物なのだろうか。
俺は興味深いというより気味が悪い気がしてどうしても開く気になれなかった。光も同じ気持ちだろうか。光に確認してもらうのもなんだか悪い気がするな……。大した荷物でもないが持ち続けるのも気になって、つい桐壺を覗いてしまった。光がいたら相談してすぐ渡してしまいたかった。
「旦那様は今日は来られていません」
取次の女房に言われて「そうだよな」と思った。光は最近忙しいから。
「二條のお邸に使いを出しましょうか」
「いえ、大丈夫です。俺のほうが伺いますから」
俺は帰りがけに二條院に寄ろうと思ったが、御所から退出しようとしたちょうどその時、車から降りる光とばったり会えた。
「帝に会いたくなっちゃって」
光は自分を父と認識してくれた冷泉さんがますます好きになったらしく、少し照れて笑う。俺は自分の車に光を呼ぶと二人で乗って、冷泉さんから頼まれた用件をヒソヒソと手短に話した。
「読むの嫌?」
「いや、全然大丈夫。読ませてよ」
光は俺の持っていた包みを難なく受け取ると手を振って去っていった。怖くないのか……。俺は凄いなと思いつつ光の背を見送っていた。