父上の死はショックだった。でも俺以外の人のほうがショックは大きかったようだ。俺の頼りなさから右大臣の世になることを嘆く声が多かった。祖父大臣に背いて政《まつりごと》を行える帝がいるならそのやり方を教えてほしいくらいだった。
鈍色の衣を着て俺は祈りを捧げた。父上と叔父上と桐壺さんと、むかし光《ひかる》が亡くした恋人と葵さんにも祈った。祈る間は安心できた。女性を寝所に呼ばなくていいのも気が楽だった。
年が明け光は二十四歳になった。冷泉さんは六歳、夕霧くんは三歳になる。父上の喪が続いているので御所は静かな正月だった。除目で任官される従者も減り光は二條院で休んでいた。権勢は右大臣側に移り左大臣側には不遇が目立った。こんな世にしたかったわけじゃないのに。俺は無念さしかなくて、公務の間も途中で席を立ちたいくらいだった。
二月になり朧月夜さんが尚侍として参内した。大后である母は祖父の邸で暮らすようになり、今は彼女が弘徽殿を局《つぼね》として使っている。若く華やかな女房たちを優雅に付き従え、今をときめく方と言われていた。俺は礼儀上彼女を寝所に呼ばなければならないことはわかっていたが、どうしても気が進まなかった。
「朱雀様……」
その夜も一人で眠ったはずだった。夜更けだろうか、ゆらゆら体を揺らされている気がする。寝返りを打ちたいのに下半身が動かず、俺は妙だなと思った。腰から下が誰か乗っているかのように重い。俺は霊でもいるのだろうかと思った。
「ん……?」
ぼんやりした頭で足元を見ると、乗っているのは女性のようだった。足に長い髪の感触があり、むせ返るような甘い香りがする。彼女は俺の太ももに両手を這わすとぎゅっと抱きつき頬を乗せた。俺は肘をつきなんとか上体を起こすと、寝ぼけ眼をこすりながらその人を見た。
「朱雀様、私ですわ」
若く可憐な声がして、朧月夜さんのようだった。花宴の夜、歌声を聞いたような。
「こんばんは。今夜は、どうして……」
俺はすぐ閉じようとするまぶたをなんとか開きながら尋ねた。帝の寝所というのは俺・が・呼・ば・な・け・れ・ば・誰も来ないことになっている。
「一緒に寝たくて来たんですの」
彼女は俺にまたがると、俺の髪から耳、頬を両手で包み込むようにゆっくり撫で、綺麗な瞳で俺を見た。
「でもあなたは、光の」
「ごめんなさい。あれは事故なんです」
「謝る必要は無いですよ」
ゆるく首をふって、俺は怒ってはいなかった。好きな人と好きなように付き合えばいいんだ。あの夜の二人は本当にお似合いに見えたし。
「どうしてもダメですか?」
「貴女のせいではないのですが。そういう気持ちになれなくて」
今まで呼ばずにすみませんと俺は彼女に謝った。
「好きな方がおられるんですか」
「はい。この前亡くしました」
彼女は俺が落ち込んでいるのを見て、俺の頭を抱えるようにして優しく抱きしめてくれた。俺はしばらく彼女の胸の音をきいていて。
「朱雀様のお心がその方にあることはよくわかりました。ではお・体・は・私に下さいませんか」
「体をですか」
俺はどう答えていいかわからなかったが
「お望みならば差し上げます」
どこか不要品を扱うような気持ちで言った。この体は重く、物憂い。彼女は嬉しそうに微笑むと俺の額に口づけして、襟元に細い手を差し入れた。
「あの……無理しなくていいですよ」
俺は戸惑ってしまって。
「お嫌ですか?」
「……」
俺はしばらく言うのを躊躇していたが
「光と比べたら、何もかも劣っていると思います」
と正直に白状した。事実なので仕方なかった。体格差もあるし経験の差もあるだろう。光の恋人である人に逐一比べられ、ガッカリされるのは怖い気がした。
「それを気にされてるんですの?」
彼女は一瞬驚いたように目を見開いていたが、やがて
「可愛い……」
ため息をつくように言って俺を優しく押し倒した。頬や首に降るほど口づけをくれて。
「とっても好みです♡」
俺の帯をするりと解くと薄い胸板に頬を寄せる。
「何もなさらなくていいですよ。のんびりした気持ちで寝ていて下さい」
「はあ」
俺はたしかに眠かったのでこの申し出はありがたく思った。実際話していなければすぐ眠ってしまいそうで。彼女の意図はよくわからないが、一度来た女性を局に追い返すのも失礼なので好きにさせておこうと思った。彼女は俺の体を確認するようにすみずみまで優しく触れては、その柔らかい唇を押し当てていった。