若宮の成長を見守りながら迎える新年は幸せなものだった。光《ひかる》二十八歳、冷泉さんは十歳になられる。俺の左目は相変わらず良くならず、世間では「隻眼の朱雀帝で大丈夫か」という話になっていた。俺はそう噂されたほうが都合がいいのでそのままにしていた。
「すー兄《にい》大丈夫?」
蛍もいっこうに治りそうもない俺の左目を心配してくれた。
「大丈夫だよ。見えないだけだから」
「全然大丈夫じゃないって」
蛍は苦笑している。
「何度も連れて行ってくれて本当にありがとね。冷泉さんとっても喜んでたよ」
俺は心からお礼を言った。蛍は月に一度は冷泉さんをお母上の三條邸まで連れて行ってくれていた。
「構わないよ。冷泉さんだいぶ大きくなったから、もう馬は一人で乗れそうだね」
蛍も嬉しそうに笑って冷泉さんの成長を喜んでくれる。
「若宮は元気に育ってる?」
「うん。体も丈夫そうで助かるよ」
俺はたった一人の男の子が無事に育つことだけを願っていた。今のところ次の春宮候補はこの子だけだから。
「光が帰ってきたら譲位するの?」
「うん」
「もったいない。まだ七年じゃん。もっといれば」
「いいよ」
俺はもう何十年も即位していたかのような疲れを感じていた。冷泉さんにこの重責を負わすのは申し訳ないけれど、これからは若い人の時代だと思うし、俺はやっぱり道を譲りたく思う。
「治世もだけど、天災も酷かったしね。みんな代替わりして欲しがってるよ」
冷泉さんの人気が高いことが俺には嬉しく誇らしかった。冷泉さんは美しくご聡明で、あんな帝に統治される国は幸せだろう。それを光が支えてくれれば。きっと素晴らしい世の中になる。
「俺はすー兄の御世好きだったよ。大后さんとのバトルも楽しかったし。お疲れさまでした」
「こちらこそありがとう。蛍の協力がなかったら、とてもじゃないけど戦えなかったよ」
蛍は姿勢を正して一礼すると、笑顔で颯爽と行ってしまった。格好いいな。光が花なら蛍は風って感じがした。
「冷泉さんもだいぶ大きくなられたので、そろそろ譲位かなと思っています。光にも帰ってきてもらえると嬉しいんだけれど。いつ頃がいいですか。」
「若宮のご誕生おめでとうございます。元気に成長なさってますか。将来の春宮だね。俺は秋頃なら帰れそうです。」
光がそう言ってくれたので、七月に帰ってきてくれるよう宣旨をだした。二條院の人々は喜んで光や従者たちを迎えに行った。今までよく耐えてくれたな。光の愛する女性たちも寂しかっただろうに。
光にはいったん元の官位に戻ったあと権大納言に昇進してもらった。また光に公務を任せられるという安心感は例えようもなかった。
「おかえりなさい。大変苦労をおかけしました」
俺は帰還した光に頭を下げた。二年四ヶ月のうちに光は少し日に焼けて、精悍な顔つきになった気がした。
「目大丈夫?」
光は俺の布で巻かれた左目に驚きつつも、生還を報告してくれた。
「ただいま。冷泉さんを守ってくれてありがとう。入道宮さんにも会わせてくれたんだって?」
「蛍がしてくれたんだ。本当に助かったよ」
「大后さんうるさかっただろうに。文も自由に出せたし、よく抑えたね」
「むしろ今までのさばらせてたのがいけなかったね。ごめんなさい」
光はしばらく俺の顔をじっと見つめると首を振った。
「大后さんを止められるのは、この世で兄貴だけだよ」
俺は苦笑して十五夜の月を見上げた。
「自分の親くらい止められなきゃね」
それから片方だけの瞳で光を見つめて。譲位の時期を考えていた。