光《ひかる》の四十の賀の余韻も冷めやらぬまま年も暮れ、新しい年が明けた。光四十一歳、冷泉さんは二十三歳になられる。夕霧くんはもう二十歳だ。
今年はいよいよ明石《あかし》女御の出産だと思うと俺は緊張した。妊娠経過は順調なようにきいているけれど。正月朔日に六條院で安産の修法が行われたので、光にお願いして俺のぶんも祈ってもらう。
「大丈夫かな……」
光はあの予言書を信じつつも葵さんが亡くなったのがトラウマになっているらしく、お産を見守るのは苦手なようだった。明石女御はまだ十三歳だから心配するのも当然だ。俺が責任を感じるのもおかしなことだが、男親って気を使うなと思った。出産に関して何の危険も負っていないことがどうしても申し訳なく感じる。
「お父様お元気ですか。私は旦那様とお話したり、琴を合わせたりして幸せに過ごしています。」
去年嫁いだ三宮から久しぶりに文が届いて、俺は嬉しい気持ちで読んだ。二人とも仲良くやっているようで良かった。京は狭いから、ちょっとした噂、特に悪い噂はすぐ広まってしまう。予言の柏木くんは焼け付くような心で三宮を想ってくれていたようだけれど。春の陽のような暖かな恋心もいいものではないかと俺は思っていて、慣れたり飽きたりしたらそれはそれで仕方がないと思っていた。
「産まれた! 男の子だよ。」
三月十何日かに無事出産の知らせが入った。光も忙しいだろうに俺にまで連絡をくれたことが嬉しかった。春宮も安心したかな。この子が次の春宮になるという若宮か……。予言が次々成就されていくことが嬉しくもあり、怖くもあった。冷泉さんが譲位なさるまであと何年あるだろう。柏木くんが亡くなるまであと何年あるのか……。
「若宮可愛いから見に来て。」
光から短い文をもらって、俺はいいのかなと思いつつこっそり六條院へ伺った。取次の女房までが嬉しそうで。新しい命の誕生に、邸全体が幸せに包まれている。
「兄貴遅いよ。ほら見て」
光は嬉しそうな顔で若宮を抱っこしていた。
「夕霧は全然孫を見せに来てくれないんだよね。息子ってあんなもんかな」
光は少し寂しそうに言いながら、若宮の顔を見つめて嬉しそうに笑った。お祖父ちゃんになっちゃったな。まあ俺もなんだけれど。
「ほら」
光から優しく手渡されて、俺は慎重に若宮を抱っこした。小さくて温かくて、重かった。
「可愛いね」
俺はしみじみ言って。夕霧くんを抱っこした葵さんもこんな気持ちだったのだろうかと思った。
「ありがとう、呼んでくれて」
俺は光の腕に慎重に赤ちゃんを返すと、お礼を言った。
「春宮より先に見ちゃったね」
怒られるかもしれないから、内緒にしておかなきゃと思う。
「俺たちあっての孫だからね」
光が言うので、そんなものかなと俺は思った。
「三宮さんは元気?」
光がきいてくれるので、
「うん。幸せそうな文が来たよ」
俺はこたえて。幸せすぎるのが怖いくらいに感じた。
◇◇◇
「この蹴鞠は超重要行事だから絶対来てね。」
三月のうららかに晴れた日、俺はまた招かれて六條院へ行った。明石女御は生まれたばかりの若宮を春宮へ見せるために早速御所へ行ってくれたらしい。お産の疲れもあるだろうに申し訳ないなと俺は思った。今日は光の居所の春の町へ蛍と柏木くんが先に来て話している。
「柏木くん、こんにちは」
俺はしばらく会っていなかったので、嬉しい気持ちで彼に話しかけた。
「お世話になってます」
柏木くんは頭を下げながら微笑んで、どことなく幸せそうだ。
「柏木幸せ?」
「……はい」
「こいつー」
蛍は幸せそうな柏木くんを肘でつつきながら自分も嬉しそうに笑った。
「案外簡単に手に入っちゃって残念だとか無い?」
「無いです」
光が難しいことをきくので俺はヒヤリとした。柏木くんが笑顔で即答してくれたので良かったけれど。結ばれるまでの過程で愛情が変わることもあるのだろうか。恋って複雑だな。
「そろそろ夕霧呼ぼっかー」
蛍が立ち上がると同時に、夕霧くんが若い公達を引き連れて夏の町の方からやってきた。夕霧くんももちろんまだ若いのだけれど地位が高いので、同年代の若者と並ぶとやはり貫禄がある。
「夕霧蹴鞠するー?」
「はい」
夕霧くんは満開の桜の下で、いつも以上に凛々しく華やかに見えた。
「じゃー幸せそうな柏木から行くねー」
蛍はそう言いながら自分も蹴鞠の輪に入っていった。彼は若い頃から抜群に上手かったが、今でもトントンとリズムよく鞠を蹴って、若い人達に交じっても全く引けを取らない。
「元気だなあ」
光は蛍の若々しさに呆れながら笑って見ていた。俺も光の隣に座ってのんびり蹴鞠を眺める。桜の花びらが散って皆に降りかかるのが絵のように綺麗だった。良い日だな。誰かが蹴りそこねて転がった鞠を柏木くんが拾いに行く。
「柏木ー後で探すからいいよー」
蛍が呼びかけたが、柏木くんは奥へ行ったまましばらく戻ってこなかった。俺は心配になって捜しに行こうとしたが、夕霧くんが俺を制すと代わりに行ってくれた。俺は何故か胸騒ぎがして。
「こいつ、やっぱいるんだな」
光は戻ってきた柏木くんと夕霧くんを見て優しく苦笑した。柏木くんの懐には小さくて可愛い唐猫が一匹、ミャアミャアと心細げに鳴いていた。