引退して朱雀院となった俺は暇なので、自邸で仏勤めをしたり春宮に会いに御所に伺ったりした。
「大きくなったね」
春宮はもう歩けるので、乳母や女房たちについてそこらじゅうをてくてく歩き回っている。母である承香殿さんもお元気そうで、俺にはそれが一番嬉しかった。
「可愛いですね」
「はい」
承香殿さんは俺が春宮を見に来ることも嫌がらず、昔と変わらぬ笑顔をくれる。
「いつも春宮のそばにいて下さってありがとうございます」
俺は承香殿さんにお礼を言った。たとえ春宮でも、やっぱり母子が一緒にいてくれると安心だ。冷泉さんが帝になられてからお母上である入道宮さまも御所によく来られるようになって、俺にはそれも嬉しいことだった。本当は俺の代からそうして差し上げたかったのだけれど。俺の力ではたまに会って頂くのが精一杯だった。
「春宮様」
内大臣となった光《ひかる》の宿直所はやっぱりいつもの桐壺なのだけれど、梨壺と隣同士のせいか光はよく春宮を見に来てくれて、いろいろと世話を焼いたり助けたりしてくれた。
「光、いつもありがとね」
「いえいえ。将来のためだからね」
光はそう言うと、俺を柱の陰に引っ張っていってこっそり耳打ちした。
「実は三月に娘が生まれたんだ。まだ極秘だけど」
「そうなんだ。おめでとう。なんで秘密なの?」
「そのうち話すよ。その子は将来春宮様に嫁がせるから」
「もう決めてるの」
生まれたばかりの娘の将来についてもう決めているというのが凄いと思って俺は目を丸くした。
「むかし宿曜に言われたんだ。俺には帝、后、太政大臣が生まれるって。あの子は娘だから后になるのさ」
光は楽しみで仕方ないといった様子で笑った。帝は冷泉さんだから、夕霧くんは太政大臣になるのか! 俺もつい嬉しくなって微笑む。
「すごいね。楽しみだね」
「なに他人事みたいな顔してんの。兄貴の息子の嫁になるんだからね。兄貴も春宮様を大事にしてね」
「あ、はい」
俺がうなずくと光はすごく上機嫌で去っていった。自分の娘を入内させるなんて政治家って感じだなあ。俺たちもいい歳だし、当然ではあるんだけれど。葵さんのお兄さんである権中納言さんの娘さんがこの年の八月に入内なさったことも俺を驚かせた。
「もう入内なさるんだね」
女性の年齢ではなく帝である冷泉さんの若さに驚いていた。十一歳でお嫁さんくるのか……。元服したら大人扱いとはいえ大変そうだな。ただそう考えるのは俺だけで、冷泉さんなら光の子だし女性の扱いは上手いのかもしれない。
光のお嬢さんはすくすくと成長なさっているようで、光は秋には住吉詣《すみよしもうで》に行った。住吉の神さまのお告げで明石に渡ることができたので、そのお礼ということのようだ。あくまでも私的なお参りのようだが光は今をときめく内大臣になっているので、ついていく人の数が多い。殿上できる官位の貴族は皆お供して御所で政《まつりごと》が何もできないくらいだった。
「夕霧くんを童随身《わらわずいじん》に派遣しました。私も一緒に行きたかったです」
冷泉さんはやっぱりニコニコと笑って話された。
「可愛いんでしょうね」
俺も見たかったなと思って、住吉の社を歩く凛々しい夕霧くんの姿を想像した。まだ少年だけれどクールで格好良いんだよな。葵さん似なんだろうか。夕霧くんの成長が今の俺の生きがいで、御所でも夕霧くんを見つけるとつい目で追ってしまう。
「帝はなかなか遠出できない所が寂しいですよね」
「ですね」
二人してうなずきながら、つい帝あるある話に花を咲かせてしまった。
「馬がお好きなら鷹狩《たかがり》に行かれても良いかもしれませんよ。もう少し大人になられたら」
「鷹狩ですか」
冷泉さんの瞳がキラキラと輝かれるので、俺は提案して良かったと思った。冷泉さんの鷹狩、絶対格好良いだろうな。想像しただけで絵になるなと思いながら、俺たちはのんびり光と皆の帰りを待っていた。