「ごめん……」
彼女は俺が知りうる限り一番困った顔をして、泣きそうな声で答えた。うつむいた睫毛と、膝の上で合わせた手が少し震えて。俺ははじめて彼女に勝ったと思った。
「なんで?」
もっと、もっと聞きたい。彼女の声を聴きたい。俺は冷たい眼差しと声音で問い詰めた。
「なんで断るの? 期待させといて、それはないだろ」
玄関はすぐそこにあった。出ようと思えば出られるのだ。でも彼女はそれにすら気づいていないかのように困っていた。監禁されているわけでもないのに逃げられないと決めつけて、自分の思考を檻に入れてる。そういう女とやりたいわけじゃないんだ。後で訴えられても困るし。
「付き合えないなら、帰って」
冷たく言い放ちながら駅まで送ろうかと思った。これをショックに身を投げるように他の男に抱かれても困る。俺は彼女が好きだった。好きだけど嫌いで、嫌いだけど好きで。イライラして悔しいがどうしようもない。一生囲っておきたかった。俺のことを好きになるまで他の誰にも触れられないように、守って、囲っておきたい。心から好いてほしいのに自由にしておくのは嫌で、惚れているのに彼女を信じられなかった。帰ってと言いながら、今夜は絶対帰したくなかった。
「ごめんなさい。私、誰かと付き合ったことなくて。ぼんやり、してて……日生《ひなせ》くんが手を引いて歩いてくれるのが、なんか嬉しくて」
ごめんね、と彼女は謝った。何に対する謝罪なのかまったくわからない。
「俺のこと嫌いなの?」
「ううん。でも、好きかどうかもわからなくて……」
彼女は困ったように微笑すると、またうつむいた。その横顔と首筋が美しくて。誰とも付き合ったことがない? 本当なのか? こんな受け身な女が。俺は全然信用できなかった。自分の手で確かめたい。
「じゃあキスするから。それで判断してよ」
彼女は目を大きく見開いたまま俺を見て、しばらく固まっていた。逃げないならOKと取るよ。俺は彼女の手を引いてベッドに座らせると静かにキスをした。彼女はぎこちなく、下手で。ふたりの唾液が混ざって長く、甘く感じた。