俺はこの年、結局玉鬘さんの出産まで御所に伺うことができなかった。冷泉さんにお会いするのが怖くて。こんなに朱雀院にこもっていたのは初めてで、春宮が文をくれたり夕霧くんや蛍が心配して時折訪ねてくれたりした。
冷泉さんは頻繁に御所に来ていた俺が急に来なくなってもお咎めになることはなくて。今回かなり久しぶりに伺っても
「お久しぶりです」
いつもの微笑みで、何事もなかったかのように接して下さった。
「すみません、ご無沙汰をしまして」
「いえ」
俺は緊張して冷泉さんのお顔を見ることができなかった。
「ありがとうございました」
冷泉さんから不意にお礼を言われて、俺は顔を上げた。
「私を心配して下さって」
「いえ……。出過ぎた真似をして申し訳ございません」
俺は恐縮して頭を下げた。出自で悩まれた冷泉さんに同じことをおさせするのはどうしても抵抗があって。俺に何か言う権利があるわけもないのに。
「嬉しかったです」
冷泉さんは目を細めてそう仰って下さって。お世辞かもしれないけれど、俺のほうが嬉しかった。
「今日は柏木くんと会う約束をしているのです。呼んでも構いませんか」
「はい。俺が居てもよろしいですか」
「ええ」
冷泉さんは微笑んでうなずかれると、柏木くんを御前に召された。すでに人払いされているようで辺りは静かだ。俺は冷泉さんの正面の席を空けて、部屋の端に座り直す。
柏木くんはだいぶ待ちわびていたのか、急いで入ってくると冷泉さんの正面に座り一礼した。柏木くんの後ろから夕霧くんも入ってきて、冷泉さんと目を見合わせると俺の横に座った。
「お時間を頂きまして申し訳ございません。どうしても伺いたいことがございまして」
「はい、どうぞ」
冷泉さんは誰の質問にもやさしく頷いて答えて下さった。
「あの子は帝の子ではないんですよね。とても可愛い男の子でしたが」
柏木くんは姉である玉鬘さんの出産を喜びつつも、残念そうに言った。
「そうですね」
冷泉さんも微笑みながら、残念そうに仰る。
「帝の子ならよかったのに」
柏木くんは姉が髭黒大将に取られたのが今でも悔しいらしく、つらそうに眉を寄せた。そうして
「なぜ姉の出産がわかったのですか」
急に俺の方を向いて尋ねた。俺は返答に困ってしまって。つい夕霧くんと視線を交わす。
「未来を書いた本があるのです」
冷泉さんは俺の代わりに答えて下さって。優しい口調だった。
「その本は当たるのですか」
「生死は誤らないようです」
冷泉さんのお言葉に、柏木くんが真剣に考え込む。
「夕霧が言っていた、俺・が・死・ぬ・未・来・も書かれていますか」
「はい」
冷泉さんは何を訊かれても迷うことなく、笑顔でお答えになられた。
「読みますか」
冷泉さんにそう問われて、柏木くんは完全に黙りこんだ。俺は何も言うことができなくて。夕霧くんも同じだが覚悟はできているようで、鋭い瞳でただ柏木くんの返答を待っていた。
「読ませて頂けますか」
だいぶ経ってから、柏木くんは静かに答えた。
「秘密にできますか」
「はい」
「では、貴方に関わる部分だけお貸しします」
冷泉さんはそう仰ると、スッと席を立たれた。
「持ってきますね」
夕霧くんもすぐ立ち上がって冷泉さんを助けに行く。俺は柏木くんと待っている間、胸が苦しくて仕方なかった。
「院も読まれたんですか」
「ううん。俺は怖くて……読んでないんだ」
俺は柏木くんに訊かれて正直に答えた。柏木くんはまた黙ってしまって。信じてもらえたのかどうか、わからない。
予言書が届くまで無限に長い時間に思えた。柏木くんに関わる本は二冊しかなくて。その人生の短さを予感させる。冷泉さんはそれを綺麗な布に包むと、柏木くんに持たせてくれた。
「誰もいない所で読んで下さいね」
「はい」
柏木くんは緊張した面持ちで受け取ると、一礼して去っていった。俺はじっと目を閉じて。不安で仕方なかった。柏木くんが亡くなるまであと十年しかなかった。