「すー兄《にい》久しぶり!」
「久しぶりだね」
御所の廊下を歩いていると蛍が下から手をふるので、俺も近寄って手を振り返した。
「今日は蹴鞠《けまり》しに来たんだ」
蛍はそう言うとぽんぽんとテンポよく上手に鞠を蹴る。足の甲、内側、高く蹴り上げて額の上、膝上、もう一度蹴り上げて首の後ろと、体中どこでも鞠を受けられるらしく一人で自在に鞠を操った。
「上手いね」
俺はただ感心して見ていたが
「すー兄もやってみなよ」
蛍に鞠を渡されて困惑した。
「俺やったことないんだ」
「うそ!? 貴族の嗜みだよ」
「手鞠遊びならできるかも」
「女子じゃん……」
蛍は呆れて苦笑していたが、俺から鞠を取り返すと突如大きな要求をした。
「そうだ、すー兄の御世に全国大会開いてよ!」
「全国大会って、蹴鞠の?」
「うん。蹴鞠の日ノ本一を決めんの」
「たぶん京《みやこ》でしか流行ってないと思うけど……」
「じゃー京一でいいや」
蛍はそう話す間も、かかとや足の外側でぽんぽんと何度も器用に鞠を操った。鞠は全く地面に落ちない。すごい技術だなあ。たしかにこんな卓越した技を持っている人には定期的な見せ場や活躍の場があったほうがいい気がする。
「蛍様、揃いましたよ!」
「今行くー!」
蛍は庭のほうから名を呼ばれて素早く返事すると、
「今日皆で蹴鞠するんだ。すー兄も見にきなよ!」
俺を誘うともう庭へ走っていってしまった。蛍って格好いいなあ。爽やかで頼りになりそうだ。
俺は御所の庭がよく見える廊まで歩くと、そこへ座って皆の蹴鞠を見た。五、六人で輪になって鞠を落とさないよう上手に蹴りあう。相手が返しやすい強さで蹴るのが難しそうだ。勝ち負けはなく長く続けることが大事らしかった。和を重視した良い競技だなと俺は感心して見ていた。
「一、二、三、四……」
鞠の跳ねる回数を数えながら一心に見ていると、俺の袖をつと引く人がいた。俺が何気なくそちらを見ると、若宮が俺の袖を掴みながら目の前の蹴鞠に目を奪われている。若宮は三歳になられ、歩いたり速く走ることもできるようになられていた。
「け・ま・り・ですよ」
俺が教えると、若宮は沓《くつ》も履かず庭に降りて行こうとなさり女房たちに止められた。
「したいの?」
蛍は若宮のそばまで近づくと優しく尋ねた。若宮は蛍の顔をじっと見てコクッとうなずかれる。蛍が予備の鞠をその小さな手に渡してやると、若宮は大喜びで廊下を駆けて行かれた。俺は可愛いなと思ってその背を見送った。若宮も将来帝になられるお方だが、昔の俺と違って弓や剣を模して戦いごっこをなさったり外で遊んだりしておられるので、たくましく育ちそうで俺は嬉しかった。
「春宮様、こちらでしたか」
若宮と入れ替わるように父上付きの女房に呼び止められて、俺は振り向いた。父上がお召しだと言うので急いで御前に参上する。
「朱雀、いよいよだな。心づもりは良いか」
「と、おっしゃいますと」
「譲位だ。院の改修が済み次第執り行う」
院とは譲位なさった帝がお住まいになられる邸宅だった。譲位の話なのに父上はどこか待ち遠しいような、嬉しそうなご様子に見える。
「すぐ移られますか」
「そうしたいのはやまやまだが荷が先だ。設えを整えた後に移る。譲位の儀、滞りなきよう頼むぞ」
「はい」
俺は返事をしてうなずきながら、目を伏せた。
「父上」
「なんだ」
「お譲りになられてもご指導を賜ることは可能ですか」
「無論だ。わしの目の黒いうちは弘徽殿の好きにはさせんぞ」
「良かった」
俺がほっと胸をなでおろすので、父上は苦笑して問われた。
「喜んでいるのか」
「俺、即位するのが怖くて……」
父上はしばらく俺を見つめておられたが、厳かな口調で仰った。
「春宮を守り、国を守れ。帝はそのためにいる。光《ひかる》にも必ず頼りなさい」
俺は父上のお顔を見上げて深く一礼すると御前を辞した。そうだ、怖くても踏ん張らないと。長い髪を梳《くしけず》り高い位置で結うと、装束を整えて俺はその日に臨んだ。父上からお話があってから半月後、光や蛍、大勢の臣下が見守る中譲位の儀式が執り行われ、俺は次の帝となった。