この年の十二月、大原野への行幸があった。大原野ということは鷹狩《たかがり》だ。冷泉さんの鷹狩がついに見られるのかと思うと俺は感慨深い気がした。昔|光《ひかる》が住吉詣に行った時「帝はなかなか外出できませんよね」というお話をさせて頂いたけれど。ご立派に成長なさり、鷹狩にも行けるようになられて本当に良かったと思う。
行幸の日は物見車が桂川まで隙間なく立ち並んだ。俺の車もその中にいたのだけれど。左大臣右大臣内大臣、納言より下、親王たち、京の貴族は全員ついてきていた。皆この日のために馬や鞍を整え、華麗な装束に身を包んでいる。鷹を使わない人は青白橡《あおしろつるばみ》の袍を着ていたが、鷹を使う人たちは狩衣を着ていた。
「すー兄《にい》行ってきまーす!」
蛍ももちろん狩衣で、俺を見つけると馬上から手を振ってくれた。柏木くんや夕霧くん達は摺衣《すりごろも》という花鳥の模様を摺り込んだ衣を着ていて、とても風雅だった。
「行ってらっしゃい。気をつけて」
俺も手を振りながら皆を見送る。冷泉さんはもうすぐかな。俺はドキドキしながら冷泉さんを待った。長いお供たちのただ中に、冷泉さんはリラックスして輿に座しておられる。
「わあ……」
冷泉さんは俺を見つけるとそっと微笑んで下さった。その微笑みがキラキラと眩しくて、今日の鷹狩を楽しみにされていたことが伝わってくる。皆着飾って豪華な行列だったが、冷泉さんの美しさは際立って並ぶ者がなかった。雪がすこし舞い散る空の様子も艶で、冷泉さんの横顔と長いまつ毛を引き立てる。
紫の御衣をめされ、静かに前を見つめるご様子は神々しくさえあられた。誤ってこの世に生まれ落ちた天の御使いのようで、地上に留まるならば帝以外ありえないようなお姿だった。
大原野へ着かれてから狩衣に着替えられるのかな。背筋をスッと伸ばされた冷泉さんが馬を駆られ鷹狩なさるお姿をぜひ見たかったけれど、そこまで追いかけることもできないので俺は行列見物だけで我慢した。後から夕霧くんにどんな様子だったか聞くのが楽しみだ。夕霧くんと光の仲は大丈夫なのかな。俺は心配だったが今回ばかりは本気のケンカのようなので、慎重に見守ろうと思った。
◇◇◇
行幸の熱も冷めやらぬまま年が明け、光三十七歳、冷泉さんは十九歳になられた。夕霧くんは十六歳か。皆どんどん大きくなるのが嬉しい。冷泉さんに続いて、ついに夕霧くんも俺の身長を追い越してくれた。皆大きいから、並んで立つと俺は見下ろされてしまうのだった。
「二月に玉ちゃんの裳着します。当日は来てね。」
光から文がきて、いよいよ裳着なのかと俺は気を引き締めた。彼女はもちろん十代のときに当時住んでいた場所で裳着を済ませているとは思うが、光は親代わりとして彼女の存在を京の人々にアピールしたいのだろう。裳着が終われば一人前の女性ということなので、結婚の申込みや恋の手引きは激しくなる。
「内大臣さんに腰結を頼んだけど大宮さんの不調を理由に断られて。夕霧も祖母さんにかかりきりだと思うよ。」
光は夕霧くんとケンカしているのに俺には情報を教えてくれるので優しいなと思った。大宮さまは体調が優れないのか……。葵さんのお母上だからご高齢ではあられるけれど。
六條院への出入り禁止を言い渡された夕霧くんは二條院も避けているらしく、御所へ宿直《とのい》したり柏木くんの邸へ泊めてもらったりしていると聞いてはいた。年始にも会わなかったので気になってはいたけれど、そんな事情があったのかと俺は察した。大宮さまへのお見舞いを、三條の実家へ連日泊まっているであろう夕霧くんへ言付ける。
「大宮さまが良くなられるといいですね。夕霧くんもゆっくり休んで下さい。」
夕霧くんは雁さんのこと、柏木くんのこと、光とのことと悩みが多いのに人には相談しないタイプだと思うので、少しでもよく眠ってくれるといいがと思った。
二月十六日、玉鬘さんの裳着が行われた。俺はかなり早めにこっそり六條院へ行った。今日は親王や貴族たちもたくさんくるから、俺は目立たないよう奥の部屋にこっそり居させてもらう。
「俺が大宮さんの見舞いに行って、内大臣さんと会えるよう取り持ってもらったんだ」
光は大宮さまの仲立ちで内大臣さんに玉鬘さんのことを知らせ、和解できたらしかった。
「大宮さんも今は体調が安定してるらしくてね」
「良かったね」
俺はしみじみ言って、大宮さまがおられて良かったと思った。光と内大臣さんは互いにもう大人で、昔のように言いたいことをはっきりとは言えない間柄だろうから。特に若い頃からずっと光と競っていたけれどついに光を超えられなかった内大臣さんが、悔しさを隠しつつ光に遠慮しているようだった。
「内大臣さんは雁ちゃんの話かと思ってたみたいだけどね」
光が笑うので、俺はつい気になって尋ねてしまった。
「そのことについては話さなかったの」
「うん。知らないよあんな奴」
光は当然のようにうなずいて取り付く島もなかった。十六歳の息子をここまで突き放せるのも凄いな。夕霧くんは今日の裳着にも来ていなくて、俺は光の本気を感じた。心配だな……。家から追い出しても大丈夫なくらい息子を信頼しているってことなんだろうけれど。
「おつー」
夜になると蛍もやってきて、俺たちの横に座った。
「玉ちゃんいよいよ裳着かー。どーすんだよ婿は」
あぐらをかいて光に尋ねる。
「予定通り冷泉さんに差し上げるよ」
光は目を伏せると淡く微笑した。
「玉ちゃんも行幸で冷泉さんに一目惚れしたみたいだし」
「冷泉さんに惚れねえ女なんていねーだろ」
蛍も苦笑して、でも光の決定を止めはしなかった。
「出仕は十月か」
「大宮さんの死期が予言通りならな」
俺たちはしばらく黙って。柏木くんの死期を思った。亥の刻が近づくと光と蛍は席を立って、玉鬘さんの裳着へ立ち会った。