年が明けた二月、冷泉さんが元服なさった。光《ひかる》二十九歳、冷泉さんは十一歳だった。光に似て背が高く、大人びて聡明な方だった。雪に輝く日の出のような、有り難く、思わず拝みたくなるようなキラキラと美しい方だった。
二月二十日には譲位の儀式が執り行われた。式典に先立って、俺は冷泉さんに位をお譲りすることをお話しした。
「私に、務まりますでしょうか」
冷泉さんは緊張して問われた。
「できますよ、必ず。みんな協力してくれます」
俺は太鼓判を押して。新帝の誕生を心から祝福した。
◇◇◇
冷泉さんの御世になると光は内大臣になった。職を辞していた左大臣は太政大臣になった。宰相中将さんは権中納言になった。沈んでいた左大臣家の人々も次々と世に浮かび、皆幸せそうな顔をした。そして八歳になった夕霧くんが童殿上《わらわてんじょう》することになった。
「夕霧くんの童殿上、見たかった……!」
俺はそれだけが唯一の心残りで両手で顔を押さえた。見たかった……一足遅かったか。
「いや見れば?」
「見ればいーじゃん」
光と蛍がほぼ同時に言う。
「いいの?」
「いいに決まってるよ。引退して暇になるんだからそこら辺ウロウロしてなよ」
光は自分が忙しいせいかちょっと辛口だけれど優しかった。
「冷泉さん、いいですか」
「もちろんですよ」
冷泉さんは昼御座で御笏を持たれニコニコ笑われた。冷泉さんは俺たちの顔がよく見たいからと仰って、こうして身内で話す時だけは目の前の御簾を高く巻き上げて下さる。
「春宮さんもまだ小さいし、見に来てあげて下さい」
俺の子である春宮は今年三歳になって梨壺を居所に頂いていた。母である承香殿さんもついておられて。母子が一緒にいてくれるのは安心だ。
「夕霧くんもいるので呼びましょうか」
「今日ですか?!」
俺は夕霧くんに会う心の準備ができず、しばし迷った。夕霧くん、好き……。会えるなら何か贈り物でも持ってこられたら良かったのだけれど。俺がオロオロしている間に父である光が夕霧くんを呼んできてしまって。俺は初めてこの子と対面することになった。
「はじめまして……」
「はじめまして」
童殿上姿の夕霧くんはとても可愛かった。可愛くて賢そうで、少しキツめの目元がたまらなく格好良かった。
「俺は、その……昔、あなたのお母さんと文を、交わして頂いてました」
俺はなんと言っていいのかわからず、言葉を探し探し続けた。
「朱雀さんは夕霧くんのお父さんのお兄さんです」
「伯父ですね」
冷泉さんが優しく説明なさると、夕霧くんは秒で理解した。
「こんなにご立派に成長されて……俺は…………嬉しいです…………」
俺はそれ以上続ける事ができずに、涙をボロボロ流した。嬉しかった。葵さんが生きておられたらどれほど喜んだだろうと思うと、両手で顔を隠しても涙が抑えきれなかった。初対面でボロボロ泣くなんて大人として恥ずかしいけれど。今日この子に会えて本当に良かったと思った。
夕霧くんは大泣きする俺をしばらく黙って見ていたが、やがて自分の袖で俺の涙をそっと拭ってくれた。その優しさが嬉しくて。俺は夕霧くんの手を取ると、両手で包んで額に押し当てた。
「ありがとう……」
涙声でお礼を言って。この子の成長を一生見守ろうと思った。