「私どものために御文まで書いて下さったと伺いまして恐縮至極です。誠にありがとうございました。おかげさまで体調も落ち着いて参りました。」
「出過ぎた真似をしてすみませんでした。お体少し良くなられたようで嬉しいです。安心してご静養下さい。」
光《ひかる》の予言した通り葵さんはあれから少しずつ回復されて、俺への文も下さるようになった。良かった……。俺はとりあえずほっと胸をなでおろして果物くらいなら食べられるようになった。
「最近はお腹で子が動くのを感じ、名など考えております。とても元気に動きますので男の子ではないかと思います。」
「楽しみですね。元気なお子さんに会えることを祈っております。」
俺は葵さんがお腹を撫でながらお子さんの名を考えているところを想像した。赤ちゃんとどんな会話をするのかな。光もお腹をさわって話しかけているだろうか。光は中宮さまの時は全然会えなかったと言っていたから、今度は夫婦で幸せな時間を過ごしてくれるといいなと思う。
光が続けている安産祈祷に俺も加えてもらって、皆で葵さんの出産を待った。神仏よ、葵さんをお守り下さい……。やがて八月上旬、元気な男の子が産まれた。光は二十二歳になっていた。
母子ともに無事という報せをうけて俺は安堵しながら産養を贈った。男の子かあ。冷泉さんに弟ができたと思うと嬉しい。もちろん公には言えないけれど……。
「夕霧と名付けることにしました。親ばかですが、とても可愛いです。」
葵さんからの文には、短いけれど愛情と喜びがあふれていた。産後で疲れただろうに。たった一言でも書いて下さったのが嬉しい。
「ご出産おめでとうございます。本当にお疲れさまでした。ゆっくり休んで下さいね。葵さんとお子さんの幸せを祈っております。」
俺が彼女に贈った文はこれが最後になった。葵さんはどこも悪くないように見えたが、邸じゅうが出産に安堵して気が緩んでいたある日、スヤスヤと深い眠りについたまま二度と起きることはなかった。
◇◇◇
司召の時期で御所に来る人が多かった。光も父である左大臣も御所にいて葵さんの死に目に会う事はできなかったそうだ。
「葵が死んだ」
俺はその言葉を不思議な呪文のようにきいた。全く現実感がなくて。長い髪に被衣をかぶり顔を隠して光の車に乗せてもらった。左大臣邸では皆のすすり泣く声が聞こえて。光がくるのでと空けてもらった席に俺も座って、被衣を取った。
「葵さん……」
彼女は安らかでただ眠っているように見えた。口元には微笑みをたたえていて。いつまでも幸せな夢を見ているのだろうか。俺は彼女の手を両手で包むと拝むように体をかがめて自分の額に押し当てた。手はまだ温かくて。涙があふれる。声を出さぬよう、出さぬようにと忍び泣いて肩が震えた。なんで……なんで……。
葵さんの袖を涙で濡らしてしまって申し訳なかった。帰らなきゃ、帝に戻らなきゃと思うのに。俺の時間は止まってしまって。その場から一歩も動くことができなかった。