六条御息所という方がいた。父上の弟で、俺の前の春宮の奥様だった方だ。美しく教養があり、社交上手で若い公達が憧れるような気品に溢れていると評判の方だった。俺は交流したことはないが、この件について謝りたい一心ですぐ筆を執った。
「突然文を出します非礼をお赦し下さい。このたびの事、言葉にできぬほどの衝撃で大変心を痛めております。父上の叔父上へのお気持ちは特別で、いつも国の固めと頼み信頼しておられました。必ず国のためになくてはならない御方でした。叔父上がついに即位なさらぬままお亡くなりになられたこと、今も無念で仕方ありません。
本来なら后となられるはずだった貴方の御車を乱暴に破壊するなど絶対にあってはならぬ事です。混雑するのが祭の常とはいえ、何の配慮もせずお助けもできなかった罪、帝として深くお詫び申し上げます。
この件は左大臣家の女房から直接聞きました。若い従者の狼藉とはいえ、女房たちも止められなかった責めを強く感じているようです。大殿《おおいとの》の姫君は何故このようなことになったかと泣いておられます。私も申し訳ない気持ちで胸が張り裂けそうです。本当にすみませんでした。どのようなお詫びも致します。どうか私に仰って下さい。」
俺は風流でもなんでもない、ただ謝罪を重ねただけの文を書き上げ折りたたんでしばし困った。書いたはいいがどうやって渡そう。六条さんの邸の場所はわかるが、普段何の交流もないのに帝からいきなり文って失礼だよな。謝罪文なのに渡し方が失礼なのはどうなのか……。
俺は室内をうろうろしながら考えあぐねると、光《ひかる》に助けを求めた。
「夜分にごめんなさい。この文を六条御息所さんに渡してもらえませんか。」
二條院か左大臣邸か、どこにいるかわからないけれどとにかく光を探して渡してほしいと使いの人に無理を言って頼んだ。今日大役を果たしてくれたので光は明日は休みのはずだった。お願い、どこかにいて……。光は意外に早く見つかったらしく、
「俺も気になってたから御息所さんの所に行ってみるね。」
という返事をくれた。光優しい。人使い荒くてごめんなさい。俺は自分の謝罪が少しでも届くよう祈った。どうしたら六条さんの傷ついた心を癒やして差し上げられるだろう。
叔父上がいて下さったらと願ったことは幾度となくあった。俺は権力争いも人が死ぬのも見たくなかった。出家したいのも本心だった。許されるなら春宮にも帝にもなりたくはなかった。
◇◇◇
祭の二日目もぼんやり過ぎて。俺は葵さんの具合が良くなることだけを祈っていた。あまりにも食が進まず夕餉も途中で下げてもらった時。
「お人払いをお願いできますか」
急に光が来てくれたので、俺はすがるような気持ちで光の隣に座った。
「休みだったのにごめんね。光を文の使いにしてしまったし。ごめんなさい」
光は軽く首をふると、苦笑しながら驚くべきことを語った。
「それが衝撃的なことがあってさ。御息所さんはどうも、葵の腹の子は兄貴の子だと思ってるフシがあるんだよね」
「えっ、あの文を読んで?!」
「うん」
なんでそうなった?! と俺は頭が混乱した。光はくすくす笑いながら話してくれる。
「いや気持ちはわかるんだよ。まずあの文を俺が持ってくること自体が意味深じゃん。兄貴は左大臣家の女房とも親しいようだし必死で葵のことをかばうし。御息所さんの中では俺、葵、帝の三角関係が完全に成立してて、どうも俺公認で葵と帝が交際してると思ってるらしい」
「もちろん否定してくれたんだよね?」
「面白そうだからそのままにしといた」
光がすまし顔で言うので俺はびっくりしてしまった。
「大丈夫だよ。あれほど酸いも甘いも噛み分けた女性ならたとえ事実でもバラしたりしないさ。彼女そういうの好きなんだと思うよ。夫ある姫君と帝の禁断の恋、みたいなさ」
「書かないほうがよかったかな」
「いやいや」
光はもう一度首をふるとしみじみした調子で続けた。
「帝手ずからの真剣な謝罪文をもらって彼女の溜飲もだいぶ下がったと思うよ。子のことも誤解ではあるんだけど彼女の怒りはかなり収まったというか。本当にありがとうございました」
光に丁寧に頭を下げられて俺は恐縮した。
「こちらこそ、すぐ届けてくれてありがとう。助かりました」
「でもすごいね、文一つで……。あの文は兄貴が帝でなければ書けなかったと思う。お見事でした」
光はふうと息をつくと勢いをつけて立ち上がった。
「これから葵の様子も見てくるね。たぶん少しずつ回復してくると思うから」
「そうだといいね。忙しいのにありがとう。光も元気でね」
手をふる光の背を見送って。俺は葵さんのために何かできたならいいがと思った。