アキノくんのことを好きになってしまった……!
私にとっては災難みたいなものだった。
アキノくんは好きになっちゃいけない人。
ずっとそう思って、そういう目では見ないようにしてたから。
「俺、好意とか向けられても困るんですよね」
ある日、バイトの子が思いきって告白したら、そう言われたって泣いてた。
「アセクシュアル。知らないですか」
恋愛感情も性的欲求も持たない人。
私はもうその瞬間に惚れた。
ああこの人、神さまなのかな。
誰も好きにならないんだって。カッコよすぎる。
でも告白したら嫌われるんだって。泣きそうに思った。
◇◇◇
アキノくんは背が高くてメガネをかけていた。
顔は整ってるほう、かな。
いつも少し不機嫌そうな顔でパソコンに向かっている。
その笑わないところも好き。カッコいい。
誰とも付き合わないけど、人嫌いってわけじゃなさそうだった。
会社の喫煙室でも、隣り合った人と普通に話してるみたいだし。
いいなあ、私もタバコ吸おうかなって思うくらいだった。
アキノくんと何気なく会話してみたい。
「ハルカ! これ17時までに仕上げといて」
「えっ、またですか」
私は部長からもらった急な指示にげんなりした。
「早くしねーと間に合わねえぞ」
「はい」
自分からふっといて。ハイハイやりますよやりゃいーんでしょーが。
「部長なんでいっつも私に頼むんですか」
私は少しむくれてきいてみた。
「お前が一番早えからに決まってんだろ。ミスもないし」
部長は私の頭を拳で小突くと
「オメーを一番信頼してんだよ」
私の目を見ずに言って、去っていった。
部長ツンデレ? いやまさかね。
私は妻子ある人と恋愛なんて絶対しないよー
だって私は……ノンセクだもん。
この言葉も最近知った。恋愛感情はあるけど、性的欲求はない人のことだって。
まさに私じゃんと思った。私は、性行為が怖いから。
アキノくんのことも好きだけど、アキノくんとしたいわけじゃなかった。
むしろ、私に触れないでいてくれそうだから、好きになったんだと思う。
◇◇◇
「告られて付き合わねーとかもったいねーなあ。やってから考えればいいのに」
「お前それセクハラだぞ、俺に対する」
そう言ってアキノくんはビールをあおった。
アキノくんはお酒好きみたいで、飲み会にはけっこう顔を出していた。
私はお酒まったくダメだけど、アキノくん見たさに参加している。
酔ったらより機嫌が悪くなるんだよなあ。目つきも剣呑になって。もう大好き。
「いらねーなら俺がもらっていい?」
「俺にきくなよ。俺のじゃねーんだから」
同僚の小萩《こはぎ》くんに悪態つきながら大きなホッケをつついている。
「しっかし恋愛感情がねーって不思議だなあ。坊さんか何かなの」
アキノくんはもう聞き慣れているのか、その質問にも眉ひとつ動かさなかった。
手酌でビールをつぐと、悪気のない小萩くんにさりげなく答える。
「お前は異性愛者だから、俺を恋愛対象とは思わねーだろ?」
「ああ」
「俺は全人類に対してそう思ってるってこと」
「はあ」
小萩くんはまだよくわからないって顔で首をかしげた。
「この世が男だけで構成されてるって考えてみ」
「えっ」
小萩くんはしばらく考えていたが
「無理だわ」
心底がっかりしたように言った。
「俺はそれを別に不幸とも何とも思ってねーってこと。生まれつきそうだからな」
よかった、女性嫌悪があるわけじゃないみたい。と思って、私はホッとした。
「つまり、死ぬまで男子校のノリか」
「まあな」
「それはそれで楽しそうだけどなー」
でもやっぱり女がいないとか無理だわ、と小萩くんは笑った。
すごいなあ。予備知識のない人にも、こんなにわかりやすく説明できちゃうなんて。
私はまたアキノくんを好きになってしまった。
最近アキノくんを好きな気持ちのインフレが止まらない。
「別に好きじゃなくても。行為できんなら家庭くらい持てんじゃねーか」
黙って聞いていた部長がボソッというので、アキノくんは部長のほうを向いた。
「まあ、持つ人もいるでしょうね」
「オメーはどうなの」
「俺は」
アキノくんはしばらく考えて
「独り身が気楽すから」
飲みかけのビールをあおって、タバコを吸うため離席した。