「で、どーなん? この本」
蛍は例の書物を片手で持ちながら光《ひかる》にきいた。内密だったはずの予言書は光と蛍には読まれたようだ。俺たちは人払いした桐壺で緊急対策会議を開いていた。
「誕生と死亡は合ってるね」
光はすました顔でそれだけ言う。
「嘘つけ。大体合ってんだろ?」
「それは言えないなあ。私的なことだし」
「なんかムカつくわこいつ」
蛍は光を小突きながらも、本をパラパラめくってふーんとつぶやいた。
「俺について全然書かれてねーんだけど。須磨行くとき送ったのと絵合《えあわせ》くらいか」
本当に予言書なのか? と首をかしげる。
「むしろ今後の俺がダサすぎて萎えんだけど」
この通りにしなきゃいけねーの? と蛍は不満そうに言った。
「いや別に、好きにすりゃいいんじゃね。当たるも八卦さ」
光も自分の死後まで読んだはずだが全く動揺していなかった。当たる部分は活かせば良いくらいに思っているようだ。
「皆さんこんばんは」
「いらっしゃい」
「こんばんは、冷泉さん」
「みかどー!」
桐壺にお忍びで冷泉さんが来られたので俺たちは揃って道を開けた。冷泉さんは俺たちの前を通りすぎると一番奥にいた夕霧くんの隣に座られた。
「夕霧くん、こんばんは」
「お疲れす」
夕霧くんは冷泉さんに一礼すると件の予言書に視線を戻した。夕霧くんは読むのが早いらしく、さっきから黙って何冊も読破しもう終盤に入っている。
「皆さんすみません、お集まり頂いて」
「いえいえ」
「どうでしたか?」
「どーもこうも」
蛍は首筋をかくと少し困った顔をした。
「光が言うには生・死・は・あってるらしいす」
「じゃあそれ以外は縛られる必要はないのでしょうか」
「と、思いますけどね」
冷泉さんが光をご覧になられると、光は菩薩のように微笑んで答えた。
「気にすることないよ。死期は変えられないようだけど。それまで楽しんで生きればね」
それを聞くと、冷泉さんも少し安心したように微笑まれる。
「柏木死ぬじゃん」
今まで黙っていた夕霧くんが不意に目を上げた。
「あ・ん・た・の・せ・い・で」
鋭い視線で光を睨む。柏木くんというのは夕霧くんの従兄で、兄弟みたいに育った親友だった。
「そんな箇所あったっけ」
光は挑発的に冷笑して夕霧くんを見た。夕霧くんと光の間でバチバチした火花が散っている。
「そうなの?」
俺は不安になって蛍に尋ねた。
「すー兄《にい》読んでないの?」
「うん。未来が書いてあるって何か怖いし」
「あー」
蛍は何事か把握したようにうなずくと
「すー兄は読まなくていいよ」
あっさり言うから余計不安になった。俺は奥におられる冷泉さんについ目で助けを求めてしまって。
「ええ、十六年ほど先ですが」
冷泉さんも悲しそうにうなずかれた。
「そんな先のこと……」
俺は驚いてしまった。そんな未来のことまではっきり書いてあるのか。
「困るね。どうにかして阻止できないかな」
俺が考え込むと、蛍と光がほぼ同時に俺を見た。
「すー兄が上手くやれば防げそうな気がするよ」
「そうそう、兄貴が自分の娘を上手く扱えばね」
「俺?!」
蛍と光がうなずくので俺は驚いてまた冷泉さんを見てしまった。
「たしかに柏木くんの件は朱雀さん次第で何とかなるかもしれません」
冷泉さんも俺を見てそう仰る。そうなの……。
「俺からもお願いします」
夕霧くんまでが強い瞳で俺を見るので、俺は全員に見つめられて肩身が狭い思いがした。
「わかりました。大事なことは教えてね。お願いします」
俺は皆に頭を下げて小さく畏まった。
「でも妙な本だよなー。他に読んだ人いるんすか?」
「蔵の奥で見つけた時は厚い埃を被っていて、私も手に取るのをためらったんです。他の人が読んだ可能性は低いと思います」
確かめる蛍に冷泉さんはお墨付きを与えて下さった。
「じゃーとりあえず秘密は守られてるわけだ」
蛍はゆっくりうなずくと、悪戯っぽい目をして笑った。
「先が見えるとかおもしれーじゃん。人の人生変えちゃおうか」
「悪用は良くないなあ」
光がニコニコ笑うので
「オメーが一番悪用しそうだからな」
蛍は呆れ顔で光をたしなめた。
「どこに置いとく? これ。うちは隠せる自信ねーわ」
保管場所について、蛍は真っ先に白旗をあげた。
「うちも人多いからなあ。兄貴んちは?」
「うち? うーん、朧月夜さんがいろいろ荒らすからなあ……」
「帝に夜這いするような女だから何も隠せないわな」
「どーいう女と住んでんのよ」
「俺が選んだ人じゃないんだよ……」
俺たち兄弟がけんけんごうごう言い争っていると
「私、保管しておきましょうか」
冷泉さんが手を上げて下さるので俺はほっと胸をなでおろした。
「すみません。お願いできますか?」
「はい。宝物《ほうもつ》なんかと一緒にしておきます」
「国宝級すか」
蛍は苦笑している。
「一応写してから返したいんで、少し借りていいすか」
「はい、どうぞ」
冷泉さんはニコニコ笑ってうなずかれた。蛍は何冊もある予言書のうち必要な巻を丁寧に包み直す。ちょうどその時夕霧くんが読んでいた最終巻をパタンと閉じて床に置いた。
「あんたのせいで母さんは死んだの」
夕霧くんは光にきいていた。
「だったら何?」
「絶対許さない」
鋭く言い放つと、畳を蹴るようにして立ち上がり行ってしまう。
「私もそろそろ失礼しますね」
冷泉さんも夕霧くんの後を追うように桐壺を去って行かれた。
「オメーら相変わらず仲良いのな」
蛍は憤慨する夕霧くんの背を見送ると苦笑して言った。
「十一であの殺気かよ」
「光、どうしてあんなこと」
俺は心配になって光を見つめた。
「俺を憎んでる方があいつは伸びそうな気がしてさ」
光は誰に言うともなくつぶやくと、少し笑った。
「いいよね、あの目。あのキツい目で一生俺を睨んでてほしいわ」
「葵さんへの罪滅ぼしか」
「……かもね」
光は蛍の言葉も否定せず、しばし遠くを眺めた。