皆から愛され将来を嘱望されていた柏木くんの訃報は京に衝撃を与えて、その死を惜しまぬ人はいなかった。帝もたいそう悲しんで、柏木くんを権大納言に加階なさった。葬儀には内裏《うち》からも冷泉院からも多くの人が参列して、厳かでしめやかに営まれた。鈍色衣の乳母に幼い薫くんが抱かれて。
「この子を形見として、親族一同、息子の分まで愛情を込めて育てます」
致仕大臣さんは涙にくれながらも、強い決意を込めた口調で話す。
「二十二の娘を出家させちゃったの」
俺の隣に座り柏木くんを見送った光《ひかる》は残念そうにそう言ってくれた。俺を責めているのではなく、若い三宮を気の毒だと思ってくれたのだろう。
「予言を違えたかな」
「いや、同じ」
知ってはいてもやはり柏木くんの死は悲しく、光も目を赤くしていた。
「予言では三宮さんの出家が先なんだ。病床の柏木はそれに絶望して、泡が消えるように亡くなる」
「それは、つらいね……」
彼らの運命は最後まで悲しみに彩られていたのかと俺はやるせなく思った。俺たちはそんなつらいはずの未来を、少しは変えられたのだろうか。
「薫がいてよかったね。薫が柏木の子としていて」
光は前を見つめると優しく笑った。
「致仕大臣も凄くショックは受けてたけど、薫がいるから生きる希望は失ってないようだし。夕霧や弟たちもたくさんいるから、皆で薫を支えてくれるよ」
「そうだね」
俺もそれが一番有り難いことだと思った。夕霧くんや柏木くんの弟さんたち、本当の家族に囲まれて賑やかに育つ薫くんはきっと幸せだろう。
「ついに系図を変えちゃったね」
「だね」
だいぶ予言を違えたかなと思ったが、俺に後悔はなかった。
「どんな未来が待ってるんだろう」
「さあね」
光も苦笑しながら、やはり後悔はないようだ。
「奥様は元気?」
「うん。逆に心配だけど、仕方ないね」
柏木くんの死が避けられなかったことで光も覚悟を決めたようだった。
「紫《むらさき》が死ぬ前には一緒に出家しようと思う。そろそろって話はしてたからね」
「そっか」
俺もうなずいて。光の夫婦も仲が良いんだなと思った。
◇◇◇
俺は西山の寺に帰ると、毎日行いに励んだ。桐壺更衣に始まり、葵さん、父上、入道宮さま、六条御息所さん、母、承香殿さん、柏木くん。他にも沢山の人と別れてきたな。俺もそろそろかなという気持ちが不安ではなく安らぎですらあった。皆と同じところへ行けるだろうか。出家している三宮にもたびたび文を書いた。
「目指す道は遠いけれど、共に励みましょう。」
あの子のほうがこれから先が長くて大変だろうに。俺は彼女の決意を尊敬した。三宮は出家後の方が安心して柏木くんのご家族と交流できるようで、夫婦で過ごした思い出の邸にそのまま住み、仏道に励みながら薫くんを育てている。
薫くんは致仕大臣さんや柏木くんの弟さんたち、夕霧くんの邸などに連れて行かれては皆から可愛がられているようだった。父親代わりになってくれる祖父や叔父たちに囲まれて、薫くんの生い立ちは少し夕霧くんに似ているかもしれないな。
柏木くんが亡くなって一年が経つと、俺は柏木くんの追善供養を行った。帝、冷泉さん、光、それに夕霧くんもそれぞれ追善供養を営んでくれているようだ。西山の寺近くの山林に筍が生えていたので、俺は掘りたてを光と三宮へ贈った。
「旬の恵みをありがとう。孫たちに食べさせるね。」
光は嬉しそうな返事をくれた。光の孫は俺の孫でもあって。春宮、二宮、匂宮くんに女の子もいた。皆すくすく育っているかな。
「お父様、美味しい筍をありがとうございました。薫はハイハイから立ち上がり、少し歩くようになってきました。歯が生え始めたようで、茹でた筍を熱心にかじっております。」
三宮の文からは薫くんの成長が目に見えるようで俺は微笑ましく思った。皆元気そうでよかった。たまには会いに行こうかと思いつつ、世を背いた身なので遠慮もあって俺は祈る日々を続けた。生きている人も亡き人も。皆幸せでありますように。
「兄貴。孫たちに会いに来て。」
秋頃だっただろうか、光が緊急性の高そうな文をくれたので俺は何事だろうと山を下りた。少し急いで六條院へ向かう。六條院には夕霧くんも来ていて、薫くんを抱っこしてあげていた。
「わあ、大きくなったね」
俺は可愛いなと思って、つい薫くんの小さな手を握った。
「ここにいたか問題児ー」
六條院には蛍も来ていて、薫くんと同じくらいの男の子を見つけるとひょいと抱き上げる。
「こいつが匂宮だよー」
蛍が抱っこする男の子は負けん気が強そうで、抱っこする蛍の耳をぐいぐい引っ張っていた。光はそんな匂宮くんを見て苦笑している。
「兄ちゃんとも競って勝とうとするたくましい子なのよ」
「光にそっくりだなー」
「いやお前だろ」
蛍は抱っこした匂宮くんがじたばたするので床に下ろすと
「卑怯な手使うなよーこの色男! 女を争うなら決闘でもしろ」
匂宮くんの目をじっと見つめながら注意した。匂宮くんはプイと顔を背けると夕霧くんの裾にまとわりつく。
「たいしょー、だっこ」
夕霧くんに抱っこをせがんでいるようだ。夕霧くんは右腕で薫くんを抱っこしたまましゃがんで左腕で匂宮くんを抱き上げたので、幼い二人はしばらく見つめ合った。
「力持ちだね」
俺は感心して、夕霧くんはすっかり頼もしい父の顔になったなと嬉しく思った。
「頼むぞホントに。未来の平和はお前らにかかってんだからなー」
蛍が二人同時に頭を撫でてあげると、薫くんはニコニコしたが匂宮くんは頬を膨らませて嫌そうにしていた。この二人の生い先もどうなるのかな。楽しみなような怖いような、でもやっぱり子どもが育つのは楽しみな気がして。俺は二人が他の子たちと遊ぶのを微笑んで見ていた。