次の日いつもより遅めに出社したら、ちょうど喫煙室から出てきたアキノくんと一緒のエレベーターに乗ることができた。
やったー! 今日は朝から運がいいなあ。
二日酔いでフラフラだけど。なんとか出社した甲斐があった。
「お前、寝たの?」
アキノくんは7階のボタンを押すと、振り向いて私に尋ねた。
「部長と同じ匂いがする」
私に顔を近づけて、クンクン軽く匂いをかぐ。
「昨日泊めてもらって。いい匂いだからつけてもらったんだ」
「寝てんじゃん」
ノンセクって言ったのに。うそつきって思われちゃうかな。
アキノくんは怒ってはいないようだった。
「お前、やろうと思えばできんだ」
意外だなって顔で言ってくれる。
「ううん、できないけど……」
私は少し困ってあいまいに笑った。
「ただ寝かせてもらっただけなんだ。いや、私はそう思ってるんだけど……もし何かされてたら、わかるものかな?」
逆にアキノくんに尋ねてしまった。
「俺にきかれても」
アキノくんは困ったように笑っている。
アキノくんの笑った顔をはじめて見た気がした。うれしいなあ。苦笑だけど。
「ずいぶん可愛がられてんじゃん。同じ匂いつけさすなんてさ」
アキノくんは自動販売機の前で止まると、あたたかい缶コーヒーを買った。
「部長私のこと名前で呼んでくれるから。なんかお父さんみたいな気がして」
「お父さんって。せめて兄貴にしろよ」
後ろから声がして、部長がぬっとあらわれた。
「おざーす」
アキノくんがメガネの奥から軽く目礼する。
「ハルカ、今日の会議10時からな。資料持って来いよ」
「えっ、私も行くんですか」
「お前がいると安心すんだよ」
部長はサラッと言うと行ってしまった。
部長ってときどき甘えてくる? ときがあるよなあ。よくわからないけど。
私も急いで準備しなきゃ。
「アキノくん、またね」
私はのんびりコーヒーを飲むアキノくんに手を振って別れた。
うれしいなあ。アキノくんと話せたし、匂いもかいでもらったし。笑ってくれたし。
あーアキノくんアキノくんアキノくん。大好きだなあ。
片思いって楽しいなと思った。このまま何も伝えずに、一生片思いしていたい。
同じ職場で、毎日会えて、たまに言葉がかわせれば、それで十分。
こうやって何十年も一緒にいられたらなあ……
恋人どころか、結婚してるより長い時間一緒に過ごせるかもしれない。
あー同僚最高だなあ。
アキノくんのおかげで二日酔いも吹き飛ぶ気がして。私は機嫌よく仕事をはじめた。
◇◇◇
「お前、アキノが好きなの」
「えっ? あ、ハイ」
大事な会議が無事すんで、一緒にお昼を食べているとき。
部長がたずねるので、私は思わずこくんとうなずいた。
「報われねーと思うぞ。アイツ好きになっても」
「いいんですよ。何もするつもりありませんから」
私は昨日の部長みたいなことを言って、機嫌よく笑った。
「もう十分報われてますから。たまに会って話せるだけで。幸せです」
本心からそう思っていた。アキノくんが生きていてくれるだけで。
「なら俺と付き合ってよ。何もしねーからさ」
部長はAランチのとんかつをキャベツと一緒にほおばりながら言った。
「いや……昨日したじゃないすか」
「あれは酔ってたんだよ」
「私は、アキノくんが好きです」
Bランチのエビフライをつつきながら、私は言った。
「そのままでいいよ」
部長はしじみのお味噌汁を飲みながら、アッサリ言った。
「アキノが好きなお前をそばにおいておきたいのさ。一種の征服欲よ」
「はあ」
よく、わからない……。
私がしばらく食べる手を止めてぼんやりしていると
「俺にとってお前はすげえ大事な存在なんだよ。仕事でも、プライベートでもさ」
部長はもう食べ終わってしまって、食後のお茶を飲んでいた。
「付き合うってのもお前の定義でいいから。たまにメシ食ったり遊んだりしようや」
それだけ言うと食器を返却口へ返して、タバコを吸いに行ってしまった。
「部長は何が好きなんですか」
仕事帰り、思いきってきいてみた。
「俺は車かなあ。カスタムじゃなくて、乗るほうだけど」
「いいですね。私はバイクが好きなんです」
「へえ」
部長は意外そうに私を見ると
「男の影響?」
ニヤと笑ってきいた。
「男と言っても、お父さんですけどね」
お父さんのことを思い出すと、妙に切なくなる。まだ健在なのに。
「いつもヘルメット持ってきてくれて。よく後ろに乗せてもらいました」
「いいなあ」
部長の相槌がやさしくて、ありがたい。
「養育費、払ってますか」
「え? ああ、2人分な」
急にきいたせいか、部長は一瞬キョトンとしたあと、答えてくれた。
「必ず続けて下さいね。それだけが、私の願いです」
私が言うようなことじゃないけど。言いたくて仕方なかった。
「私もらう側だったんです。父は少ないけど、毎月必ず送ってくれて。そのおかげで『まだ忘れられてないんだ』って思えたから」
毎月のお金が父の生存確認にもなっていた。お母さんとお父さんは、私の前では悪口を言ったりせず、互いを尊重していてくれた。
「苦労、したんだな」
差し出がましい話なのに。部長は嫌な顔ひとつせず、きいて下さった。
「うちなんて。マシなほうです」
私も笑って答えて。
部長と奥さんのヨリが戻らなくても、良好な関係が続くといいなと思っていた。