陛下にお会いできずにひと月が過ぎた頃でした。
「町に出ませんか」
突然コンラが私に町歩きを勧めてくれました。私はお城の外に出たことはなかったので怖いような気がして迷いましたが、今後お城の外で生きていかなければならないことを思うとむしろいい機会だと考え直して、コンラに連れて行ってもらうことにしました。
良く晴れた過ごしやすい日でした。町の入り口で馬車を降りると、私たちは中心部で開かれている市場を見て回りました。色とりどりの果物や穫れたての野菜、薫り高い花々、肉や魚、衣類まで何でも売られています。市場は活気がありながら平和で、治安も良いんだと私は思いました。コンラは私に甘いお茶を買ってくれると、ひとけのない落ち着いた路地に進んでいきます。私たちはまた二人並んでベンチに座りました。コンラは前より私の近くに座ったようでした。
「あなたはこのままずっと陛下を信じて、陛下に頼って生きていくおつもりですか」
私は何と答えたらよいかわからず、コンラの横顔を見ました。コンラはベンチに座り、前かがみに両手を組んだまま、まっすぐ前を向いています。
「陛下はお優しい方ですが、その愛が永遠とは限りませんよ」
「はい」
「私と暮らす気はないですか。陛下との関係は続けて頂いて結構ですから」
私が黙ってしまうと、コンラははじめて私の方を向きました。今にも吸い込まれそうな琥珀色の瞳をしています。
「私は本気ですよ」
コンラの睨むような視線に戸惑いながら、つい私は思ったことを口にしてしまいました。
「あの、でも……私って、コンラの好みじゃないですよね?」
コンラがブッと吹き出すので、私も少しびっくりしてしまいました。
「よくわかりましたね」
「なんとなく……」
私は苦笑しながら、片手で口を押えて恥ずかしそうにするコンラを本当に優しい人だと思いました。でもそこまでの負担をこの人にかけるのは悪いと思って、
「お気持ちは、嬉しいのですけど」
丁寧にお断りしました。やっぱり自立していないと、いろんな人に迷惑をかけてしまうものですね。
「私、陛下にもっと喜んでいただけたらと思っていて。そのために何ができるだろうってずっと考えているんですけど、よくわからなくて」
コンラは前を向いたまま私の話を聞いてくれました。
「私、陛下のリラックスなさった笑顔って見たことがなくて。陛下がニッコリ笑って幸せにお暮し下さるなら、その笑顔が見られたら、それだけで幸せだろうなって思います。陛下の御子がほしいのも、陛下に笑って頂きたかったからかもしれません」
親のために子を産みたいだなんて、子に悪いのかもしれませんが。私は陛下に全てをお捧げしたいと思っていました。
「あなたは妊娠中前の夫に浮気されかなりショックを受けたようですが、ハッキリ申し上げて陛下の女性関係はその比ではありません。耐えられるのですか?」
「わかり……ません。でもその女性たちも皆、陛下の大切な方なんですよね。でしたら私も大切にしたいと思います」
私はヨウヒを思い浮かべながら言いました。「あなたが陛下から受ける愛の数々は、私たちがお教えしたも同然よ!」というのは、ヨウヒのよく言う口癖です。人が人を作る、というのは本当だろうと思います。私も陛下の経験のごく一部になれているのなら。こんなに嬉しいことはございません。
「随分余裕ですね」
コンラは私をチラと見て冷たく言い放ちました。いつまでこんな理想を語っていられるのか、私自身にもわかりません。
「私も全然自信はないんですけど……男女というより、家臣のようになりたくて。コンラのような、陛下に信頼される家臣の一人になってみたいです。でも女だと難しいですかね」
女の価値って何だろうと私は考えました。やっぱり若くて子が産めることかな。年をとってもお役に立つにはどうしたらいいんだろう。私には考えなきゃいけないことが山ほどあるんだと気づきました。陛下が日夜、帝国のために働いておられるように。
「あなたは―――」
コンラは苦しいような呆れたような何とも言えない表情を浮かべると、じっと私を見つめました。その遥か後方にキラと光るものが見えて、私はとっさにコンラの腕をつかむと力いっぱいこちら側へ引きました。引っ張りながら、コンラに覆いかぶさるようにベンチの背もたれに身を伏せます。
せっかく買ってもらったお茶がベンチから転がり落ちてグラスが砕け、半分ほど残っていた中身はこぼれてしまいました。それとほとんど同時にヒュンヒュンと鋭い二本の矢が空を切り、お茶の染み込む地面へ突き刺さりました。コンラは瞬時に立ち上がると拳銃を抜き、矢の来た方へ発砲しながら、
「西だ! 追え!」
陛下に負けない大声で警護の兵に指示を飛ばしました。
「お怪我は?」
「大丈夫です」
「よかった……」
コンラはいつもの冷静さを欠き幾分素に戻ったような表情で、ハアーと大きなため息をつきました。気のせいか顔色も悪いようです。
「あなたに何かあったら私の首が飛ぶところでした」
私はコンラこそ大丈夫か心配になりましたが、声をかけられる雰囲気ではありませんでした。コンラは拳銃を仕舞い、私に手を貸して丁寧に立たせてくれると、
「長話が過ぎましたね。城へ戻りましょう」
周囲に気を配りつつ、私の手を引き足早に馬車まで戻ってくれました。