◇地歌舞
「古道成寺」 舞古澤侑峯 波紋音 永田砂知子
地歌「古道成寺」は、謡曲「道成寺」の後段を典拠としています。
地歌では、途中に砕けた歌詞が挿入され、描写的な間奏を含んでいますが、
公演では岸野次郎三の作曲をもとに、波紋音演奏で、地歌舞をごらん頂きます。
物語は、紀州に伝わる安珍・清姫(あんちんきよひめ)伝説で、
内容は伝承により相違がありますが、思いを寄せた僧安珍に
裏切られた少女清姫が激怒のあまり蛇身に変化し、
道成寺で鐘ごと安珍を焼き殺す女の執念を描いています。
「道成寺の縁起絵巻」から物語のあらずじを紹介しますと・・・。
物語は、今から千年あまり昔の話。
奥州白河から熊野詣に来た修行僧・安珍は、真砂庄司の娘・清姫に一目惚れされます。
その夜、眠りについた安珍は、芳しい香のかおりと衣擦れの音に目を覚まし、
ほのかな灯りに目をこらすと、枕元に清姫がすわっていました。
「清姫さま、どうなされました」
「安珍さまに逢いとうて、お傍にいとうて」
その姿は愛らしく、安珍も憎くは思わないが、夜更け部屋に忍び込んで来られてはと、
困り果てて、とうとう嘘をつきます。熊野からの帰途に、再び立ち寄る事を約束。
けれど、熊野詣でをすませた頃になっても、安珍は戻って来ず、
清姫は居ても立ってもいられません。実は安珍は清姫を避けて、
田辺へ抜ける道を選んだと知り、清姫は旅人の目も構わず安珍を追い求めます。
日高川に到った安珍は船で渡りますが、船頭は清姫を渡そうとしません。
「おのれ、安珍…」 清姫は、あとを追って、日高川へ飛び込むと、
ついに一念の毒蛇となって河を渡るのでした。
安珍は、道成寺へ逃げ込み鐘の中に匿まわれます。
ほどなく、蛇と化した清姫が道成寺の石段を這い上がり、鐘の龍頭をくわえて、
きりきりと鐘を七巻半、しっかりと巻くと、尾で鐘を打ち叩き、口から火を吐きかけました。
やがて大蛇は、ずりずりと鐘から滑り落ちると、血のような涙を滴らせ、去っていきました。
あとには、焼けただれた鐘と、燃え尽きた安珍の亡骸があったといいいます。
このあらすじを思い描いて舞を観ると、たおやかな舞の中に、女の激しい情念と
すさまじい執念の炎を、きっと観ることでしょう。
◇地歌演奏
「沙羅の花」 (池上眞吾1998年4月 作曲) 箏:芦垣育子、尺八:芦垣皋盟
京都上賀茂の森を背景に愛染蔵の庭に咲く沙羅の花があります。
五弁の白い花冠を持つ美しい花は夏椿とも呼ばれ、初夏の心に涼しさを運びます。
沙羅の花
そんな沙羅の花の印象を、親しみやすく可愛らしいメロディに託して描いた、
筝と尺八の二重奏です。
「鹿の遠音」 琴古流本曲(作曲者不明) 尺八:芦垣皋盟
琴古流本曲で秘曲として伝承されてきた「鹿の遠音」は、
尺八古典本曲の中でも最もよく知られた曲の一つです。
秋の深山幽谷に響く、鹿の鳴き声の掛け合いの描写を曲想としており、
たいへん美しい曲です。
鳴き交わす二頭の鹿の様子を、あたりの情景とあわせ描写したものと言われています。
通例は、二管での掛け合いで演奏され、青木鈴慕(アオキレイボ)と山口五郎
(ヤマグチゴロウ)両師が演奏している鹿の遠音は、聞き応えの有る名演奏といわれています。
今回の公演では、両師に師事した芦垣皋盟が一管だけで吹き分けます。
◇波紋音(はもん)演奏 永田砂知子(演奏と曲目解説)
「異国のメロディー」
小型波紋音2台で作った曲です。
2台の波紋音の共通音がドローンになって、その上にアラビア風のメロデイーが乗る。
そのメロディーがどこか異国風だな、と思ったので、
異国のメロディーという曲名にしました。(CD「lehamon」収録曲)
「泉」
水は生き物すべてにとって大事な生命の素です。
汲めどもつきぬ泉のように、こんこんと湧く泉のイメージで演奏します。
《 波紋音(はもん)について 》
波紋音は、鉄製の創作打楽器です。鉄の円筒を作り、その上面にいくつもにスリットが
入っています。この上面に入っている切れ込みにより、叩く箇所によって複雑な音階が発生します。
中央の一番大きな波紋音楽器で、上部の打面は50センチくらい。
画面の上部の3つの波紋音楽器と、画面下部のふたつの波紋音楽器を円の弧を描くような形に
置き、演奏者の永田さんは弧の内側に座って演奏します。鉄の作家、斉藤鉄平氏の作品です。
波紋音
◇地歌舞
「雪」 (作者流石庵羽積、作曲峰崎勾当) 舞・古澤侑峯 歌三絃・芦垣育子
上方地唄および地唄舞の代表的な作品。地歌「ゆき」に後世、
舞を振り付けしたもの。
男に捨てられ出家した芸妓が、雪の降る夜の一人寝に、
浮世を思い出し涙する、という内容の艶物(つやもの)。
大坂新地の芸妓ソセキが男に捨てられたのを慰めるためにつくったとも、
ソセキが出家したという事件に取材したともいわれる。
武原はんの生涯の代表作として有名で、上方舞の曲目としてひろく知られる
ようになったのは彼女の名演によるところが大きい。(出典 ウィキペディア)
美しい桜花や雪を「浮世」とたとえ、それを払い捨てて仏門に入った「ソセキ」と
いう名の大阪南地の元芸妓(歌詞の6行目に「いっそせきかねて」の中に、
名前が読み込まれています)が、昔を述壊する内容です。
《 歌詞 》
花も雪も払えば清き袂かな、ほんに昔の事よ、
我待つ人も吾を待ちけん。
鴛鴦(おし)の雄鳥(おとり)に物思ひ羽の、
凍る衾(ふすま)に鳴く音は嘸(さ)ぞな。
さなきだに、心も遠き夜半(よわ)の鐘、
聞くも淋しき独り寝の、枕に響く霞の音も、
若(も)しやいつそ堰きかねて、落つる涙のつららより、
辛き生命(いのち)は惜しからねども、恋しき人は罪深く、
思はんことの悲しさに、捨てた憂き、捨てた浮世の山かづら。